哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

みること

●みること

◎青山能、3D能、ボヘミアン

 今、我々は多種多様なものをみている。 生活のためのみるから、美術品を鑑賞するのみる、舞台の上で繰り広げられる芸能をみる、そして、テレビやインターネットを通して映像をみる。中でもこの百年程での映像技術の発達はすさまじく、我々は現実には経験しようのないような世界を、映像として目の当たりにすることができる。かつて、そうほんの百年前まで、人々は舞台の上で役者が、物語のヒーローの振りをするモノマネに熱狂し、彼らの活躍を想像したものだが、しかし現在はその想像力を働かせる間もなく、映像は過剰なまでのリアリティをもって、我々の瞳に飛び込んでくる。目まぐるしく進化する映像と、古来より脈々と続く舞台芸能の特徴を踏まえつつ、今回はみることについて考えてみたい。

 まず、私が最近見た、能、青山能と3D能エクストリーム、そして映画ボヘミアン・ラプソディについて感想を記しながら、そこから三者の違いや共通項を探って、まとめていきたいと思う。

 

■青山能@銕仙会能楽研修所(表参道)のこと

 地下鉄表参道駅から徒歩十分ほど、ステラ・マッカートニー等のお洒落なアパレル店が立ち並ぶ一角に、その能楽堂はある。 道を挟んで真正面はヨックモックのカフェであり、この店は何故か頼んでもいないのに、シガールが付いてくる。

 

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 それはそうと、お能の話である。能には流派が5つあり、またその流派の中でも、 家によって派閥に分かれていたりする。今回観能したのは観世流の中でも観世銕之丞先生を中心とした、銕仙会のお能である。

 こちらの銕仙会能楽研修所は自由席で、きちんとした座席もなく、段々となっているところに座布団が敷いてあるので、早い者勝ちで、好きなところに座る。私は開演の15分前に到着したら、あらかた埋まってしまっており、正面最前列のワキ柱の真ん前辺り、見上げるので首が疲れるし、柱が邪魔だが、とにかく舞台が近いので、演者の息遣いまで感じられる辺りに座った。

 

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 この日は仕舞が2番に、狂言が「清水」能が「天鼓」である。こんなに間近での観能は初めてで、迫力があり、狂言では野村太一郎先生の、武悪面の裏から滴る汗までとらえることができ、驚いた。

 また、お目当ては能のシテ鵜澤光先生であった。小柄な先生の姿が、子供のキャラクターである天鼓によく似合っていると思ったが、あまりこういう写実的なことで能楽師をほめてはいけないのだろうな、と思う。また後場の舞は、装束が煌びやかなこともあり、華があって大変美しく見えた。

 事後の能楽レクチャーで観世淳夫先生が言っていたが、シテが鼓を打つシーンは、演出によって、囃子方の音に合わせるシテと、はずすシテといるのだそう。今日の光先生は外していた。それゆえ、どういう音が鳴っているのか、いや天鼓の声がしているのか、そういうのを想像させる必要があるのだと言う。

  能は数多ある舞台芸能の中でも、抜群に想像力が必要な芸能である。何しろ、舞台セットは能舞台と、簡素な作り物だけ、ストーリーにかかわるのはシテとワキの二人なのだから。それでもこうして迫力の舞台を前にすると、そう難しく考えずに、ぼーっと、目の前で起こることを、ああ綺麗だなあとか、リラックスできるなあ等と、眺めているだけで素敵な時間が過ぎていくものだな、と思うのである。必ずしもすべてを理解する必要はない、ただ、目の前の出来事を、楽しめばいいのだと思う。

 

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青山能(年間予定) | 銕仙会

 

■3D能エクストリーム@東京芸術劇場シアターイースト(池袋)のこと

 青山能の数日後、私は池袋にいた。東京芸術劇場の3D能エクストリームを見に行くためである。

 

