哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

今日考えていたこと

■今日考えていたこと

●国立新と新国立のこと

 今日、朝7時半に起床し、もぞもぞと支度をして、8時半頃自宅を出発した。千代田線の乃木坂駅から、直結の国立新美術館に到着したのは、開館時間の10時を15分ほど経過したときであった。道中、国立”新”美術館、”新”国立劇場、”新”国立競技場の関係性について考えていた。国立新美術館は、国立美術館法に基づき設置された独立行政法人国立美術館の所管する美術館として、国立近代美術館や、国立西洋美術館に連なる、国立の新しい美術館として、2007年に開館した。一方、新国立競技場は、独立行政法人日本スポーツ振興センター(JSC)が管理運営する国立競技場(国立霞ヶ丘競技場国立代々木競技場・国立西が丘競技場(現味の素フィールド・西が丘)の総称)の内、国立霞ヶ丘競技場内にあった国立霞ヶ丘陸上競技場の改修後の呼称らしい。一連の国立競技場施設ではなく、もともとあの競技場こそ、国立競技場と見なされている感が強かったことを考えると、新国立競技場という呼称は、新しくなった国立の競技場といった趣で了解しやすい名称であると思う。このように新と言っても、その成立過程を考えるに、その置き場というのは非常に重要であると思うのだが、果たして、新国立劇場の新の位置はこれで妥当なのであろうか。国立劇場独立行政法人日本芸術文化振興会によって運営される、歌舞伎等の日本の伝統芸能を上演する劇場である。その日本芸術文化振興会より業務委託を受けて、オペラバレエ等の西洋の芸能や、現代演劇を上演する新国立劇場の、管理運営を行うのが公益財団法人新国立劇場運営財団であるが、その辺の細かい事情はともかく、新国立という呼称が、まるで旧来の国立劇場をぶっ壊して、新しい国立劇場を作ったという印象を与えてしまっているような気がするのである。しかしそんなことより驚くべきは、これだけ多くの、劇場、美術館、競技場を擁する、国立市の財力である。それだけ文化、芸術、運動、健康への関心が高い街なのであろうという、素人っぽい感想を述べるにとどめておくが、これだけ国立を冠した施設が大量にあるというのは、そこに黒い金の流れがあるのではないかと、疑念を抱かずにはいられないところである。

 

ルーブル美術館展のこと

 さて今日、国立新美術館に赴いたのは、「ルーブル美術館展 肖像芸術―人は人をどう表現してきたか」を鑑賞するためである。

 

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 到着して早々、上のような大行列である。それでも入場待ち時間が20分であったので、マシな方であったのだと思うのだが、それでも美術館に入る前段階で、これだけの人に囲まれて20分待つというのは、体力を削り、気力を削ぐところがある。というかこれが分かっていたから。あまりこの展示は来たくなかったのであるが、ひょんなことから無料券を手にしてしまったせいで、行かないわけにもいかざるを得ず、というか私のような、そこまで見たくもないけど、タダ券があるから行かなきゃ、みたいな人が大量に来るから、件の有様になって、また人々の来館の気を削ぐ、みたいな流れになるのではないのか、と思うのだがいかがだろう。というかルーブル美術館展に皆が何をこんなに求めてきているのか、教えてほしい。最後のアルチンボルドの春と秋は、おお有名な奴やんという感動があったし、その他の彫像、絵画も美しいものはあったし、約110点の出展品はどれも価値のあるものばかりなのであろうが、もっと見るべき作品はいくらでもあって、例えばこの間、千葉市美術館で鑑賞した平塚運一展とか、かなりすいていたけれど、そちらの方が日本の古き良き時代を映した作品や、木版の技巧を見せつけてくれる作品が多く、万人受けするんじゃないの、と思うのだが、どうも西洋作品の美術展は必要以上に込み合っていて好きくないのである。その辺はまた、展示の仕方の問題、というのもあると思う。今回の展示は110点程と数は多くないのだが、細かい作品があり、そのあたりのガラスケースに人が群がり、また作品の真ん前でイヤホンガイドをじっくり聞いて、子供にイヤホンを付け替えて聞かせて、とされている方がいたりと、列が滞留する原因があったと思う。美術館が使えるスペースは限られているのだから、それに従って、より作品を厳選するなど、一つ一つの作品に対して、広くスペースを使って、来館者に良い時間をすごしてもらうような試みも必要なのではないかな、と感じた。

 それはそうとして、良かったと思う作品は、モデルの瞳がとてもきれいな絵画、エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブラン《エカチェリーナ・ヴァシリエヴナ・スカヴロンスキー伯爵夫人の肖像》と、大理石の彫像なのにマントのふわふわ表現が巧みな、クロード・ラメ《戴冠式の正装のナポレオン1世》である。

 

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●その後の私

 12時半、御茶ノ水のグリーンパッタイでグリーンパッタイを食した後、帰途に就く。現在、地元の図書館でこの文章を執筆。そろそろ図書館が閉まるので、ほかに考えた、信仰なき祈りについての考察と、全てはより良い時間をすごさせるためのサービス業である、ということについては、誰かが書いてくれれば良いと思う。