哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

『フォルトゥナの瞳』公開に寄せて

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Fortuna

 2019年2月、映画『フォルトゥナの瞳』が公開された。これは百田尚樹氏による小説の映画化であり、ある日、死期が近い人が透けて見えるようになった男性とその恋人とのラブストーリーである。私はこの原作小説を読んでいないし、映画も観ていないし、観る予定もない。しかし、これによく似た話を先日聞いたばかりであり、そのことを書きたいと思う。以下は、その話を私にしてくれた友人、掘綱君の物語である。

 

 これは、私が三十年間勤めあげた、香炉灰の製造メーカーを退職したころの話ですから、もう三十年前になるでしょうか。え、香炉灰が何かって? もちろん、あの仏壇のお線香を立てるために使う、灰のことですよ。それを製造するのです。その辺の砂をほじくってくれば良いわけではありません。安価なものですと、珪藻土という、土を使うこともあるのですが、植物を燃やした灰を使用した方が、お線香が燃え残らず、軽く、灰が舞い上がらず、匂いもなく、と品質が良いのです。特に高級なのはわらを灰にしたものだとか、あとは水面に生える、菱、という植物を燃したものですね。菱は、その名の通り、菱形をした葉っぱが水面に広がっていますので、それを引っこ抜いてきて、葉っぱや実を燃して、灰にするわけです。

 もっとも、私もこの辺りの詳しい製造方法や、手順については、あまり詳しく存じ上げません。というのも、私はこの会社にいたほとんどを、経理畑ですごしていましたから。ごく若いころは、営業や工場での製造に回された時期もありましたが、向いていなかったのでしょう、少なくともうちの社長にはそのように見られていたようで、すぐに経理に戻されてしまい、日々の出納の管理やら、毎月の決算の締め作業等、私の三十年間のほとんどは、数字と格闘する毎日でした。サラリーマンとしてすごした最晩年は、経理部長なんて言う肩書が付いてしまい、毎日毎日、部下がまとめた書類を確認し、小言を言い、掘綱という判子を押すのが仕事です。思えばつまらない毎日でしたね。

 さて、そんなことはどうでもいいのです。私が本当に話したかったのは、仕事の話ではないのですから。わたしの家庭の話をいたしましょう。私には、両親が六人いました。それを一人一人、ご紹介しましょう。まず、私の父の堀綱仁志のことを。彼は堀綱家の家業であった、ムササビの繁殖にその人生を費やした人です。画期的なムササビ飼育器、ムササビホレホレを発明、製造したことで、世界初のムササビ飼育のオートメーション化に成功したムササビ王として知られ、巷でムササビ御殿と呼ばれる、私が現在住んでいる家を建てました。しかしその父も齢九十六を数え、寄る年波には勝てず、彼の意識は夢幻の彼方へ滑空していってしまったようで、ムササビとモモンガの区別もつかず、それどころか自分のことをモモンガ男爵であると誤認しており、周囲の者にやたらめったら威張り散らしていました。私は父の期待に背き、家業を継がずに、自分の関心のあった老舗の香炉灰メーカーに就職してしまったので、若い頃は勘当同然の関係でしたね。

 その勘当が揺れたのが、私が勤め先の株式会社大日本香炉灰で、経理係長をしていた頃だから、三十代半ば、父は七十くらいのことでしょうか。突然、会ってほしい人がいると連れてきた人がいて、新しいお母さんだと言われ、たいそう肝を冷やしましたよ。三十半ばで新しいお母さんだなんて。そうそう、うちの父と母は、私が高校生の頃に離婚していましてね、父に育てられたのですよ。

 それで我が家にやって来たのが、仁美さんです。え、家ですか? もちろん、私は生まれてこの方、例のムササビ御殿で父と同じ敷地に住んでいますよ。家には家族でも何でもない人が頻繁に出入りしていましたから、それを思えば、元家族が居残っていることくらい、父は気にも止めなかったようで、勘当された私も、離婚した母も、同じムササビ御殿で生活していました。

