哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

南方熊楠のこと

南方熊楠のこと

  皆さんは南方熊楠をご存じであろうか。私は今年の初めにここで、南方熊楠について書いているが、はっきり言ってそれまで、ろくに熊楠について知らなかったし、今もあまり知っているとは言えない。

 南方熊楠は1867年、和歌山県に生まれた。民俗学や植物学(粘菌の研究)を行った(在野の)学者として知られているが、私が最も関心を持ったのは、彼の抜書という研究手法である。読んだもの、見たもの、聞いたものをとにかく書き留めて、ノートにしていく。いや、それだけではないのかもしれない、メモ書き、書籍の余白への書き込み、知人への手紙、あらゆるところに知識を記録し、また発信する。

 それは一つのことを研究し、新たな事実を発見するという、学者のイメージとは異なる。例えば植物学者なのであれば、研究地域や対象の種類の植物を採集して、それを整理して論文にする、そういうことはあるのだろう。彼の場合はその対象が、自分の興味を持ったすべてであったようである。だから植物も収集すれば、自分の住む地域の人々の話、民話も収集する。東京大学予備門を退学した後は、アメリカ、イギリスに遊学するが、イギリスでは大英博物館で資料を読み漁り、抜書ノートを作成する。かと思えば、帰国後は真言宗の僧侶と交流して南方マンダラと呼ばれる思索を展開する。粘菌研究の分野では、昭和天皇への御進講を行う。

 多種多様な分野の事物を、集めて纏めていった知の巨人である。例えば現代、GoogleはあらゆるHTMLページを訪問して、そこに書かれている文章を収集し、そこに登場する言葉を我々が検索することで、あるWebページと特定のユーザーをつなぐ働きをしている。そのGoogleが影も形もなかった時代に、一人でGoogleしていたような人なのだと思う。

 つまり新しく何かを発見・発明するわけではなく、世界にある事実や知識をひたすら貯蔵し、データベースを作成した人、なのである。それはある意味で、とてつもなく凄いことである。現代は例に上げたGoogleをはじめ、様々なツールで誰もが簡単に情報を収集し、それをデータとすることで、膨大な情報を無限に保存することが(おそらく)できる時代となってしまった。そんな現代に熊楠が生きていたら、どうやってその情報をさばいていくのだろう。そんな興味がわく。情報の海に人々が溺れかけている現代だからこそ、そのある意味で先駆けとなって無数のジャンルを飛び回って、情報の整理をして見せた彼が格好良く思われるのである。

www.minakatakumagusu-kinenkan.jp

●怪人熊楠、妖怪を語る

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 そんな熊楠は、米・英からの帰国後、和歌山県の田辺をホームに研究活動を行っていた。最近三弥井書店から刊行された『怪人熊楠、妖怪を語る』はそんな和歌山方面で、熊楠が採集した、妖怪に纏わる抜書、聞き書き、メモをまとめたものである。熊楠の記録をきちんと現代の(著者の)文章で表現しなおしていることに加えて、舞台となった土地の写真や図版、抜書ノートの画像等がふんだんに使われているため、非常に読みやすくまとめられている。

  また本書は、土地ごとにまとめられているため、例えば河童(カシャンボ)については、朝来・上高田、高田、みなべといった地域の章それぞれで、土地の人に熊楠が取材した内容が記されている。熊楠はこうして、各地に伝わる話や人々の体験談を採集することで、この世にいるのだかいないのだかわからない妖怪を、科学的に説明しようとしていたそうである。

 こういった妖怪の中に、例えば人を化かすとされていた狐に加えて、山伏が魔法で化けた生き物等と説明されて、栗鼠も登場している。こうした現代では真っ当な動物とされているものに魔力の性質が付加されることと、現代では多くの人が存在しないと考えているであろう河童について、真面目に論じることは、表裏一体のことのように感じる。熊楠が生きた時代は明治、大正、そして昭和の初めである。この時代もまだ、人間と動物の生活圏があいまいで、暗闇の領域、未知の地域がたくさんあったのではないかと思う。その人間が分からない領域、そこにどんな生物が住んでいるのか、よく見知った野生動物たちがその領域に帰っていかに振舞うのか、人間たちは想像力の目でそれを観察・体験して、そういった人々の話を熊楠は丹念に収集していった。

  こう言ってってしまうと、なんだか砂の足場の上に、城を築くような、非常に不安定で無意味な努力のように、今となっては思われてしまうが、当時の人々が怪異をいかに見て、それを熊楠がいかに理解しようとしたのか、というのは面白くはある。

gendai.ismedia.jp

 ●異種融合アート展&バザール

  さて、そんな南方熊楠であるが、2年前に上野のかはくが熊楠生誕150年の展示を行い、また共和国からは『熊楠と猫』が出版されるなど、近年盛り上がりを見せているところである。2018年に刊行された同書は、高円寺、青山ブックセンター、平井の本棚等でパネル展や関連イベントを行い、2018年12月~2019年2月には山梨県の敷島書房にてパネル展を行った。

 その敷島書房の店主、一條氏が、南方熊楠の南方マンダラ等について語るイベントが、2019年12月5日(木)16時より、山梨県甲州市のギャラリーパーシモンで開催される。異種融合アート展&バザールと題したイベントの中で、同氏の公演に加えて、詩の朗読等の企画、絵画などの展示等、盛りだくさんのイベントである。私は生憎と遠方で日程も合わず伺えないのだが、非常に楽しそうな、というか一つの会場でやたらめったらこのやろ的に色んな事をやることで、誰でも足を運べば何等か琴線に触れるものがあるのでは的なイベントの様なので、お近くの方や熊楠に関心を抱かれた方は、足を運んでみてはいかがでしょう。

■参考資料 

www.miyaishoten.co.jp

熊楠と猫

熊楠と猫

 

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