哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

ヴァレンタイン・デイ

■ヴァレンタイン・デイ

ヴァレンタインの夜、ある郊外の洋館にまつわる血塗られた歴史が繰り返す。
動き出した歯車はもう止まらない。ノンストップ・アクション・ホラー。

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 そもそもウァレンティヌス(聖バレンタイン)は、3世紀頃の人物で、故郷に妻子を残して出征する兵士たちの士気低下を恐れ、ローマ皇帝クラディウス2世が兵士の結婚を禁じていた中で、この禁令に背き、若い恋人たちの結婚式を執り行ったことで、捕らえられ処刑されたと言われている。そのためウァレンティヌスは恋人たちの守護聖人となり、後に異教徒のお祭りを耶蘇教側が取り込む形で聖バレンタインデーは始まったそうだ。戦後の1950年代後半から聖バレンタインデーに着目した我が日本では、さらに菓子メーカー等多数の思惑が絡み合った形で、現在の女性がむやみやたらに男性にチョコレートを贈りつけ、一か月後に3倍返し(月利200%)ともいわれる高利率で、債権を回収するという、一種の投機イベントとなっている。

 都営新宿線本八幡駅にほど近いアパート、ヤワタハイツの住人である葛城八重子は例年、そんな催しに参戦する気はさらさらなかった。勤め先の男性に愛想を振りまくことも大切、そんな考えの同僚もいてその考えを否定する気はなかったが、それ以上に自分が食べたいと思わないチョコレートをしこたま買い込んで、社内で配り、翌月にやはり食べたくもない甘ったるいお菓子や自分の趣味に合わない小物をもらうより、稼いだお金は自分の使いたいように使いたかったし、男の上司や同僚たちにも同様に、好きでもない女性からもらったチョコレートの返礼に、無用な出費を強いたくない、という現実的な感情が強かった。

 では、そんな八重子が意中の相手に対して、チョコレートを贈ることがあったか、というと、それもなかった。夫は結婚してわずか5年で、帰らぬ人となった。それから40年、残された八十助を立派に育て上げるのに必死で、殿方との色恋などに目を向ける余裕はなかった。そういえば、たまたまであろうが夫、八十吉が八重子の元を去ったのは40年前の2月14日であった。1月には、遠きアメリカでロナルド・レーガンが第40代大統領に就任し、千代の富士が初優勝を果たし、そして迎えた2月14日、八十吉は帰らぬ人となった。両親を早くに亡くしていた八重子にとって、頼れる身内もおらず、不安だらけの中で始まった3歳の我が子八十助との二人暮らしであったが、幸いにも勤め先の仕出し弁当屋さんのご夫婦が面倒見の良い人たちで、子育て中の八重子が働きやすいよう、心を配ってくれた。

 弁当屋さんの亭主は、中垣内渡という名前で常に厨房の中を慌ただしく動き回っては、ヒレカツを揚げたり、ロースカツを揚げたりしていた。ノンストップのマシンガントークでも有名であり、調理で手を動かすと、口も動いてしまう仕組みになっているようで、この店の弁当は中垣内渡のつばきが隠し味であると、噂が立っていた。妻の上打田内美恵子は、引き締まった筋骨隆々の亭主と正反対の、ふくよかな身体つきであり、厨房の狭いスキマをあらよっとの掛け声とともに包丁やら食材の詰まったボールを薙ぎ払いながら移動するのが常であり、そのことを本人も気にしてであろう、できるだけレジ前に陣取って動かないようにしていたら、その体形は巨大化の一途を辿り、みるみる内にしまりのないものになっていったという。二人とも笑顔が素敵な夫婦で、八重子とも同年代。本当に世話になっていたが、二人が厨房内で動くと面倒が増えるだけであったため、八重子や他のアルバイトは極力、全ての業務をアルバイトだけでこなすように心がけた。夫婦は二人でレジに並んで、大声で話し合った。なんとなく幸せそうな夫婦を見ると八幡の住人は購買意欲をそそられるらしく、店は本当に繁盛していたから、それでよいのだ。

 さて、そんな思い出話はさておき、話は2021年に戻る。前年の末には遠きアメリカでジョー・バイデンが第46代大統領に就任し、年が明けて1月には大栄翔が初優勝を果たし、そして迎えた2月14日、八十吉が帰ってきた。葛城一家に衝撃が走った。帰らぬ人と思っていた八十吉が帰ってきたのだ。

「あんた、今までどこいってたのよ」八重子が声を荒らげて訊ねるのも、無理はない。

「おやじ、俺たちのことを捨てたくせにのこのこと」八十助の怒りももっともである。43歳の八十助は、結婚して西葛西の高層マンションである、メゾン西葛西に妻と、8歳の息子八十彦、3歳の娘八十子の4人暮らしをしていたが、たまたま母の様子を見に、実家に帰っていたのである。父である八十吉は釈明した。

「あの日、目の前にウァレンティヌス様が現れた。ウァレンティヌス様のことは知っているだろう」妻と子は頷いた。たまたま、彼ら一家は、耶蘇教徒であった。

ウァレンティヌス様に俺は聞いたんだ、何故禁止されている男女を結び付けたんだって」

「それで、聖バレンタイン神父は何と」八十助が問う。

「禁止された恋こそ、燃えるものさ、と仰っておられた」

「それで、あんたはどうしたんだい」八重子は冷たい声で訊ねた。

「俺もウァレンティヌス様を見習って、禁じられた恋をしようと思った。たまたま、あの日職場の山野まやという女子社員が、義理チョコをくれた。女であればだれでもよかった俺は、その日の夕方、会社の出口で彼女を待ち伏せして、後ろから抱きしめた。君の愛にこたえたい、と囁いた。警察を呼ばれそうになったところを、居合わせた職場の人間が収めてくれ、俺は職場を解雇になるだけで済んだ。なんとなく気まずくて、俺は帰らぬ人となった」

「それで今更何だって、帰って来たんだい」八重子は驚きを隠せなかった。

「以来、一人で生きてきた。南砂町のラーメン屋で雇ってもらって、餃子の皮に餡を詰める係だった。歳のせいか時折物忘れが激しくてな、自分が帰らぬ人だということを忘れて、帰ってきてしまった」

「それで、どうするんだい」

「どうするって、こうするのさ」そういうと八十吉は八重子を後ろから抱きしめて、君の愛にこたえたい、そう囁いた。

「八十助、ひゃくとうばん。早く早く」

 ヴァレンタインの夜、本八幡のヤワタハイツで、血塗られた物語が繰り返された。八重子は恐怖で鳥肌が立ち、弁当屋の亭主の中垣内渡はノンストップで喋りつづけた。八十吉転落の歯車が止まることは、決してなかった。

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