 さて、仁美さんは初め、二十代半ばだと言って紹介されました。父とは五十くらいの年の差だと。アホかと思いました。仁美さんはキャリアウーマンというのですかねぇ、詳しい内容は私には教えてくれませんでしたが、サービス業とか、人材派遣みたいな仕事のスタッフで、一晩で何万も稼ぐとか、父はその仁美さんの仕事の関連の、顧客として知り合ったそうですよ。ところがこの仁美さん、以前に免許証を見せてもらったら、生年月日が私より前だったんですよね。どう言うことでしょうか。

 母は、お話した通り、やはりムササビ御殿に住み、父と離婚してからは、御殿の一室を使って、茶道教室をやっていました。口癖は、キッチャハニホンノココロネ、でした。あ、そうです、母はフィリピン出身です。名前はアニータ・フォーチュンと言います。そしてその母の配偶者が、マカオゴッドファーザーを自称する、マリオ・フォーチュンです。この人が私の二人目の父ですね。

 母は、離婚した父、堀綱仁志より一つ二つ年下のはずですが、九十代の半ばです。父のように、夢の彼方へ意識が飛んでしまっていることもないのでしょうが、性格は頑固になりました。この間、スーパーマーケットの東友で、マグロの刺身を割引してほしいと駄々をこねて、ニッポンジンツメタイ、と叫び散らしていました。もちろん、慌てて止めましたが、一週間くらい、母はそのことをぐちぐちとこぼし、止めに入った私のことを呪いました。

 マリオは、八十代後半でしたかね。私の六人の両親の中では、もっとも落ち着きある人物です。もともとは、マカオのカジノを取り締まる会社にいたそうですが、その会社と、日本の西の方にある、山田組とかいう、地域の警備や商業の取り締まり、用心棒や薬の販売など多角経営を行っている、全国規模の企業と業務提携したそうで、人材交流、といった形で来日しました。そうそう、仁美さんの勤め先は、マリオの関連会社だということでした。そうした大きな企業できちんと務めていた人らしく交渉力が高いようで、母のアニータはたびたび、近所とトラブルを起こしていたのですが、マリオが話をつけに行くと決まってすぐに、問題が解決するのです。私も一度、上司のパワハラが酷いとマリオにこぼしたことがあったのですが、その上司は一週間後には離島の事務所に異動になったそうで、その後、姿を見ませんでした。本当に家族思いの、良い人物です。

 そして五人目の親は、私の妻の父である、夢野旅人です。妻は、お義父さんを残して、娘とともにどこかに行ってしまったのですが、私が寂しくないように、義父を残していってくれたのでしょうね。歳は八十代半ばだったと思います。若いころから小説を書いていて、執筆に熱中すると、寝食を忘れ、しばしばトイレに行くことを忘れました。トイレに行くのを忘れるくらいなら、いっそ、排便も忘れてくれれば良いのですが、そううまくはできていないようで、脱糞してしまい、よく私が後片付けをさせられました。そんな義父があるとき泣いていました。聞けば、漏らしてしまったと。私が義父のブリーフの黄色いシミをゴシゴシ洗いながら、事情を聴いたことによると、執筆に熱中して漏らしてしまうのは、仕事だから仕方がない、それも職務の内だ、だが今回は熱中もしておらず、休憩中に桃色写真集を覗き見ている間に、催してしまったと、ワシは耄碌した、おしまいだと嘆きました。私は義父を精いっぱい慰めて、最新のオムツをプレゼントしました。

 義父は、執筆は仕事と言いつつ、彼の本は一度も出版されたことはありません。だから収入はありません。持ち物はペンと原稿用紙だけでしたが、そういった消耗品もどこから調達してくるのかわかりませんでした。そんな誰にも読まれていない、家族ですら目にしたことはない義父の作品のうち、本人は『Fortuna』という小説が代表作だと言っていました。崩壊した家族がなおも存続しようとする出どころ不明のエネルギー、一家の歴史を描いた大作だと自称していました。その説明だけだと、とても興味を惹かれるのですが、義父はかたくなに、誰にも作品を見せず、その物語の原稿がどこにしまってあるのかと問うと、決まって自分の頭を指さして、はぐらかしました。

