哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

幸せな状態について

 

■幸せな状態について

幸せな状態についての議論であった。私にとって幸せな状態とは、他者との関係性の中に存在すると思う。それはそうであろう。実は我々は、多かれ少なかれ、他者と関係を持ちながら生活している。もちろん、そうでないと考える向きもあろう。しかし、例えば他人と関わらず、ひとえに芸術の道を行くという人がいたとしても、その人は、直接でなくとも作品を通して、先行の芸術家と語り合うことで、自分の作品に向き合えているはずであるし、他者と迎合せずに、ただ他者を蹴落としていく生き方であっても、それはそれで一つの他者との向き合い方である。

 

ゆえに、生きることは他者と関わることと同義である以上、幸せな状態もおのずと他者との関連性の中でのものと考えることができるだろう。では他者との関わりの中での幸せな状態とは、いかなるものであろうか。

私は他者との信頼関係を築きたいと考えている。職場、家族、友人、そのどこにおいても、である。しかしまだこの表現は抽象度が高い。目標の検証可能性という話を前回したが、その検証可能化とは具体化であり、言語化であり、つまるところ言い換えである。色々と言葉をひねくり回して、言い換えてみる、その結果、しっくりくる表現にたどり着ける。目標を立てることとは、その言い換え、こねくり回しの手数がものを言う。

 

ところで私がいまこうして、カチャカチャとキーボードをたたいて、やや焦っているのは、毎週土曜日22時投稿を宣言していながら、現在21:40でこのあたりであるからなわけであるが、そもそもこのブログを何故開設したかは、文章を書きたかったからである。文章を書きたいと思ったのは、私の過去を振り返った時に、文章を書いていた時、学生時代に文芸創作に明け暮れていた時が、もっとも幸福度が高かったように、私のメンターの目に映ったからであり、私はそのメンターの命令一途、NECLAVIEを購入し、こうしてせこせこ文章をしたためているわけである。

とはいえ、いきなり書きたいものを書くには、体力がいる。文筆体力である。その基礎体力を養うために計画されたのが、このブログ立ち上げであり、いまのこの私の惨状である。

 

ここで賢明な読者諸君は私が幸福との関連で上げた、信頼関係と文筆はどうつながるのか、という点に疑問を抱かれるであろう。もっともなご意見である。それについては、また後日。

 

■今週のごはん

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Taloba#アジアンカフェタロバ #タロバ #タイ料理 #パットウンセン #カーオパットクン #トムヤムクン #大人バニラアイス #幕張

 

春は出会いと別れの季節である。千葉県にある一店のタイ料理屋が、この度、その歴史に幕を閉じることになった。私にとり、行きつけのお店、その空気感を味わう機会がなくなること、店長の精力的なお人柄に触れる途がなくなること、そして何より、生活からここでのおいしい食事がなくなること、寂しさが募っている。ありがとう、タロバ。そういう季節である。