哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

ringo starr and his all starr band japan tour 2019 のこと

■夢のこと

 ある日の夕刻のことである。私は眠気を感じて、ベットにごろんと横になり、すっかり寝入ってしまった。

 私はよく知らない場所にいた。それはあるタイミングでは、東京都内の代々木駅近くにある公園であり、大きな沼があって、そこで親子三人の見知らぬ家族が遊んでいて、そんな光景を柵の外から眺めていて、私は、そこから左の方に進むと、きっと、ある大きな通りに出るということが分かっていた。その通りにはモダンな百貨店や大きな本屋さんが立ち並び、地下鉄の駅がある。その通りに沿うように、左に折れて進んでいくと、いつかの夢の中で、暑い夏の日、途方に暮れた陸橋がある。その陸橋は別の夢の中で、二人の女の子が、バスに乗せられたバス停のある路地の近くであり、そして、こう考えいている私も、いま、また別の夢の中にいるのである。

 そうして、目が覚めた。この日の夢は、儚く美しい、理想的なホラーであり、ファンタジーであったような記憶があるが、目が覚めた瞬間から、その記憶は薄れ始め、夕飯のカレーを温めて、Youtubeを見ながら食事を始めるころには、あらかた失われていた。

 同様に夢の中の私は夢の外の私のことをしばしば、失念している。そういえば、その日の夢の中で、私は仕事場にいて、自分が作成に携わったはずのチラシを、自分が完成品を目にしないまま、配布がなされ、はたしてどんなデザインだったか、わからずにおろおろする、というシーンも経験した。これは明確に、夢の中の私が、夢の外の私を意識したストーリーである。しかし、先に記した、よく知らない都市空間の中で、やはり私はおろおろしていたのだけれど、その時の私は私であって、夢の外での私のこと、私に付随する属性、人となりや経歴を失念しているという点において、私ではなかったと思いえる。

 また、夢の外の世界を現実世界と呼ぶならば、現実世界では当然に有しているはずの肉体を、しばしば夢の中では失う。もちろん、肉体、それらしき感触はあるのだが、現実世界の肉体があるわけではないし、かなりの頻度で、私は、その夢の中の私の肉体と思しきイメージを移動させるのに、困難を覚える。走ったり、歩いたりすることが、きわめて不自由になるのだ。そのくせ、宙に浮いたり、空を飛んだりすることはできることがあるので、不思議な世界である。

 これは、もはや主張されつくしたことで、再度私が記す意味はまるでないのだが、それを承知でこの日に私が感じたこととして、再提示するならば、やはり今、この瞬間に私が現実だと思っている世界が主で、夢の世界が従であるとは、決して言い切れないのである。というより、この今の現実世界が夢でないと言い切ることもできないのである。とかく、私が今知覚している目の前の事象が、それに対応する出来事が確かに存在するのか、それとも私の頭が作り出したものなのか、そもそも私という存在自体、誰かの夢で生み出されたものではないのか、そんなことを考え始めると、何もかもが不確かだ。

 この不確かな世の中で、少しでも自分である足跡を残すための活動、それが書くことである。結局、人間をその個人として規定するのは記憶である。私の延長が如何なる変化を遂げようとも、思惟が一個として存在する限りにおいて、私は私である。映画『君の名は』でタキとミツハが入れ替わっても、タキの意識が入ったミツハは、つまるところ、ミツハの姿になってしまったタキなのである。決して、タキの考え方になってしまったミツハにはなりえないのだ。そしてその思惟、思考の根本となる記憶、それをこうして外部化することは私にとって、この世界に確かに思惟だけでなく延長として存在したしるしである。そのしるしとして、先日のリンゴ・スターのコンサートの模様を記す。

 

ringo starr and his all starr band japan tour 2019 のこと

 

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 2019年4月5日、金曜日、私は元ビートルズのリンゴスターの来日コンサートに行ってきた。場所は東京都の水道橋駅からほど近い、東京ドームシティホールである。