 さて、最後に私の生物学上の父である、チチを紹介しましょう。チチはどこか南の方の国の出身です。父や母より少し年下で九十くらいのはずでした。もともとは父のムササビ飼育の手伝いをしていたのですが、どう見ても日本人の父と、アジア系の少し浅黒い肌の母から、ご覧の通り明らかに黒人である私が生まれたので、同じ黒人であるチチが疑われ、DNA鑑定をしたところ、ズバリ、であったわけです。信頼していた母と使用人が仲良くて、大変結構だと、父は喜んだと聞いていますが、それ以来、父がより一層、ムササビの繁殖に没頭したのは事実です。

 ともかく、チチはその後も我が家に居座り、父の良き部下であり、毎日のようにエディ・マーフィーのモノマネをして、家族や周りの人間を笑わせました。

 

 さて、私は三十年前、こんな六人の両親と同居していたのです。ついでに家じゅうを、ムササビが飛び回っていたので、部屋の中は彼らの食べ残しと糞尿にまみれていました。明らかに、父と母には介護が必要でしたし、義父も放っておくわけにもいかなかったですし、チチはエディ・マーフィーのモノマネを笑ってやらないと、一日不機嫌になるので面倒くさかったです。マリオもいつ警察に捕まるかわからなかったですし、私がなんら責任を取らなくとも自立して生活してくれそうなのは、仁美さんだけでした。

 私にとっては、六人は皆、両親なわけですが、仁美さんにとっては父のことは夫であるとはいえ、他の人は皆他人。父が死んでムササビ御殿を相続し、皆を追い出す事だけを考えていたようですし、私の助けにはなりませんでした。そんなわけで五十から六十歳頃のわたしは、職場では数字を眺めながら判子をつき続け、家では徐々にかつての色彩を失い、できないことが増えていく両親たちを見守る生活をしていました。疲れました。仕事を退職し、やっと判子を置いて悠々自適の生活に入れるのかと思いきや、まだ家の六人の両親の世話が残っているのです。とはいえ、こういうことを希望と言っていいのかはわかりませんが、幸い、両親たちは皆高齢でした。仁美さん以外は、八十代半ばの義父が最も若いくらいですから、数年のうちにみな、鬼籍に入ると考えるのが普通です。それはもちろん、大切な両親を失って悲しいことではありますが、救いでもあったわけです。屋敷や遺産を整理して、ある程度まとまった金額を仁美さんに渡して、私はのんびり老後の生活を送るのです。長くてあと十年、それだけ頑張れば、というのが私の希望だったのです。

 さて、私の知人に死神庁で働くお役人の伊藤さんという方がいます。彼と、駅前の居酒屋で飲んでいるときに、今お話ししたようなことを愚痴ったところ、フォルトゥナの瞳というもののことを教えられました。眼科に行ってレーシック手術の様な事をすると、なんと、寿命が残り少ない人が透けて見えるようになるのだというのです。これは便利と思い、私は前橋市にある、国立大学病院に行き、さっそく手術を受けました。なにしろ、これで透けて見えれば、良いのです。不謹慎な考えだというのはわかっています。それでも、私も必死でした。別に全員が薄く見える必要はありません。今すぐに、一家皆殺しになる必要はないのです。ただ、一人二人は、透けて見える、そうなって当然であろう歳に、皆が達しているのです。私は手術が終わると意気揚々と、家族の元へ帰宅し、家族を見ました。そして、すぐに伊藤さんに会いに行きました。

 

「透けないんです」と私は伊藤さんに泣きつきました。「どうしましょう」と。

「詳しく聞かせてください」伊藤さんは落ち着き払って、私に問いかけました。私は目の前の珈琲を一口飲んで、口を湿らせてから、伊藤さんに訴えました。

「家に帰りました。六人は和室で、ドンジャラをやっていました。全員、ばっちり私には見えます。まあ、仕方がありません、彼らは歳の割には、身体は健康ですから。精神の方は多少耄碌してきている親もいますが、肉体は元気なのでしょう。ところがです、目を疑いました、彼らは薄まるどころか、いつも以上にはっきりと、生き生きと、私の目に映るのです。普通の世界の見え方が、ボールペンで描かれた世界だとすると、私が見たかったのは鉛筆描きの世界なのです。ところが私に見えたのは、極太マジックで描かれた世界でした。ほら、スーパーマーケットの東友で、本日限りとか特売198円とか書かれているあれです。どういうことですか」

