哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

世界はおばあさんでできている

■世界はおばあさんでできている

 

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 その日は、前日までの夏日が嘘のように、急に肌寒くなった日であった。仕事帰りの電車は、都市部を離れるにつれて、徐々に人影もまばらになり、私の住む町に着くころには、ただくたびれたスーツを着た中年の男性が、ぼんやりと窓の外を流れる夜の家々の灯りを、眠そうな目で追っているばかりである。

 私とて、あまりその中年と出で立ちは変わらない、座席から立ち上がって、よれよれの、ダークグレーの背広の埃を払うと、網棚の上から、若いころになけなしの給料をはたいて買ったきりの、こげ茶の革鞄を下し、電車を後にした。ほかの車両からも、ちらほらと乗客が下りてきて、おもむろに扉が閉まると、黄色く塗られた電車は、さらに都市部から離れ、海へ向かって走り去っていった。ホームから階段を上り、駅員に定期券を見せて、駅舎を去る。まだ夜の九時前だというのに、私の住む町はしんと寝静まっているかのようで、心の中までうすら寒いように思われた。ぽつりぽつり、等間隔に並んだ街灯も、どこかよそよそしい。

 ふと見ると、少し離れた家の表に、二つの人影があった。大きいのと、小さいの。遠目から見ると、それはお父さんと息子のようであった。ぼつぼつぼつと私が歩みを進めると、薄明りの中で段々と、その二人の輪郭が、次第にはっきりとしてきた。ああ、なるほど、大きい方はおばあさんであった。おばあさんと言っても腰がしゃんと伸びた、がっちりとした体格のおばあさんであり、それゆえにお父さんなどと見えたのだろう。なるほど、すると隣の小学生ほどの大きさのは孫か、そう思って目をやると、そちらは姿勢が、奇妙な風に腰のところで折れ曲がっていた。あれをくいと引き延ばせば、隣のそれと背丈は変わらない、そして、それは杖につかまって腰を曲げた、小さく縮こまったおばあさんであった。なんと、人影はおばあさんとおばあさんであったのである。

 世界はおばあさんでできている。人の心の薄暗がりに、皆は隠れて本性を見せないようにしているが、全てのものは一皮むけばおばあさんなのである。そう思った刹那、私は驚愕する。そうだ、わたしもおばあさんであったのだ。

 

 このように、世界の真理に、ふとしたきっかけで目覚めてしまうことは多い。僕は先日、渋谷区千駄ヶ谷のモンマスティーに行った。この店ではドリンクを一つ購入すると、スタンプを一つ押してくれる。そのスタンプが十個溜まると、好きなドリンクと交換できるのである。ここのお店で最もリッチなメニューが、モンマスパフェなる、モンマスティー(ミルクティー)に生クリームを乗せ、さらにお好みのアイスをトッピングしてくれるドリンクだ。お店の優しいお姉さんに満々になったスタンプカードを提示すると、向こうからパフェにします? と聞いてくれた。僕はそれをお願いした。アイスのおすすめは黒蜜きなこだと言うので、そのお姉さんの言いなりになって、モンマスパフェ黒蜜きなこアイスのLサイズを発注した。通常価格四八〇円が無料である。

 想像してほしい、一杯のミルクティーだけで十分に美味しいのである。ここのモンマスティーは茶葉が香り高く、濃ゆいミルクティーで、それだけで絶品である。そして一匙の生クリームだけで、美味しいのである。そしてさらに、一玉の黒蜜きなこアイスクリームだけで、十分に美味しいのである。それらを全部合わせるとどうなるか。とても美味しくなるのである。

 そういえば、似たような経験を最近したと思いだした。先月、静岡県の伊東に、旅行に行った折のことである。スイートハウスわかばという喫茶店に立ち寄った。ここの売りは、自家製のソフトクリームで、季節によって甘さを変える等、工夫を凝らした逸品である。そのソフトクリームとプリンを添えた、スペシャルホットケーキ九五〇円、なる食べ物を、頂戴したのである。これはホットケーキではないです、と思う。いや、確かにホットケーキなのだけど、プリンであり、ソフトクリームなのだ。そのどれもが、きちんと一人で頑張れる子なのに、それを相盛にして、なおかつ、これがスペシャルなホットケーキなのです、と言い張るのは頭がおかしいと思うのだ。そしてそのどれもが、異常なまでに美味しいので、それらを三つ一度に食した私は、何らかの進歩を遂げた気になったのです。

 誰もが、大好きなこれと、次に好きなあれと、あれとこれとそれ、全部一緒にしたら美味いんじゃね的発想をもつ。子供であれば、あまつさえそれを実行しようと、妄想し画策するかもしれないが、大人になった我々は、常識という枷に囚われて、時としてそれを実行しようなどとはとても考えないのである。しかしそれを実行して、そして見事に成功している、至極の美味を実現している飲食店が存在するのである。人間が想像できることは、人間が必ず実現できる(ジュール・ヴェルヌ)のである。

 

 私はおばあさんであった。その言葉が何度も心の中を去来した。世界はおばあさんでできている。しかし、私には、そうではない世界を妄想することができる。おばあさんではなく、中年の男性や、優しいお姉さんのいる世界、おばあさんではなくて、ミルクティーやホットケーキのある世界を。そしてその世界が実現されなければならない、この世界のすべてがおばあさんであるなんて、あまりにも悲しすぎるではないか。しかし、そうでない世界を、おばあさんだけではなく多様性に満ち満ちた世界を想像することは、私一人のちっぽけな妄想力では、叶わなかった。仲間が必要である。おばあさんになってしまったこの世界を救う、ヒーロー戦隊が必要であった。その気づきが、私におばあさん撲滅運動(OBU)に身を投じさせた、きっかけである。

 

 

 

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