哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

もっとソーシャルネットワークのこと

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■もっとソーシャルネットワークのこと

 一年以上前にソーシャルネットワークについて何か書いた。今回はより具体的に、私が今、どのようにソーシャルネットワークを利用しているかを記す。

 そもそも、私がどのSNSを使っているのか、であるが、InstagramFacebookTwitterを利用している。それに加えて、Webサービス関連ということで、YouTube、そしてこのはてなブログが、私の情報発信・情報収集に使っているツールであるので、タイトルから少し外れることにはなるが、広くその辺りまで、どのように使い分けているかを紹介しつつ、私自身も、再検討したい。

 これらを私は二つにグループ分けして、使っている。一つはInstagramFacebook、もう一つが、Twitterはてなブログである。YouTubeについては、その各グループに紐づける形で、アカウントを二つ持っている。

 さて一つ目のグループであるInstagramFacebookの内、先に始めたのはFacebookである。もともと関心はあってアカウントは持っていたのだが、2年くらい前に、ある知人とのサークル活動でのスケジューリングで、実際に使用するようになった。ほどなくして、別の知人がFacebookに加えて、Instagramを使っていることを紹介され、Instagramのアカウントも作成した。FacebookよりもInstagramの方が、リアルな友達と繋がるだけでなく、タグ(#)をつけることで、世界中の自分と同じ関心を持つ人から反応をもらえるのが楽しく、とはいえ、私は人に自慢してお見せできるような私生活を送っていないので、ひたすら自分が美味しく頂戴したご飯の写真をInstagramにアップし続け、リアルな友達がいない私にとっていまいち活用方法が見いだせなかったFacebookは、Instagramの画像を転載する場所兼前述のサークルの連絡網としてのサブ的な使い方がしばらく続いた。

 さてしばらくは大人しくInstagram(とFacebook)に食べ物の写真をアップし続けた私であるが、このブログを見ていただいてわかる通り、文章を書くのが好きな私のことである、手軽に毎日、食べ物の写真をアップすることができるInstagramにキャプションを入れたくなり、その文章は日ごとに長くなっていた。そう、食べ物と全く関係ない、その日の日記や考えたことを書き連ね、見た目は食べ物の写真でなんとなく体裁を保つ、と言うかそれはもうブログでやれば? という状況になっている。それでも何の意地かわからないが、Instagramは食べ物の写真(とごくまれに大好きな猫の写真)、と言うのは私にとってのこだわりであり、 Instagramで一枚目に表示される写真はすべて食べ物(とまれに猫)の写真にしている。写真をめくっていくと表示される2枚目以降は、食べ物に限らず、様々な写真を投稿している。そしてその縛りがある故に、Facebookは食べ物以外の話題、例えば馬や能楽のことを投稿したり、またInstagramは情報のシェアには不向きであるので、その点でFacebookを活用するようにしている。そうそう、2年前、友人がいなかった私であるが、Facebookを使うようになってすごしていくうちに、Facebookを使用する友人が見つかったり増えたりしたので、その点でもFacebookを使う誘因が増えたことになる。

 さてそのInstagramFacebookであるが、Twitterはてなブログのグループとの違いは、完璧に本名でやっているという点である。Twitterでも、リアルな友人と相互フォローをしていたり、アカウント名も親しい友人にはわかりそうな名称ではあるのだが、一応ぼやかしてあったり、また雑多に色々なアカウントをフォローして、あくまで知り合いと繋がるツールというよりは、情報収集や拡散、備忘録としての道具と考えている。一方で、Facebookはリアルな友人としか友達になっていないし、Instagramもフォロワーの中には、見ず知らずの人がたくさんいるが、私からフォローするのは、ある程度私の投稿に反応してくれる良い人か、リアルな友人に限っている。それは基本的にはこの二つを、リアルな友人と繋がるツールと考えているので、やみくもに私がフォローする相手を増やすと、リアルな友人の書き込みに対して、私の反応が追っつかない(実際にTwitterでは、ほとんどタイムラインを追えていない)という問題がある。できるだけこの二つでは、フォローした以上はきちんと相手の発信を確認して、良いと思ったら反応できる体制としておきたいので、こういうルールが私の中で出来上がっていった。

 ではTwitterはと言うと、先に書いた通りである。ここにあげたWebツールで私が最も長く使っているのはTwitterで、多分10年以上アカウントを持っている。今でこそ、Twitterで自ら何かをつぶやいたりしているが、当初は本当に情報収集手段であったため、気になるものを滅多やたらにフォローして、タイムラインを眺める道具に過ぎなかった。そこから、ネットで気になった記事をとりあえずシェアしたり、ツイートをリツイートしたりして、あとで自分も見返すなど、本当にTwitterは単なる情報保管庫、という扱いであった。それでも何度か自分でも思うことをつぶやく努力をし、中でも、二年前にこのブログを開設してその更新告知にTwitterを使い始めたことと、一年ほど前に自分の本業の勉強のために、能楽についてのネット記事を毎日1つTwitterでシェアして感想を述べるという苦行を行う中で、Twitterにきちんと文章を打ち込む習慣ができたことと、色々あって今は情報収集ツール兼アイデア発信装置として、Twitterを動かしている。

 なお、このはてなブログについては2年近く前に、私がストレス発散法を探していた時に、学生時代に文学部で小説を書いていて、文章を書くことが好き、という私のバックボーンに着目した知人が、何か書けと進めてくれて始まったものである。ブログ、そしてその更新通知が載るTwitterは見ての通り私の欲望にまみれているため、いや、それ以上に何らかの汚いものにまみれすぎているため、本名で動かすにはいささか、見るに堪えない。そういうわけで、まあ探せば特定できるかもしれないけど、何気なく取引先の人の目に留まってもそうそう気づかれなさそうな、なんとなく煙に巻いたようなところを追いやって、私自身も自分の黒い部分を見ないようにしている次第である。

 なおYouTubeは3年くらい前に動画投稿を始めた。私がYouTuberにはまり始めた時期で、 またそもそも動画を撮るのはもとより好きであり、しかしその動画たちの行く末が特に決まっていないのがもったいなかったので、編集をして投稿してみたら、楽しかったから、と言うのが始まりである。なんとなく凝った作りやふざけた動画は、Twitterのグループに紐づくアカウントに、日常の動画を編集せずにアップするのはInstagramに紐づくアカウントにと、これもまた使い分けている。

 そういうわけで、このブログにもYouTubeのアカウントの一つとTwitterは、リンクを張っているのだが、InstagramFacebookについては、このブログ、Twitterには、過去を掘り返すとリンクが張ってある投稿もあるのだけれど、まあこの人だと改めて自分を紹介することはするまい。

 というわけで、皆さま、これが今年最後のブログ記事になる予定です。先に書いた通り、Instagramで文章を書きすぎて、このブログをやっている意味があるのか、という気が無きにしも非ずですが、多分、Instagram(本名)で書くことがはばかられることを、来年も引き続き、こちらに書いていくのでしょう。ではでは、良いお年をお迎えください。ごきげんよう

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