 「ミーツポートの地下に広がるTOKYO DOME CITY HALLは2008年3月にオープンした、多目的ホール。 約2,000~3,190人のキャパシティを誇るホールでありながら、すべての客席はステージから30m以内に配置してあるため、臨場感の高い空間をつくることができます。」(https://www.tokyo-dome.co.jp/tdc-hall/organizer/)だそうなので、キャパは2,000~3,000人なのだろう。50,000~60,000人とか、とにかく桁違いの人数が動員可能な東京ドームでコンサートを行う、同じく元ビートルズのポールマッカートニーと比較をしてしまうと、なんとなく寂しさがぬぐえない。だって歌舞伎座が2,000人弱だから、それに毛が生えたくらい、国立能楽堂は600人強、1ドームシティ=3~5能楽堂だよ。ちょっと少ない……。

 開場は18時過ぎ、17時頃についた私は、まずグッズの購入の列に並ぶ、こちらも、大行列ができるポールとは異なり、あっさりグッズ売り場に到着、15分ほどで、お目当ての品物を購入できてしまい、ありがたい反面、ビートルズが来てるんだぞ、なんでこんなにすいているんだ、という悲しみを禁じえない。

 会場近傍のフードコートにて、開場までの時間をすごすことにする。カレーを食べて、時間があったのでモンブランパフェを頂く。隣のおじさんは、やはりリンゴのコンサートに参戦するようで、珈琲フロートを飲みながら、パンフレットを熟読していた。私が開場時間少しすぎに立ち上がって出発の構えを見せると、おじさんも負けじと立ち上がる。おお、と意気込むが、別にそれ以上の戦いも交流もない。

 そしてこれまた、大きな混乱もなく、無事に席に着く。試合は日ハム先発上沢、西武先発多和田で始まった。いきなり初回、日ハムは中田の二塁打で先制、すると……、違う、間違って東京ドームに行ってしまった。とそんな愉快な件はなく、無事にリンゴのコンサートが始まる。

 私自身、正直、リンゴスターアンドヒズオールスターバンドのヒズオールスターバンドの部分が、よくわかっていない。だから、それは楽しめるのか、不明であった。そもそも、ビートルズ解散後のリンゴの活動をいまいち把握していない。結局私も人のことを言えない。それはともかく、楽しかった。

 リンゴはことあるごとに、ピースサインをして見せて、それにファンが応えると喜ぶ。キャパが小さい、ちょうどよい会場で、室内のホールであるので、良い音質でじっくり聞くことができるし、椅子も座り心地が良い。何より、リンゴやバンドの顔が、きちんと肉眼で確認できる。彼らの英語のMCは、私は英語が喋れないので、何を言っているのかわからなかったし、知らない曲も多いのだけれど、みんなの雰囲気が温かい。それがきちんと、会場全体に伝わってくる。だから、終盤のウィズアリトルヘルプフロムマイフレンズの大合唱まで、みんなで声を出したり手拍子をしたり、楽しい。ポールのコンサートで感じた大きな箱でヘイジュードを合唱する感動、盛り上がりも良いのだが、小さな箱でみんなで楽しむ、というのも居心地よいな、と感じた次第である。

 リンゴは1940年生まれの78歳とのこと、途中、お色直しで2曲ほど引っ込んだ以外は、当たり前だけれど出ずっぱりで、歌いながらくねくね動き回ったり、ドラムをたたいたり、元気である。フォトグラフも、イエローサブマリンも、最高であった。そういえば、最前列のお客さんがサイコーと叫んでいて、リンゴからミスター最高といじられていた。イエローサブマリンの前にはデイトリッパーのイントロが流れて、違う違うみたいな件があり、おもしろい。

 とにかく、機会があったら多くの人に会いに行ってほしい。リンゴ、ホントにいい人だし、楽しいよ。そんなご報告です。