哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

ずっと公共交通機関のこと

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■九回目の世界の低次化について・抄

 彼女が池袋から帰る道すがら、また先程のようなへんてこな男性に絡まれてしまうと可哀相なので、僕は少し変った電車を考案してみよう。

 電車の基本的な外観はいつもの直方体で車輪がついたあの形であるが、その電車には側面に窓も扉もなかった。ただ池袋駅を終点とし折り返し運転になる丸の内線の電車は駅に入ると、パカっと片側の壁が開き、中から棺桶のような形、大きさをした白い箱がたくさん出てきた、丁寧に端から詰まれたその箱、ここでは便宜上カンオッケーと呼ばせていただこうと思うが、それを屈強な駅員達は引きずり出し、側面についたボタンを押すと隣についてた緑のランプが赤く代わって、ガチャっと音がしてカンオッケーの蓋が開く。そうすると、中にはビシッとスーツを着たサラリーマンがドラキュラ伯爵よろしく横たわっていて、何事もなかったかのように乗り換えの西武池袋線池袋駅の方に向かって歩き始めるのだ。

 そこへちょうど仕事を終えた紗矢が歩いてきた。ほんのりクリーム色を帯びた白いコートに、赤いマフラー、茶色の手袋をして、もこもこと暖かそうだ。栗色の髪はつやつやとしていて、頬は外の寒気に晒され、少し紅潮している。茶色のトートバッグの内側のポケットから定期券を取り出して、駅員に見せるとすぐにカンオッケーに横たわり、駅員はカンオッケーの蓋を閉めると、ボタンを押してパネルに表示された行き先を妙典にセットして、他の駅員を呼んだ。彼らは協力してカンオッケーを持ち上げ、前から二両目の東西線方面に行くカンオッケーの山に、紗矢を積み、また別の乗客を探しに立ち去っていった。

 僕がこうであると言った以上、紗矢も他の人々もカンオッケー電車を自然と受け入れているのだった。

 もう、カンオッケーに入ってどれだけたったであろう? 紗矢は仕事とそして朝の妙な騒動との疲れを感じ、少し仮眠をとった。と言っても、ほんとに少し、多分、十分か十五分ぐらい、その後、また例の『聖典』を読み進めた。言い忘れた、このカンオッケーの中は、それなりに快適で、それぞれに読書灯や手持ちのウォークマンを繋げるスピーカー、空調設備などが完備されているのだ。

「結局、彼女は与えただけの愛を得ることになるのだ。それは君も然り、愛は与えただけ返ってくる。そして、いま君に必要なのはただ、愛なんだ。君に歌えない歌はない。君に守れない人はいない。君にできないことはない。ただ必要なのは愛、それだけなんだよ。そして、彼女は君を愛している、やぁやぁやぁ。愛しているんだ、やぁやぁやぁ。」

 そんな所を読んでいると、キーガタンと振動が来て電車が止まり、妙なふわふわ揺れがあって、どうやら運ばれているようだ。紗矢は気にせず読書を続けた、時間的に恐らく大手町駅だ、同じ東京メトロであるため丸の内線と東西線との乗り換えは行き先さえ告げておけば、勝手に駅員が運んでくれるのだ。

■ずっと公共交通機関のこと

 私が文学部の大学生で、日々意味もなく小説を書き散らかしていた頃、いやもっと前だ、高校生の時分もである、とにかく、上の文章はそれよりは最近、故あって私が何者でもない、モラトリアム期間をすごしていた時期に書かれたものである。それで、ここでは近未来SFの体で来るべき新しい電車の形を模索しているのであるが、それは今に始まったことではなく、高校時代に下らない物語を書いては、級友に見せていた時分から、私は未来の鉄道を模索しながら、現在の鉄道車両の中や駅の構内で繰り広げられる、醜い争いを物語ってきた。

 そもそも、これらの醜い争いは何を巡って行われるか、という点であるが、人々はまず座席を求めている。電車に乗るのは、疲弊した労働者や強いられて登校する学生、それに常に他者以上の権利を主張する老人たちであるため、誰しもが座席に着席し、睡眠したいと考えるのは道理である。また座席の中でも一等高級なのは角席であり、また座席の中でもやや劣るのが、三人掛けの座席の真ん中である。三人掛けと七人掛けであると同じ真ん中であっても、三人掛けの方が座席の幅の弾力性が低いため、周りの人の体格の影響を受けやすいのである。また横須賀線総武線の快速列車等で目にする、四人掛けボックス席とそれに付随した二人掛け席も、やはり評価は低い。また座席に着けない人は、次の選択肢として、角席の脇に設けられた仕切りを、背もたれとして狙うか、車両の前後、大抵優先席となっている箇所の壁沿い、七人掛け席の前、それも真ん中辺りの順で、狙う人が多いようだ。要は、これは人々が、いかに楽な体勢で汽車に揺られるか、こういった観点での人々の欲動が、世界を平和から遠ざけているのであり、私は以下のような新しい鉄道システムの実現を、日本国有鉄道帝都高速度交通営団他、鉄道各社に対して、強く要請するものである。

 

 この日もグレゴール氏は、ビシッと背広を整え、会社に向かうため自宅最寄の下総中山駅に到着した。駅は床から天井、壁と、ピカピカに磨きあげられており、清潔感が溢れ出ている。駅員型のアンドロイドがグレゴール氏を出迎える。グレゴール氏の瞳、網膜をアンドロイドは恐ろしい速さで読み取ると、自身の目の前の肉の塊が、グレゴール氏であることを、看過する。

「グレゴール・メンデル様、おはようございます。本日も、東中野までで、よろしゅうこざいますか」

「高山さん、おはよう。今日も出勤だからな。靴を頼むぞ」

「確かにお預かりいたしました。東中野で、お返しいたします」そう言って高山と呼ばれたアンドロイドはグレゴール氏の革靴をうやうやしく受けとると、カウンターの後方にある、物質分解器にその靴を置き、器機を作動させた。靴は分子レベルまで分解された上で、下総中山から東中野までを超光速で移動し、グレゴール氏を迎える。そう、この時代の電車は、みな靴を脱いで乗車するのだ。

「グレゴール様、いってらっしゃいませ」そう言って渡された座布団を受け取り、アンドロイドに見送られたグレゴール氏がホームへ降りていくと、すぐに二階建ての電車が滑り込んでくる。グレゴール氏は電車の扉をくぐると、脇のはしごを使って、二階に昇った。この時代の電車は一階二階ともに、畳張りで、人々は思い思いの格好で、乗車券がわりの座布団に腰かけたり、それを枕にして寝転んで寛いでいる。

「おっ、グレちゃん、また会ったねぇ」グレゴール氏の姿を見るなり、気さくに話しかけてくるのは、大工の八つぁんである。

「お、八つぁん、おはよおはよ」

「おい、おめぇら、グレちゃんだ、グレちゃん、そこ、ちょっと詰めてくんな。誰って? 俺の友達だよ、と、も、だ、ち」

「八つぁん、お、熊さんも、あら、伊勢屋の番頭さんも、こりゃどうも。おはようございます」

「そら、グレちゃん、そこに、たぁんと座ってくれよ。今、若い衆に場所を積めさせたから」

「あい、すいませんね。よっこいしょういちっと。八つぁんもこのところ随分早いね」

「俺かい? 俺と熊とよ、この若い衆、いま第三東京タワーってぇ、ばかにでかいのを作っていてよ」

「おやおや、精が出るね」

 

 とまぁ、こんな感じである。

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