伊藤さんは、そんな私の話を親身になって聞いてくれました。そして、私たち家族の住む地域の担当者に問い合わせをしてくれ、私を、寿命を管理する蝋燭がたくさん置かれた倉庫に、案内してくれました。

 

 そこは倉庫とは名ばかり、岩窟というべきところでした。岩肌に沿って、無数の蝋燭が並べられて、薄暗い洞窟内を照らしています。これはあの人の、むこうはご近所さんの、と伊藤さんの説明を聞きながら、奥へ進んでいきますと、数本の蝋燭がひと固まりになって、メラメラと原形をとどめずに炎を上げている一角があり、そこで伊藤さんは立ち止まって、私に事情を説明してくれました。

「堀綱さん、本当に申し訳ありません。私共、死神庁の不手際でございました。そもそも、私たちは後世労働省の外郭組織として、こうして死神一同で、皆さんの寿命の管理や、あの世への旅のサポートをしているわけでございますが、うっかり堀綱さん一家の蝋燭を倒して、あたり一帯の蝋燭を溶かして、誰が誰のものやらわからない状態になってしまいました。これは、私共、死神庁から倉庫の管理を委託された民間会社派遣社員の手違いでした。こうしたことが起こった場合、すぐさま、関連の蝋燭に水をかけて、なかったことにする、一家惨殺事件を起こして事なきを得るわけですが、牛頭蝋燭管理室長の調べによると、あなたの家族にはマカオマフィアのマリオさんがいるではないですか。彼の仲間は死後の世界でも大分幅を利かせておりましてね、そういう有力者が死後に、手違いからあの世に来たと気づきでもしたら面倒だぞと、もう死神庁は上を下への大騒ぎになりましてね。馬頭政策課長、泰山死神庁長官を経て、最終的には閻魔後世労働大臣まで話が上がってしまい、むしろ寿命が短くなってこちらに早々に来られると面倒なので、いっそ蝋燭を燃やし続けて、しばらくこっちに来ないようにしておけ、という指示がでましてねえ。ま、その内、ミスをした担当者が定年や異動でいなくなった時点で、蝋燭を消せばいいから、とにかくそれまでは、一家誰も殺すなとなり、そうなると今度は、牛頭室長が過剰反応しましてね、万が一にも消してはいけないと、百年は燃え続ける量の油をその蝋燭一帯に巻き散らかしてこの有様、一時はあわや山火事という事態になったそうで、今はこれで大分落ち着いているそうですよ、ははは、というわけで、私の力ではどうにもなりません。堀綱さん、あなたも含めて一家皆さん、あと十年や二十年は楽に生きますよ。いやあ、私も申し訳ないなあ、とは思っているわけですが、もうこれはどうしようもないわけで、いやはや」と、最後には何だかしどろもどろ。

 

 家族ですか、もちろん、まだ元気ですよ、三十年経って、相応に皆、年を取りました。私ももう九十です。まだ、多少は身体が動く。百二十を越えた、父や母、それにチチ、マリオ、義父、仁美さんはほとんどムササビ御殿から出ませんから、私がこうして、毎日せっせと、スーパーマーケット東友の上にある、老人囲碁クラブに通い、帰りに皆の食べ物を買って帰るわけです。父は最近はマルキ・ド・モマを自称しています。母は相変わらず困ると、ニッポンジンツメタイと叫びます。

 今日、老人囲碁クラブ仲間であるあなたにこんな話をしたのは、あなたが最近、透けてきたからです。あなたは私より少しばかり年下ですが、それでも十分高齢ですからね。怖いですか。私に言わせれば、死ねることはうらやましいことです。もちろん、病気や事故や事件で死ぬことは悲劇です。しかし天寿を全うして死ぬ、そういう希望があるからこそ、現世が強く光り輝くのです。もちろん、私の話を、このフォルトゥナの瞳を信じないのもあなたの自由です。しかし、全ては本当です。どうかどうか、残り僅かの生を、大切に、よい終末をおすごしください。

 

 あじゃらかもくれん、てけれっつのぱ。