哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

映画を観ること

■映画を観ること

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●妻よ薔薇のように~家族はつらいよ3~

 今週は二本の映画を観に行ったので、それについて書きたいと思う。

 まずはシリーズ三作目を迎える、家族につらいよである。東京物語をリメイクした東京家族のパロディというか、スピンオフみたいな形で、始まったシリーズと記憶しているが、三作目ともなると、安定感が出てきてしまう。それが良くも悪くもあったと思う。

 例えば私は寅さんは見たことがないのでこれは推測であるが、あの物語があれだけロングセラーになっているのは、寅さんというキャラクターの魅力と、最後はお決まりのエンディングに決着するはずという安心感というか、惰性で見続けられる緊張感のなさが一因であろうと思う。いうなればそれと同じ形で、こういう事件が起こった(ああ、この夫婦ならこういう事件は起きるよね)、あの人がああ言った(ああ、予想通り)、結末がやってきた(めでたしめでたし)、といった感じで、予測を大きく裏切ることはやってこないのである。

 まるで悪いように書いているが、決して悪いことばかりではない。悪い面を言えば、途中で見ていて眠くなることはあるが、それでもきっとこんな感じで結末を迎えるぞというゴールを決めて時を過ごせるというのは、観者としては非常な安心感を得ることができ、リラックスをしながら鑑賞するのに最適なのである。

 

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犬ヶ島

 すごい作品であると思う。私は大好きな作品であった。その好きなポイントを順番に挙げていこうと思う。

 まず、作品の雰囲気。この作品は舞台が近未来の日本であるが、それがまったくリアルでない。日本の伝統に対するステレオタイプに凝り固まった見方と、一昔前の日本の悪いイメージと、ディストピア系SFの世界観とをミックスしたような、そんな舞台となっている。その結果、主人公小林アタリの義理の叔父である小林市長が、相撲を見ているときに側近から情報を受け取ったり、風呂に入りながら反対勢力と面会をしていたりする。劇中劇みたいな形で登場する首なし侍は歌舞伎の隈取のようなメイクをしているし、そこかしこに漢字が溢れている。それが私にとっては、とても心地よい空間であった。別にそういった偏見に満ちた日本を舞台にしたり、また良いもんの中心に白人の交換留学生を据えるたりすることで、日本を批判したいという意思はないのだろう。むしろ黒澤明監督等、日本に対する関心の高さ故、そういった偏見に満ちた日本を作者も楽しみながら、苦笑いしながら、作り上げていったのではないかと感じ、思わずニヤッとできる世界が構築されたのだと思う。

 次に、物語の構成である。序章として、昔話、犬を救おうとした少年の話がなされ、そののち、いくつかの章立てがなされながら、物語が展開する。私はストップモーションの平面と立体とがごっちゃになったその画面と、この章立てがなされている点、目まぐるしく転換する舞台から、紙芝居を見ているような印象を受けた。まず、私はこういった章立てがなされている物語が好きである。これにより、作品にメリハリが出るからだ。長編でだらだらと続く物語もよいが、こうした章立てによって、各章時に独立した作品と振舞うこともできる。歌舞伎でも段ごとに独立して上演され、人気のある目玉のシーンだけが有名になっていくが、そんなイメージであろうか。また、目まぐるしく物語や舞台が転換することから、飽きがこないと感じた。

 そして最後にそのメッセージ性である。犬をそのまま、犬としてとって愛犬保護の映画とみることももちろんできる。しかしここで犬たちは、なんと英語を話すのである。人間の中にも、小林市長やメイジャー・ドーモのような悪もんもいれば、それに反対するヨーコ・オノやウォーカーのような良いもんもいる。また犬たちも、互いに食べ物を奪い合って争うシーンもあり、また協力して団結していくシーンもあり、決していつも一枚岩というわけではない。それはこの現実世界、人間の社会と一緒である。違う言葉を話す、文化が違う、過去の因縁がある、そんなことに縛られていても仕方がないのである。それよりは、愛犬を探して犬ヶ島(ゴミ島)に渡った小林少年のように、仕切りを乗り越えていく、そんな勇気を持つべきである。

 途中、日本語でしゃべる小林少年の言葉を、英語をしゃべる犬たちは必死に理解しようとしていた。私たちもその努力が必要なはずである。それは言葉の壁、文化の壁だけではないかもしれない。今日、通勤電車で隣り合わせた人は、当然にあなたとは別の人間で、別の思想、習慣を持っていて、なんとなく日本語で理解はしあえるかもしれないけれど、全てを了解しあえるわけではない。ただ日本語という、共通の言葉をしゃべるというだけで、中身は色々なところが異文化かもしれないのだ。そのことを臆せず乗り越えろ、そして語り合えと教えてくれる映画、そんな風に私は感じた。

 

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