哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

壁を登ること

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※画像はイメージです。

■壁を登ること

 先日、知人に誘われてボルダリングに行ってきた。ボルダリングとクライミングの違いが今一つわからなかったが、クライミングの中で低い壁を、シューズとチョークといった最低限の道具で登ることを、ボルダリングと言うらしい。

 楽しかったし、良い運動になった。私は腕の力でわしわし登っていくものと思っていたが、どうもそれだけではないらしい。肘を曲げて、身体を支えようとすると二の腕が疲れてしまうので、腕はだらんと伸ばして、足腰を上手く使いながら登っていく。ただ単純に体力勝負ではなく、登るための順路を考えたり、足をどこに置くかなど、頭を使いながら上達していくスポーツのようだ。がむしゃらに二時間、壁の様々な課題に挑み続けた私の腕、特に前腕はなんとなく力が入らなくなり、筋肉痛まではいかなくとも、回復に時間を要したという。

 それはそうと、ボルダリングの壁は社会の壁である。ボルダリングもそうであるし、その他のスポーツも、力だけではどうにもならない。基礎体力の上に、技術、そして頭がないと、登りきることはできない。それは社会の壁も同じであろう。
 社会の壁に挑むにあたり、折に触れて立ち止まり、ルート手順を見極めながら、頭を使いながらすごしていきたいものである。



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