哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

宗八①

■珈琲ショップのこと

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トイレの脇におにぎりがおきざりにされていることもある。

 ■宗八①

●Zum Ewigen Frieden

 だから、問題なのはスキンヘッドの人間が、果たしてシャンプーを使うのか否かなわけさ。え? 

 いいかい、家の風呂場のボディーソープがなくなってしまう、これは往々にしてあり得ることなんだ。だけどよ、その時に速やかに詰め替え用ボディーソープを棚から引っ張り出してきて、詰め替えるなんてこたあ、粋じゃねえんだ。まあ、とりあえず、ボトルの口を外して、ボトルをひっくり返して、ソープが垂れてくるのを待ったり、そういう戦いが始まるわけさね。これは俺とソープとの戦いなわけさ。 

 しかし、その戦いにもいずれ終わりが来るわけさ。ソープはねえもんはねえんだ。いくら振ってもこそぎ落としても、やがてソープはなくなる。いいか、戦いは必ず終わるんだよ。その終末は大抵が悲劇だ。そしてそうした戦いは、新たな戦いを連れてくるんだよ。 

 ボディーソープとの、第一次ボディーソープ大戦に敗北した俺は、同居人との第二次ボディーソープに突入するわけさ。やつはやつで、俺と同じように、ボトルにへばりついたソープとの間で第一次大戦を戦い、疲弊した、謂わば敗戦国同士の泥仕合さ。互いにもう戦いなんざ、望んじゃいねえ。しかし、ソープをボトルに詰め替えるなんてこたあ、粋じゃねえからな。昨日までボディーソープ軍を相手にバラバラに戦いつつも、なんとなく敵の敵は味方のような友達意識のあった、戦友と、明日は敵同士になるんだ。悲しい世の中だよな。 

 こうなった以上、負ける訳にはいかねえ。正々堂々勝負して栄光の勝利を勝ち取るため、俺はひとまず、シャンプーで身体を洗うわけさ。謂わば第二次ボディーソープ大戦の局地戦として、シャンプー戦争が始まるのさ。まったく、争いの火はあっという間に燃え広がるんだ。 

 ところで、シャンプーっていうのは、身体を洗うのに使っていいのかってことだよ。知らないよ、俺は。シャンプーは本来は髪と頭皮を洗うものなわけだろ。ということはだよ、頭皮を綺麗にしてくれると言うことは、頭以外の皮膚だって綺麗になる訳じゃねえか? 

 てことは、能力的にはシャンプー>ボディーソープな訳だよ。てことはだよ、ボディーソープなんて要らねえんだ、髪も皮膚も綺麗にする、シャンプーだけあればいい、そんな世の中が、来てねえんだよな? てことは、違えんだよ。なんか、根本的な、わかりあえない違いがあるわけだよ、シャンプーとボディーソープには。 

 ここで、思うのはだよ、頭に毛があるからシャンプーを使うわけだよ。毛がねえ他の身体の部分には、ボディーソープを使うわけだよ。だから、問題なのはスキンヘッドの人間が、果たしてシャンプーを使うのか否かなわけさ。え? 

【後】

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