哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

み絲之會:第一回素謡・仕舞の会のこと

■み絲之會:第一回素謡・仕舞の会のこと

 以前拝見した、2019年5月31日のみ絲之會第四回公演と、先日8月7日の能楽金春祭りにおいて、8月29日のみ絲之會の第一回素謡・仕舞の会のチラシを頂いた。それぞれの過去の公演の観能の記録は、以下の記事に載っている。載っているには載っている、しかし、どうしてよりによってこういう載せ方なのだ。前者は記事の題材に悩んだ結果、ブログコンテストのお題に乗ってみた際のやっつけ仕事の一部であり、後者は小説の感想文を小説にしてみた際の、一エピソードとして登場している。失礼にもほどがある。

 

philosophie.hatenablog.com

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 というわけで、せっかく公演のことを知ったので、今回は事前に、同公演で上演される演目について調べて私自身がお勉強をするのに、皆様にも付き合ってもらおう、という趣向である。なお、演目の細かいあらすじは書かない。というか、知らないので書けない。ネット検索してあらすじや概要から、関連する物事を調べた、些末な知識をここには書き記す。きちんと知りたい方は、各自お調べください。

 ちなみに公演のタイトルとなっている素謡とは、能の謡を動きを付けずに座って謡うことであり、仕舞とは能の見どころとなるシーンを、シテ(主役)が装束や能面なしで演じることである。

 

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●枕慈童

 中国を舞台に、700年も前の穆王(ぼくおう)に仕えていたという慈童のお話で、彼が何故700年も生きながらえているのかという物語と、長寿や繁栄を寿ぐ、といった内容である。一度の失敗から都を追われた慈童であったが、不憫に思った皇帝は彼にお経の言葉の入った枕を与える。この言葉を菊の葉に写した所、その菊の葉の滴が霊薬となり、慈童に長寿を与えたのだという。

 穆王は紀元前11世紀頃の周の皇帝で、穆王八駿と呼ばれる、ものすごく速く走ることのできる馬を八頭飼っていたという。光の速さで駆ける馬、鳥に追いつける馬、翼の生えた馬、彼らに馬車を曳かせたとのことだが、果たしてそれぞれに脚が速いとはいえ、そのスピードや特性の違う馬を八頭立てにしたところで、きちんと馬車が制御できたのかが甚だ疑問である。

 

●養老

 第21代雄略天皇(稲荷山古墳出土品のワカタケル、『宋書倭国伝』の倭王武とされる)の時代のことである。つまりとても昔のことである。美濃の国にある、飲むと若返るという泉、養老の滝にまつわる曲である。

 曲の中でその泉は、本巣の郡(もとすのこおり)にあるとされているようであるが、現実の養老の滝は同じ岐阜県でも、本巣市ではなく養老町にあるそうだ。長野県松本市で創業した居酒屋チェーン店、養老乃瀧は、養老の滝に伝わる親孝行の逸話からのネーミングとのこと。

 

●盛久

 壇ノ浦の合戦の後、源氏に捕まって由比ヶ浜で処刑されそうになりながら、京都清水寺の観世音菩薩の霊験で助けられたという、主馬判官(平)盛久の曲で、仏教万歳のストーリーである。私はこの武将のことを知らなかった。

 主馬とは馬や馬具を管理する役職のことだという。穆王八駿は……。

 

●六浦

 六浦(むつら、現在はむつうら)の称名寺(現在は神奈川県横浜市金沢区)の紅葉しない楓の物語。この楓は以前に、他に先駆けて紅葉した様を、冷泉(藤原)為相に歌に詠まれたため、 以来身を引いたとのこと。

 冷泉為相は、『十六夜日記』の阿仏尼の子ども。それには何が書かれているかというと、阿仏尼が女だてらに、所領の訴訟のために、京都から鎌倉に赴く旅のことが記されているという。男性と女性のイメージや役割分担というのも、どこかの時期からの常識で、それ以前はまた別の男性観、女性観があったのかもしれない。

 

●野守

 大和国春日野の鬼神が持つ、世界の隅々を映し出す明鏡に纏わる物語。

 鏡の神秘性という事で、私は何故かすぐに、ドラゴンクエストシリーズに登場する、変身を暴いて真実を映し出すラーの鏡を思い出したが、他にもハリーポッターに登場し、見た人ののぞみを映し出すみぞの鏡や、美女と野獣において、野獣がベルに与える鏡など、色々ある。

 そもそも、能舞台の後ろの松は、鏡板と呼ばれており、舞台正面に奉納を捧げるべき松があることを想像し、それが後ろの鏡に映っている、という設定である。鏡すごい。

 

●八島

 言わずと知れた源義経を描いた曲。子方が演じる(船弁慶、安宅)ことの多いイメージの義経だが、この曲ではシテとなる。また殺生により地獄に落ちた武将を描く修羅物は、そのほとんどが負け戦を描く負修羅であるが、三番だけある(他に田村、箙)勝修羅である。

 八島(屋島)は現在の香川県高松市だそうで、あの那須与一が平家方の船の扇を射抜いたという、屋島の戦いの舞台である。またエヴァンゲリオンにおけるヤシマ作戦も、この戦いが名前の由来となっている、という説が有力らしい。

 

●源氏供養

 当時の仏教観だと、偽りの言葉(狂言綺語)は罪であったそうで、文学もまた、同様に罪であったとのこと。特に『源氏物語』は槍玉に上げられたようで、紫式部は地獄に落ちたとされていたそう。

 対してそんな狂言綺語を転じて人々を救いへ導いたのが、唱導の文学。この唱導の文筆に代々携わったのが、本作のワキ(相手役)である安居院(あぐい)の家の人々だという。現、滋賀県大津市石山寺が舞台。

 

●女郎花

 男女の恋の妄執を描いた曲。夫に捨てられたと思い自殺した妻の墓に咲くのが女郎花。夫もその後を追い自殺する。地獄に落ちた二人を、僧が救済する。

 ところでこの女郎花には、敗醤という別名があり、それは醤(味噌などの発酵食品)が腐ったような臭いに由来するそうだ。

 

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