哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

2022年9月の読書のこと「家族のあしあと」

■家族のあしあと(椎名誠(装画=沢野ひとし)/集英社)のこと


彼岸花(千葉県千葉市

 椎名誠私小説や自伝的なエッセイには、一つのエピソードが複数の作品に重複して描かれることが多々ある。本書は『幕張少年マサイ族』(椎名誠(イラスト=沢野ひとし)/東京新聞)とやや重複する箇所がある。埋立工事がストライキでストップした際に、小学生時代のシーナ少年と友人たちで、勝手にトロッコを動かした話もその一つである。

 シーナはそれだけたくさんの、私小説・自伝的エッセイを手掛けている、ともいえる。詳しくは割愛するが、父親目線で自身の息子を題材としたもの、自身の青年時代や会社員時代を題材にしたもの、祖父目線で自身の孫を題材としたもの、そして本書のように自身の少年期を題材としたものと、人生の多くのシーンを自ら描いている。

 私は千葉県千葉市に生まれ育ったため、シーナの私小説・自伝的エッセイ群の中でも、同じ千葉県千葉市にて少年時代を送っているシーナ少年の様子が描かれたものが好きである。私の実家から十分程歩くと、花見川という結構しっかりした川が流れていて、川沿いはサイクリングロードとなっている。川を越えて反対側にさらに十分程歩いて行った辺りが、どうもシーナが少年時代をすごした場所らしい。ちなみにこの花見川ももともと、近所を水源に東京湾へ注ぐ、ごく小さな川だったそうだが、江戸時代以来の印旛沼干拓事業、疎水工事がシーナの少年期にようやく成り、山を切り崩して川を通したそうなのだけれど、ともかく現在の川は人工的に作られたものなのである。

 シーナの描く少年時代は千葉の天然の海、そしてシーナの少年時代に徐々に埋め立てられて行き、いまや幕張メッセ等が立ち並ぶ幕張新都心と、完全に人口の浜となってしまった現在の海、この変化をとても大切に丁寧に描き出しており、それ故に独特の憂いを帯びている。そんなところがとても良いのである。

●読んだこと

 話はシーナの幼少期から始まる。世田谷に生まれて、千葉県の酒々井で生活していた頃の話から。メインはやはり、幕張に引っ越してからの話で、小学六年生の頃の話で幕を閉じる。

 印象的なのは本書の中ほど「蟹を食べなさい」という章である。小学五年生のシーナは学芸会で上演する劇「三年寝太郎」で、担任の小林先生より大男の役を拝命する。難病に冒された柏崎の伯母さん夫婦がやって来る。そしてほとんど会話をしたことがなく、病がちであった父親に連れられて、国鉄で二駅先の船橋に買物へいく。ある市場で大きなガザミを六匹も眼の前に出され、一匹食べるごとに「蟹を食べなさい」と勧められるエピソード。この直後にシーナは父親を亡くしている。

 シーナは本書の中で何度か、家族が全員揃う時間というのはそう長くは続かない、と訴える。そうなのかもしれない。私事だが、父がとっくに出て言ってしまっているので、そして両祖父とはすでに死別しているので、それはそうなのだろうなと、身をもって思う。そんな家族の危うさを象徴するエピソードの一つが、この「蟹を食べなさい」であり印象に残ったのだ。

●考えたこと

 シーナには五人の異母兄弟(父親の先妻の子供)と、四人の兄弟(シーナ母の子供)がいて、シーナは下から二番目。異母兄弟のうちの一人は、シーナ少年と長兄として同居していて、のちにシーナ父の会計事務所を継いでいる。姉がいて、すぐ上の兄がいて、弟がいる。そんな事情は本書の割合に早い段階で説明されるが、シーナ少年はそのことを父の死後、姉が韓国に勤める人のところへ嫁いで行くに際し、詳しく教えてもらう。

 家族の秘密である。よく知らない親戚、両親の過去。幼心にそうした疑問を抱きつつも何となく聞けなかったものを、シーナ少年はやっと聞くことができる。

 家族というものは、謎である。私自身、両祖父の葬儀で数え切れないほどの、よく知らない親戚を目にした。どこまでが家族なのだろう? どうやったら家族になるのだろう? そんなようなことを考えながら、本書を読んだ。

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