哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

馬のこと

■馬のこと

f:id:crescendo-bulk78:20200112095607j:plain

 私は小学校4年生の時に家族旅行で行った、北海道のノーザンホースパークでの体験乗馬をきっかけに、乗馬に取り組むようになり、かれこれ20年くらい、趣味:乗馬、ということになっている。もっとも、この20年の中には1年以上馬に乗っていない時期もあるが……。そのため、馬という生き物に対しては、特別な思いを持っているし、昨年2019年にこれから紹介する二つの映画が公開され、映画を通して私も知らなかった馬たちの現状を知ることができ、またそれが多くの人に発信された、ということで、よくわからない感情を抱いている。何というか、この両映画のそれぞれの監督に、ありがとうと言いたい気持ちなのである。

 馬が好きである。それは私も多分そうなのである。それでも、こうして興行的にはなかなか儲けには繋がらなそうなリスクを冒しながら、馬についての映画を撮影した、それはとても勇気のあることだと思うし、作品を通して馬たちのまさに現実を知ってもらえた、もしかしたら映画を観た人は今はまださほど多くはないのかもしれないけれど、少なくともゼロではないわけで、とにかくこれらの映画の内容が誰かに伝わっている、そのことだけで十分に有意義なことだと感じたのである。

 だから私は、「馬ありて」の笹谷遼平監督と、「今日もどこかで馬は生まれる」の平林健一監督に、馬の世界の片隅に存在する幽霊部員として、心から感謝の意を伝えたいのである。

ja.wikipedia.org

■「馬ありて」のこと

horse-beings.com

 2019年12月、渋谷のシアターイメージフォーラムでの上映を拝見した。北海道や東北で馬に関わりながら暮らしている人々のドキュメンタリー。ばんえい競馬関係者や馬の売買を仲介する馬喰、切り出した木材を馬に運ばせる馬搬。祭りでの草ばんば。馬に携わる人が、馬に対して頑張ったなあとか、(蹄鉄を着けてもらって)よかったなあ、と声をかけ、俺は馬を可愛いとおもっているよと、インタビューに答えたりしている反面、現実にはばんえい競馬の競走馬候補の重種のセリでは、多くが食肉業者に買われていくなど、馬にとって、馬に携わる人にとって厳しい現実が、さらっと提示される。

 馬、競馬になじみのない人には、ばんえい競馬とは何ぞや、という方もいると思うが、これはJRA等の競馬で使われるサラブレッドではなく、ブルトンやペルシュロン等の重種と分類される身体が大きく脚がぶっとい馬(サラブレッドが体重500㎏前後であるのに対して、彼らは1,000㎏前後である)に、500~1,000㎏程度のそりを曳かせて競走する。コースの途中に坂の上り下りが設けられており、そこで馬を止めて息を落ち着かせて、また一気に駆け上がると言った駆け引きが見どころとされているが、当然サラブレッドの競馬よりもはるかに動きがのんびりしている。北海道・東北では祭典等で行われる草ばんばが続いている地域もあるようであるが、公営のギャンブルとしては北海道の帯広競馬場でのみ行われている。

banei-keiba.or.jp

 全編がモノクロ映像であるため、その中で起こっていることが土地的にそして時代的に、私と離れているような錯覚を覚えるが、しかしよく見れば映像のなかのテレビ画面にヒルナンデスが写り混んでいたりと、同じ日本で今日も起きていることであると、再認識する。寧ろ天然色ではなく、白黒に限定されたことで、その映像の訴えるメッセージは強くなったようにも思われ、総じて良い作品だと感じた。馬と共にある人々の生活、彼らや馬たちが時代に流されていく様を丁寧に撮している。

 やはり特に印象に残っているのは、こうしてばんえい競馬に向けて生産された馬たちが、食肉用として買われていくことが多いという点。若い1~2歳のタイミングでばんえい競馬への向き不向きや性格などから、将来が決まっていく、と言うのは馬にとっても、そしてそれに携わる人間にとっても残酷である。もちろん、食肉用の牛についてもそれと同じことが言えるのであるが、それでも、食肉以外の希望があることで、かえって食肉となった時の闇が濃くなっているように感じられた。


映画『馬ありて』予告編

■「今日もどこかで馬は生まれる」のこと

creempan.jp

 新宿K's cinemaにて2020年1月17日まで公開中の「今日もどこかで馬は生まれる」を観賞してきた。 昨年2019年1月に横浜の赤レンガ倉庫にて催されていた、第3回ホースメッセ(第4回は2020年1月16日~20日、やはり赤レンガ倉庫にて開催です)にブースを出されていて、映画の存在は知っていたのだか、全然観るチャンスがなく……、SNS等ではどうやら観た人がいるらしいような雰囲気が流れており、というなか昨年末から3週間、新宿にて上映ということで、本当にやっと観れた次第である。
 内容はサラブレッドの生産から引退後に携わる人々にインタビュー・取材をしたドキュメンタリー映画JRA北村宏司騎手や鈴木伸尋調教師、馬主でラーメンチェーン一蘭の吉冨学社長、引退馬協会の沼田恭子代表ほか、生産育成牧場のスタッフ、乗馬関係者、養老馬牧場や馬糞の堆肥でマッシュルームを生産する人、そしてなんと、食肉加工業者にまで、本当に色々な立場の人の話を聞くことができ、それらは引退馬にとって悲しい現実でもあり、また未来に希望を残す内容でもある、つまり映画自体はそのどちらだよというのは断言してくれないので、観た側が自分達も考えなきゃ、動かなきゃ、と促してくれる内容であった。

