哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

ニューヨーク公共図書館(エクス・リブリス)のこと

■ニューヨーク公共図書館(エクス・リブリス)のこと


『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』予告編

 

 10年前、某私立大学で、図書館司書資格取得のための勉強を積む学生がいた。それが私だ。図書館概論から始まり、図書の分類法、情報の収集の仕方、図書館でのサービス、児童へのサービス、そして何より、地元千葉市内の私立図書書簡での、約2週間の実習、彼は無事に図書館司書になったであろうか? 否、彼は元気に、公立図書館とは無縁の職場で働いている(一応、社内に図書閲覧室があるので、図書にかかわる部署に配属される可能性は、ゼロではないらしい)。だから、学生時代に学んだこれらの知識たちは、もう大部分が失われているそうだ。

 そんな私にとって、『未来をつくる図書館』を読み、また大学の講義などで聞きかじったことから、ニューヨーク公共図書館(NYPL)をはじめとした、アメリカの図書館の先進的な様子はなんとなく知ってはいたのだが、今回、神保町にある岩波ホールにて、表題の映画を鑑賞したことで、NYPLの試みを再認識した次第である。

 

未来をつくる図書館―ニューヨークからの報告― (岩波新書)

未来をつくる図書館―ニューヨークからの報告― (岩波新書)

 

 

 まず、この映画の長さには、触れておかねばなるまい。私は岩波ホールで、約4時間を過ごした。2時間弱の前編の後、10分程度の休憩が入って、1時間半強。『ベン・ハー』じゃないんだから。さらにこの日、1日3ステージ上映のうち、真ん中の14:15の回を拝見したのだが、200席強あるホールが満席であった。その前のステージも満席だったそうなので、この映画の人気がうかがわれる。

 とはいえ、そもそも大衆受けする内容ではないことは事前の情報でも理解していたし、その認識は視聴して、さらに深まった。これはNYPLの中で行われている講演、会議、来館者対応、電話対応、配架、コンサート、就職支援サービス、学習支援サービス、PC講座、Wi-Fiの貸出、等々の様々な事業の模様を、解説を一切加えずにビデオに収め続けたドキュメンタリーである。なので、少なくとも、図書館であったり、何らかの公共サービスに関心を抱いている人、そういった仕事に従事している人、図書資料や図書館に愛情の深い人、ドキュメンタリー映画好き、等の一部の人種を除いては、退屈に感じるのではないかと思う。ある意味では図書館の仕事を眺める、他人の仕事ぶりを観察するというのは、短時間であれば興味深い体験であろうが、それが3~4時間に及ぶというのは、なかなか大儀である。

 そういう私も、鑑賞中に2度、激しい睡魔に負けた。開始1時間前後と、終了の30分程度前、それぞれ15分程度意識が飛んでいる。そして横目で見ていたところによると、周りの人々も、その程度の居眠りはしていたようである。

 

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 というのも、この作品はひたすら、NYPLの日常を切り取り続ける。突然、見ず知らずの外人の講演であったり、会議が始まる。この点は、日本公開にあたって、字幕などの解説が欲しかった、とは思う。話を聞いていくうちに、なんとなくその主題はつかめては来るのだが、やはりそこで喋られている内容や登壇者について、背景の理解度は本国アメリカと日本では決定的に異なっている。突然、講演のシーンが始まり、その日本語訳が字幕表示されるだけだと、文字を追っていて本当に眠くなるので、冒頭にこの人はこれこれこういう人で、こういうテーマの講演だよ、というのをテロップで出してくれたらいいのになあ、と思う次第である。

 またこの映画は、そういった雑多なシーンを、結論などはなしに、ひたすら切り取り続ける。子供たちに本を読ませたり、宿題をやらせたりしている件があって、場面が切り替わると、今度は事業拡大に向けて、市の意向、財源を重視するか、民間の寄付を募るか、等の会議が始まり、そうかと思えば、ピクチャーコレクションについての説明になる。

 そう、NYPLでは無料で誰もが閲覧可能な写真や図版等の資料を、長年収集し、テーマ別に整理しているそうだ。具体的な年代は忘れてしまったが、アンディー・ウォーホルもここのコレクションを仕事に役立てたそうなので、確か50年程度前の話だったのだろうか。元々、作者ごとや作品名毎に整理していた写真を、広告のデザイナー、画家などが、短い期間でほしい素材を必要とする機会が増え、例えば「キリンの写真」等の要望が増えたのだそうだ。そこで、資料をテーマ別に分類し、「動いている犬」等でひとまとめにして、そういったテーマに沿った資料探しであったり、アイデアのひらめきに役立つようにしたそうだ。

 関連して、NYPLについて調べていたら、著作権フリーの写真等を、下記のデジタルコレクション公開しているようだ。映画の中でも、紙資料を淡々とカメラでアーカイブにしている職員の姿登場したし、またあるいは、ある利用者のレファレンス対応で、ある人の出身地だかを調べたいというリクエストに、図書館員が船の出入国の履歴を調べる等の方法を教え、質問者はそれらの資料がデジタルで見られるかを尋ねていた。今は図書館に行かなくとも、ネット一つで図書館の資料に触れることができる、素晴らしい時代である。

 

digitalcollections.nypl.org

 

 その点で驚いたのは、Wi-Fiの受信機を図書館で貸し出している様子も、映画に映っていた点である。ギガの容量を説明して、延滞料の滞納のない大人だけに貸し出すこと等の諸注意の説明が映し出される。現代は、インターネットにアクセスすることが、当然の時代である。そこにアクセスできないということは、文字を読めないことと同じことだ。だから、そういった不平等が起こらないように、図書館が尽力するのだ。あるいは、図書館内でも、タブレットやPCを操作する人が、日本よりもずっと多い。アメリカ人にとって、図書館は単に本を中心とした資料を保存、収集、公開するだけの場ではなく、より広い公共サービスを提供する場であり、例えばダンス教室をやったり、就職面接の対応を教えたりするのである。

 ところでこの公共図書館の公共とは、公立のことではないらしい。官民の連携であり、広く開かれた、という意味合いのようで、実際NYPLは市営ではなく、市の財源と民間の寄付の二本立てで運営され、運営母体もNPOらしい。こういったNYPLの先進的な試みを、日本の図書館がすべて、取り込む必要性はないだろう。アメリカではたまたま図書館がこうした一連のサービスを引き受けただけであって、別の組織がその役割を担ってもよいはずであるし、また果たしてそういったサービスが必要なのかは、アメリカと日本で考えが異なるであろう。

 しかし、作中でも語られることであるが、こうしたサービス提供の背景にある、不平等をなくしたい、孤立する人をなくしたい、という思想は、参考にすると良いかもしれないな、と感じた。例えば作中、聴覚障害者が舞台演劇を楽しめるための手話についての講演(同じセリフでも、怒ったように読まれたときと、懇願するように読まれたときとでは、通訳の様子も違うのである)や、視覚障害者に点字の読み方をレクチャーするシーン、障害者に大した、低家賃での部屋の借り方の説明等のシーンがあるが、こうしたものも、ハンディによる不平等の解消であったり、そうした人が孤立してしまわないように、という思いがあるのであろう。

 もちろん、すぐに何か大きな活動をすることは難しい。しかし、私も身近な不平等や、孤立した人に、手助けをする、そんな意識を持ちたいな、と思った次第である。

 

moviola.jp