哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

未来のミライ(細田守監督)のこと

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■子どもの心象風景による複線的な物語についての一考察

 

 本日、平成30年7月20日、公開当日に細田守監督の最新作、未来のミライ錦糸町のTOHOシネマズで鑑賞し、その足でネットカフェにこもって、この文章を書いている。細田守監督の作品は、時をかける少女サマーウォーズおおかみこどもの雨と雪、そしてバケモノの子と見ていたが、どれも格別に好きというわけではなかった。時かけはなんかピチピチした若者がイチャイチャしていて、自分の現実と比して、悲しくなるし、おおかみこどもが巣立っていくのは悲しいし、バケモノの子はいい雰囲気で話が進んできたのに、クライマックスが意味不明で悲しかった。サマーウォーズはなかなかよいエンターテイメントであったけれど、特に印象は強くない。あと最近二作品は、宮崎あおいが声を当てているのがよかった。私は宮崎あおいが好きなんだ。

 それはそうと、そういう意味で今日は何の期待もせず、用事と用事の間の時間が余ったので映画館に行き、たまたま公開初日であった本作を鑑賞するに至ったわけで、格段の期待もしていなかったし、こうしてすぐに感想を書くつもりもなかった。それでも、こうしてすぐに文章を書きたくなってしまったのは、本作が細田守監督の、現在のところの最高傑作であると感じたからであるし、これを見てしんみりと平和な気持ちになったからである。

 さて本作は主人公である4歳の男の子クンちゃんのところに、生まれたばかりの妹、ミライちゃんがやってきたことによって始まり、その後のクンちゃんの成長を描く物語である。ネタバレにならないように、詳細なあらすじは書かないでおくが、このクンちゃんの元に未来から、大きくなった妹のミライちゃんがやってきたり、そのほか、家族、親族の過去や未来に触れながら、クンちゃんは成長していくのである。この物語がすごいのは、これこれこういう山があって、それを乗り越えたからクンちゃんはこんなに成長しました、という話ではない点である。これまでの細田作品はじめ、多くの文学作品は、この点でつまらないのだ。何か物語の中心に大きな山場をすえて、その因果でもって、話を終結に導きたがる。人間の成長とはそうした、単線的な物語によるものだけではない。むしろ、そのような大きな山を乗り越える人など、あまり多くはないだろう。たいていの人は、誰もが経験するような、こじんまりとした丘を日々、何度も越えることで、一気にではなく、少しずつ成長するのである。今作のクンちゃんはまさにそのような形で、新たな人と出会って、少しだけ成長する、その繰り返しの中で日々前進し、物語が終わるころには確かな進歩が、描き出されるのである。

 そしてその各々の出会いというのが、非常に取り留めのない、唐突なものたちなのである。細田監督が唐突な人だというのは、バケモノの子のクライマックスを見てよくわかっているのであるが、ともかく、よくわからんところでクンちゃんはつまずき、よくわからん展開をして、気がついたら、少しだけ彼は前に進んでいる。でも考えてみれば、子どもってそうなのである。日々、よくわからんことにこだわり、悩み、そして自分なりに解決する。こういうのが、大人が忘れてしまった、子どものころのみずみずしい感覚というのかもしれないけれど、私は忘れてしまったので、わからない。しかし、そういう子どもの感覚、クンちゃんの心象風景だからこそ、そういう小さな唐突たちが描きえたのではないか、そう思う。

 子どものころって、物語として聞かされたことが、現実のようなリアリティをもっていたり、現実の中に、見たこともないバケモノが潜んでいるとおびえたり、リアルとフィクションの壁が曖昧だったりすると思うのだ。その曖昧さを、映像化したら本作のようになるのだと思うし、確かにそういう曖昧な思考の中で子どもは成長していくのだなあ、と思うのだ。

 細田守、すごいなあ、と思う。取り留めのないクンちゃんの心象を漏らさず描き出すことで、きちんとひとつの映像作品に仕上げているのだから。後は何点か、印象に残ったシーンを。馬に乗るシーンがある、馬に乗り、しかる後に鉄の馬に乗る。かっこいい、クンちゃんの感想はそのとおりであると思う。後は未来の東京駅が出てくる。近未来の想像ってどうしてこう、気持ち悪くも、人の心をひきつけるのだろうと思う。ありがちな光景であるが、作品の中で近未来を妄想するとき、ユートピア要素とディストピア要素が、過剰に強調されている。でも、こんな東京駅、見てみたいなあ、という光景であった。

 ところで、こうした子どものみずみずしい感情を扱う、と思われるアニメ映画が、この夏、もうひとつ公開される。森見登美彦原作のペンギン・ハイウェイである。こちらのほうは、原作を読んだときに、主人公アオヤマ君の初めて触れるものに対する、子どもらしいみずみずしい気持ちが非常にうまく描き出されていると、森見氏の最高傑作であると感じ入った覚えがあるので、とても期待している。この夏、どちらもアニメではあるけれど、是非とも大人が観て、忘れてしまった子どもの頃の感情を思い出してほしいなあ、という作品である。もっともそんな感情を子どもの頃に抱いていたかは、私は忘れてしまっているから、わからないのだけれど。

 

mirai-no-mirai.jp

 

penguin-highway.com