 まず引退馬協会であるが、引退した競走馬に対して、寄附金を募って支援をしたり、馬たちの再就職を応援したりする団体である。有名な馬だと、ナイスネイチャメイショウドトウ等が、この協会の助けを借りている。私もこの引退馬協会に助けられた馬に、乗馬で騎乗したことがあり、本記事の一番上の写真の手前の馬(ボナンザーオペラ)がそれである。

 下記リンク先を見ると、賛同会員という形で、ボランティアに参加するなど費用負担のない引退競走馬支援の制度もあるようなので、是非ご覧ください。

rha.or.jp

rha.or.jp


引退馬協会紹介VTR「馬と人のハッピーライフを目指して」

 映画の話に戻るが、長岡食肉センターへの取材は、ショッキングである。馬を屠殺する様をスタッフが説明するし、映像には豚が肉にされた姿も映し出される。

 私のように中途半端に馬と関わる人間には目を背けたい、背けてきたことであるが、事実として多くのサラブレッドが、このように肉になっていくのだ、というのを知ることができたのは、良かったのだと思う。

 馬は利口だから自分がどうなるのかわかるのだと思う、涙を流す馬もいて、その瞳を見るのが嫌で目隠しをしてやるという話が出たが、知らない場所に連れていかれて目隠しをされ食肉にされる馬の気持ちを想像することは恐ろしい。

www.viscera-nagaoka.co.jp
 一方で、人を乗せることが出来なくなった馬でも、彼らの糞の混じった寝藁に菌を植え付けてマッシュルームを生産したり、馬糞を発酵させた堆肥を販売する事業を営むビジネスモデルを実現させたのが、ジオファーム八幡平である。とりあえず、ここの茸が食べてみたいと思う。

 こうしたサラブレッドの現状を色々な人が知って、彼らをサステナブルに活用していく道が、もっとたくさん見つかればよいと思う。

geo-farm.com

geo-farm.com


八幡平地熱活用プロジェクト : 馬ふんで、馬を救って、地方創生!
 今回の上映では平林健一監督のトークショーがあり、トーク終了後もロビーで個人的に監督とお話しすることができた。

 違ったお仕事をされている中で、サークル活動としてこの引退馬の映画の企画を立ち上げられて、いまはフリーのディレクターとして独立なさったという経歴だそうで、私はそのキャリアにもとても興味が湧いた。お話しするなかでこれからも映画監督として活躍されたいのかと伺ったのだが、それよりも馬が好きだから馬についてのポジティブな発信を行いたい、その中でまた映画を撮るかもしれない、というようなことを仰っていて、あくまで映画は馬という目的のための手段なのだなと感じた。

 お話の中で、知人の紹介で取材や撮影の相手が見つかり許可がもらえたり、ということを仰っていた。私自身、緩くだけれど馬に関わる人として、本当に馬社会の狭さは、このところよく感じる。それだけ小さなサークルなのだろう、初めて会った人でも共通の知り合いがいたりとか、そんな事があり、面白い。それでそのつてを辿っていけば、こうした映画ができるくらいに、知り合いの知り合いあたりが~、みたいなことになるのであろう。そしてそうした馬に携わる人々は、しばしば頑固で偏屈だけれど、でもおせっかいなくらい面倒見がよかったり、優しい人が多い。だから、きっとそれぞれに馬に対して信念をもって接しているし、馬への支援ということにも真剣に考えるだろう。そうした馬に関わる人の輪は今は狭いけれど、それが競馬しか見ない人とか、あるいは生で馬を見たことがない人とか、そういうところへ大きく広がっていったらいいなと思う、そんなきっかけになりそうな、素敵な映画でした。

 ちなみに、この映画のなかで競走馬のセリ市の模様が映し出される。そこで売れた馬の一頭が、船橋競馬場所属の競走馬(セザンイーグル、現3歳)となったそうだ。ちょうど、昨年、2019年12月13日の、船橋競馬場での映画上映の日にデビューを迎え、快勝したとのこと。彼の今後にも注目したいところである。

db.netkeiba.com


ドキュメンタリー映画『今日もどこかで馬は生まれる』予告編


映画「今日もどこかで馬は生まれる」出演者レビュー/鈴木伸尋


映画「今日もどこかで馬は生まれる」出演者レビュー/初田理奈

■また馬のこと

 私は別に、肉食についての異議を唱えるつもりは毛頭ない。これらの映画や、馬の保護についての文脈で、その他の家畜を屠殺して、食べることの是非を論じる人もいるようであるが、それはまた別の議論である。

 動物が別の動物の命を奪って、それを食べることは自然なことだ。しかし、その動物を家畜として劣悪な環境で、食肉用に生産すること、それは確かに倫理的には良くないことなのだろう。しかし、馬に纏わる問題とはまた別だと思う。食肉用ではなく、競走馬として生産された馬がいて、彼らが競走馬を続けられなくなったときに、どうしますか、という話である。極論を言えば、怪我や病気で働けなくなった人間を殺す/食べる、ということは、現代の日本ではまずないだろう。犬や猫も、ペットであればできる限り、天寿を全うできるよう、計らうであろう。

 馬は、どうなのか? 道具としての価値が失われたとき、それを捨てて買い換えるのか? それは私には、その他の家畜と、十把一絡げに論じることではないように、思うのだ。