哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

2022年5月の徒然なること

■2022年5月の徒然なること


鳩やぐら(東京都渋谷区)

 激動の4月は過ぎ去り、波乱の5月がやってまいりました。何が激動で何が波乱かと申しますと、単純に本業でやたら多くの領域の仕事に首を突っ込みすぎていて、手というか頭が足りなくなっている状況です。だれか私の代わりに私を操作していただけないかしら……。

●第21回鳩森薪能「井筒」他 @鳩森八幡神社能楽殿 のこと


鳩森八幡神社能楽殿(東京都渋谷区)

 薪能とは何であろうか?

 神事能の一つ。奈良興福寺の修二会(しゅにえ)期間中の陰暦二月六日から一二日までの晴天七日間に、南大門前の芝生や春日若宮社頭・興福寺寺務別当坊などで四座(金春・観世・宝生・金剛)の大夫によって演じられた能。幕末でいったん廃絶したが、近年簡略化して復興され、五月一一、一二日に行なわれる。なお、最近、諸寺社で行なわれる薪能は、神事とは関係なく、薪の火を照明の助けとする夜間野外能をさす。(薪能とは - コトバンク - 精選版 日本国語大辞典「薪能」の解説

 とある。由来はともかく、現在では寺社等の野外の能舞台靖国神社能楽堂武田神社甲陽武能殿、等)や特設ステージで、夜間にかがり火を焚きながら行われる能楽公演を薪能(薪御能)と称している。

 渋谷区千駄ヶ谷に鎮座する鳩森八幡神社でも毎年薪能が催されており、令和4年5月14日(土)で第21回目を数える。私の職場の近所であり、勤め始めて数年毎年気にはなっていたのだけれどなかなかお邪魔する機会がなかった。今回ようやっと思い切って様子を見に伺うことにした次第である。

 当日、朝の大雨が昼前には止み、午後は一転して日差しの照り付ける暑い日となった。5月とはいえムシムシする夕暮れ、能舞台の前に設置された200脚以上のパイプ椅子はほぼ満員で熱気に包まれている。席後方に仕切られたエリアには立ち見の客もおり、どうやら券を購入しないでも後方から見学することはできるようであった。

 午後5時30分、土曜の勤務後に急いで駆け付けた公演は、地元・鳩森小学校の生徒による連吟(能の曲の一節を複数人で謡う)「弓八幡」から始まった。15名程の子どもたちの元気な謡が、夕闇が迫る境内に力強く響いた。ついで薪能実行委員長、渋谷区長の挨拶に続き、能のシテ(主役)をつとめる櫻間右陣さんによる演目解説の後、火入れ式となった。

 二か所に設置された薪に神社の御燈明の火が移される、と言ってもまだ周囲は明るく、ついで演じられた狂言長光」(シテ:三宅右近)の間は辺りも夕日に照らされて明るく、その中でかがり火はぱちぱちと賑やかな音を立てて燃えており、蒸し暑い中にようやっと涼し気な風が吹き込み、気が早いようであるが初夏の趣を感じさせた。なお「長光」は刀の名前。預かりものの刀を携えて京に上った田舎者と、刀を奪おうとする詐欺師(すっぱ=シテ)、それに現地を治める目代のやり取りが面白く、笑って楽しめる作品。

 日がとっぷり暮れたのはその後の能「井筒」(シテ:櫻間右陣)の途中のこと。帰らぬ夫・プレイボーイの在原業平を待ち続ける妻・紀有常の娘の亡霊(シテ)を描いたもので、思い出の残る筒井筒の脇で業平の形見の冠と直衣を着けた(男装の)女が美しく舞い、井戸をのぞき込むと映し出された自身の姿に業平を見る、という幻想的な曲。暗闇の中にライトアップされた小面(若い女性の能面)、紫の長絹(衣装)は照り映えてとても綺麗であった……。ライトアップされた?

 そうである、広い能舞台をわずか二本のかがり火で照らせるわけがない。時折能楽堂で蝋燭能という催しが行われる。その際は能舞台の周りにぐるりと蝋燭を敷き詰めるのだけれど、それでも舞台上は薄暗く、曲というよりも雰囲気を楽しむことが主となる。同様に夜闇の中をかがり火のみの照明で照らすことができる訳もなく、舞台上はガンガンに舞台照明で明るくするし、同様に、通常は生音で上演される能楽であるが反響の良い能楽堂と異なり仕切りのない野外で多くの客が詰めかける薪能では、マイクとスピーカーで謡を拡声するのが普通である。

 繰り返すが、暗い中で照らされた能楽師の舞姿はとても綺麗である、しかしそれは能楽が野外で演じられていた古の姿を彷彿とさせる、というわけではなく、文明の利器によってぎちぎちに作り込まれた美なのである。

金春信高十三回忌追善 春黎会大会「黒塚」他 @国立能楽堂 のこと


国立能楽堂(東京都渋谷区)

 令和4年5月8日(日)、シテ方金春流80世宗家金春安明さんと81世宗家金春憲和さんの社中会「春黎会大会」に伺った。
 金春流のお家元のお素人弟子、つまりプロではなく趣味で能のお稽古をなさっている方々の言わば発表会なので無料。ただしコーラス(地謡)やお囃子、狂言やワキ(相手役)はプロの能楽師、特に前お家元の安明さんによる迫力の謡や舞をじっくりと楽しむことができて無料というのは、なんともありがたいことである。安明さんの孫たちも出演して頑張っていらっしゃった。

 地謡に入ったシテ方の謡はみな、気迫のこもった素晴らしいものであったし、ラストを飾った能「黒塚」(東北の山中に住む鬼女を描いた作品。旅の僧たちは安達原であるあばら家に宿を求める、女主人は夜寒をしのぐために薪を取りに行くと言って出かける際に決して自分の寝室を覗くなと念押ししていき……)では囃子方、特に太鼓のかっこよさ、元気の良さを感じた。それに狂言「附子」(壺に入った甘い砂糖を二人の召使に食べさせまいと附子(猛毒)だと偽って出かけた主人。召使たちは……)は大藏彌太郎さんによる非常にテンションの高い好演で、心の底から笑った。

 こうしたお素人会、ほうぼうの能楽堂でしょっちゅう催されている。ふらっと見に行くのも勇気がいるが、能楽の楽しみ方のひとつではあると思う。

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