哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

カフェにて

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■カフェにて

 小粋なジャズが流れていた。軽妙なピアノの音と、楽し気な管楽器の音が響き、僕の心は少し、軽やかになる。

 しかし、と僕は目の前のノートパソコンに向かった。僕には書き上げなければならない物語がある。この物語を、今夜10時までに書かなければ、校了に間に合わない、そんなようなことを担当編集者が電話の向こうで、甲高い声をきぃきぃ言わせながら、まくし立てていたのだ。別に彼女のヒステリーに付き合ってやる義理はないが、僕にも生活がある。この連載を飛ばしたことで、仕事を失えば、僕の生活に何らかの支障をきたすであろう。そう思うと、僕は物語を書き終えねばならず、それは結果として、担当編集者の言いなりになるということであり、世の中世知辛いな、と思う。

 かくして、出版社の編集者という確固たる地位を得た、富める資本家はさらに私腹を肥やし、僕のように持たざる労働者、一介の貧乏作家は、さらに搾取をされ続ける運命にあるのだ。この図式から抜け出すには、宝くじでも引き当てるか、何かの間違えで自分の作品が空前の大ヒットを飛ばすか、しかない。

 その二つなら、よほど宝くじのほうが可能性が高いな。宝くじに当たったら、僕は書きたいものを書いて自費出版するんだ、こんな鼻毛カッター製造会社で、副部長と部長代理とが醜く争う物語はもう書かない、甘くてふわふわした童話を書きたい、僕はそんな、下らぬ妄想を抱きつつ、あたりを見回した。温かみのある明りに照らされたカフェの店内は、近隣の徘徊老人の居場所として賑わっており、店の入り口にあるカウンターの向こうからは、カフェの女給が僕のことを冷たい目でにらみつけている。当たり前だ、アイスコーヒー一杯で、そろそろ4時間が過ぎようかとしている。ここで粘るのも限界である。

 考えようによっては、全ての罪悪は僕の担当編集者にある。今日の夜10時までに書き上げろだなんて、無理難題を押し付けたのは彼女である。結果として彼女は僕の時間を搾取し、カフェの一角を僕をもって占拠せしめ、カフェの売り上げを減少させ、女給の心の平穏を乱したのである。この罪業はいかにして償われるべきであろうか。いや、決して償われることはないであろう、何しろ彼女は富める国、帝国主義での勝ち組である、僕やこんな田舎町の人々に与えられるものは何もないのである。

 そんなわけで僕は仕方なく、もう一度何とか気持ちを持ち直して、パソコンに向かうのである。相変わらず店内の有線からは、安っぽいピアノやサックスの音が、僕に何とか近づこうと迫ってくる。こんなものは耳にしか届かない、心に触れない偽りのミュージックである。しかし僕のような、決められたテーマに沿って物語を単純労働のように生産する、ある種の工場労働者、贋物の作家にとっては、この程度のチープな音楽がぴったりなのかもしれない。氷で薄まったコーヒーがなんとも、僕の心を映しているようであった。