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 この公演は能楽師が舞っている後ろのスクリーンに3D映像を投影して、 能と映像を融合させるという試みを行っている。能が二番上演されたが、最初の「熊野」では、背景に牛車が動く様や、舞い散る桜の映像が流れるので、詞章を聴きとれなくとも、きちんと舞台を想像できる、というか知ることができるため、物語が分かりやすい。

 また私が鑑賞した会は、案内役として、落語家の立川志の八さんが公演前や場面の転換ごとに話をしてくださり、二番目の能「葵上」の葵上役として、舞踊家の花柳まり草さんが舞ってくださっていた。特に葵上は普通の能では置かれた装束だけで表現されるので、配役がなされているというのは驚きだったし、舞姿はきれいであった。また志の八さんは、師匠の志の輔さんに似た語り口で、本当に話が面白く、物語の世界に自然と入り込むことができた。

 もちろん、この日シテを務めた、川口晃平先生も素敵であった。「葵上」はホラー仕立てで、最後は目の前の観客が映像に移りこむ演出で、ドキッとさせられたし、こういう観客を世界に引きづりこんで、演者の見せたいものを見させる能があってもいいと思った。

 

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ボヘミアン・ラプソディ@京成ローザ10(千葉中央)のこと

  多少、史実と違うところはあるようだが、フレディさんのドラマチックな人生を、丁寧に描いている。ただ、ネットを見ていると、途中端折り過ぎで、面白くないという意見も見たし、私がもともとクイーンのファンで、物語に不足があっても、適度に補いながら見てしまったのかもしれない。あと、作中ひたすらクイーンの名曲が、原曲の音でなり続けているのは、卑怯。だからクイーンの名曲の新しいミュージックビデオくらいの感覚で見れたのかもしれない。

 とにかく面白いには面白かった。特に見どころは、口ひげのおっさんと口ひげのおっさんが、唇を奪い合うシーンと、ジョン・ディーコンさんのライヴ中の動きが、本物そっくりでかわいいところ。

 ジョンさんに限らず、主役のフレディさんはもちろん、ブライアンさんもロジャーさんも、本物にそっくりである。映像は、まるでそれが史実であるかのように、フレディの人生を我々の目の前に映し出すことができる。これって怖いことだと思う。もちろん、ブライアンさんとロジャーさんが監修しているのだから大筋では間違いはないのだろうが、それでもフレディさんが本当に考えていたことが描かれているのか、作り手の見せたいフレディさん像を見せているような気がして、これだけがフレディ・マーキュリーさんの真実ではないのかも、と根拠もなく思ったりする。それでもクイーン、フレディ・マーキュリーさんに興味を持って、これから知っていこう、という良いきっかけにはなると思うし、もし私の伝記映画を作る人がいたら、このブログに書いていることはあまり信用しないでほしいと思う。

 


Queen - I'm In Love With My Car (Official Video)

 

www.foxmovies-jp.com

http://www.rosa10.net/

 

■みること

 さて、総じてみることとは何であろう。みることは、想像することだと思う。能では多くをみせてくれない。視覚情報さえ削っているのである。例えば作り物、その現実の似姿ともいえないようなへなちょこから、我々は、舞台となった土地の光景を想像する。しかしそれに映像が加わった3D能では、我々は何を想像するだろう。そう、体感を想像するのだ。牛車の映像や桜の映像は、我々から想像するための空白をすべて奪ってしまったわけではない。例えば牛車のごとごと揺れる様や、桜を舞い散らす風の圧などは、ただ普通のお能を観能した時よりも、鋭く想像できるかもしれない。そこに想像の余地は残されているのである。そして映画では、はたしてボヘミアン・ラプソディで私は何を想像したのだろう。それは真実をである。想像された真実は単なる妄想であり、虚構である。しかし私は現実のフレディ・マーキュリーさんを想像するのである。うん、あのポール・プレンターさんに唇を奪われたのが真実なら、ヤバいって……。

 

 ■総括

 日本人の敬称に英国人を揃えるのは無理があったかもしれない。