哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

時間のこと

■時間のこと

 私は疲れている。月曜日から金曜日まで一週間働いて、土曜日は知人との会合があったので、日曜日の私は疲れているのだ。このところ月曜日から金曜日までの私が、張り切って働きすぎているため、土曜日と日曜日の私はしばしば割りを食っている。それでも土曜日の私なぞは、気楽なものだ。疲労回復を怠っても、どうせ日曜日の私が何とかするさ、といって、平気の平左で出掛けて行く。可哀想なのは、日曜日の私だ。月曜日から金曜日の私が作り、土曜日の私が見て見ぬふりをした負債を、一人で返済する羽目になる。

 さてそんなわけで、日曜日の私はしかるべき疲労回復法を実行したのち、こなすべきタスクに取り組むべく、外出をする等していくわけであるが、こうなると日曜日と言っても、ただ漫然とすごせば良いというものではない。一日の時間は有限である。その時間を有効に使いこなさなければ、とうていこなせる仕事量ではないのである。

 ところが、私はここでも失態を犯すのである。朝の私は、オーケイオーケイ、休養をとればいいのだろ、わかってるぜ兄弟よ、等と嘯いて、朝寝に入るのである。いや、疲労回復という目的に対して、その選択は悪くないのかもしれない。しかし彼は目覚まし時計に役務を依頼するといった、簡単なことをしないのである。だからであろう、朝の私の選択につられた午前の私は、じゃ俺も、等と言ったかどうだか、微睡の混濁の中を、私の午前中は、矢のように過ぎていくのである。気づけば昼である。

 それでも、今日の昼の私はきっちり仕事をした。身支度をして、目的の場所へ向かうという、つなぎの役割を果たしてくれた。その一手により、午後の私、夕方の私は、昼の私が敷いたレールの上を淡々と進むことができた。困ったことに、時間は後戻りしない。しかし、時間の感じ方進み方はその時々で異なると思う。それゆえに、有限であるはずの一日は、無限に拡大されるのではないか、と思う。あなたは今の一瞬を、だらだらとネットサーフィンをして、このような駄文を読んですごすこともできるし、音楽を聴きながら、フライパンを振って、玉乗りの練習をする等、密度の濃い時間をすごすこともできるのだ。自分の時間を、どろどろに澱んだ密度の濃いものにしよう、そうすれば一日に無限個のタスクをこなすことができるようになり、世界を救うこともできるでしょう。

 

宝塚記念のこと

f:id:crescendo-bulk78:20180624175339p:plain

 今日、阪神競馬場にて宝塚記念が行われた。和田竜二騎手の騎乗する、ミッキーロケット号が7番人気の低評価を覆して勝利した。和田騎手は17年ぶりのJRAのGⅠ制覇である。私が競馬を見始めたのがちょうどそのころで、和田騎手とテイエムオペラオーが圧倒的な強さを見せつけていたのは、印象に残っている。そのころから、競馬を見ていた時期、見ていない時期色々とあり、今は段々と興味が薄れて来ていたのだが、正直、もうGⅠに縁がないのではないかと思っていた和田騎手がこうして勝利をしてくれたことは、私としても大変うれしく、今後のさらなる活躍を期待せずにはいられないのである。和田騎手、本当におめでとうございます。これからも競馬を盛り上げてください。と思ったのである。