哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

名残の花(澤田瞳子/新潮社)のこと

名残の花

名残の花

  • 作者:澤田 瞳子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/09/26
  • メディア: 単行本
 

■名残の花のこと

 いまもっとも勢いのある若手時代小説作家である、沢田瞳子の『名残の花』を拝読しました。元南町奉行の老武士鳥居胖庵と、金春座の地謡方の若手能楽師である滝井豊太郎、その師中村平蔵らを主要な登場人物として、明治の初め、江戸から時代が移り変わる東京の変化を描く。

 明治期の近代化と言うと古き良き時代から、生産性を重視した機械的な時代への移り変わりなどと、対比で論じられることが多いと思うが、時代小説界においても明治の初め、制度の変更に弄ばれる元士族の、苦しみやそこはなとない寂しさは、非常に良い題材である。このような題材を扱った名作が、第144回直木賞受賞作の『漂砂のうたう』(木内昇集英社)だと思うのだけれど、本作はそれと並ぶような良作であると感じた。

 江戸に幕府があって、将軍がいた時代、能は士族のたしなみとして、各家の殿様は能楽師を召し抱え(つまり能楽師は士族であったのである)、また殿様自身も能を楽しんだり、教養として学んだりしていた。一方、能が士族のものとなった江戸期以降、能から締め出された庶民が楽しんだのが、人形浄瑠璃文楽であり、歌舞伎である。ともあれ、そうした能楽師は徳川将軍が江戸から駿府に引っ込み、士族が没落していく中で、多くが職を失い苦境に立たされる。これは史実であると聞いているが、そうした様が本作でも描かれ、能の一大流派である観世座の宗家が駿府に移り、多くの能楽師が演能の機会を失っていること等が物語にも登場する。

 一方のメインキャスト、胖庵は実在の人物で、江戸幕府幕臣として奢侈の取り締まりを行い節制を行った人物だそうだ。遠山の金さんと同時期の人物で、悪役として描かれることが多いそうなのだが、私は全く存じ上げなかった。本作では、生来の頑固さは描写されつつも、かつて金春芸者などを抱え華やかである故に、自身が過酷な弾圧をおこなった金春座の能楽師と交流する中で、江戸に取り残された自らと能楽師たちを重ね合わせ、互いに古き良き江戸期を懐かしむ者として、素敵にちらほらと巻き起こる問題を解決したりする。

 そんなそんな、懐かしく居心地のよい江戸期に触れることのできる良書が、本作である。ここでは、登場する人々や出来事などを、主にWikipediaを駆使して、どの程度史実なのかなど、(私が)お勉強したいと思う。

  • 鳥居胖庵(耀蔵):1796(寛政8)年生。12代徳川家慶、老中水野忠邦の下、目付や南町奉行として天保の改革で市中の取り締まりを行った。蛮社の獄では渡辺崋山高野長英らの蘭学者を弾圧。その取り締まりの厳しさから”甲斐”守”耀”蔵より、妖怪とあだ名される。
  • 中村平蔵:金春座地謡能楽師。「江戸で伴馬が師事したのは、73代金春流宗家・金春元照の弟子で、金春座の地謡方であった中村平蔵であった。平蔵についてはその来歴が詳らかでないが、後に宝生九郎が「口は悪かつたが芸はよかつた」と語っているように、かなりの腕を持つ役者だったらしい。後に伴馬の弟・金記も、平蔵に師事している。平蔵の稽古は厳しいもので、曲中に一句でも満足に謡えない部分があれば「十日や二十日一行も先へ進むことが出来ない事などは何時もの事」であり、「あまりの厳しさに情なくもあり、何うして謡つたらいいのか途方に暮れてポロポロ涙をこぼす事が幾度あつたか知れません」と、後年伴馬は追想している。「是界」の稽古で突き飛ばされた時には、ぶつかった壁に中指がめり込んだという。後に伴馬はその稽古の厳しさを繰り返し息子・弓川に語ったが、一応平蔵も細川家への気兼ねから、多少は手加減をしていたらしい。( 櫻間伴馬 - Wikipedia より)
  • 初世梅若実(52世梅若六郎):1828(文政11)年生。観世流シテ方能楽師。観世家宗家が徳川慶喜に従い静岡に移るなど、能楽が衰退する中で、能楽堂建設や能を一般に有料公開するなどした、明治能楽復興の功労者。なお物語では4世観世銕之丞次男源次郎を婿養子として53世を相続させるが、後に52世に実子が誕生したことで、源次郎は観世姓に復帰し、観世清之を名乗り、こちらが今の矢来観世家になるとのこと。
  • 金春流宗家:物語中、奈良に引きこもったきり、上京しないため、詳細不明。おそらく76世宗家七郎広運か?( 金春 七郎広運(コンパル シチロウヒロカズ)とは - コトバンク )
  • 川井彦兵衛:金春流太鼓方能楽師。「二十代目川井彦兵衛の女婿増見仙太郎の長男。明治41年(1908年)初舞台。大正5年(1916年)断絶していた宗家を再興、金春五十雄の継嗣として昭和6年(1931年)惣右衛門を襲名し、国泰を名のった。( 金春惣右衛門 - Wikipedia より
  • 浅田宗伯:1815(文化12)年生。漢方医。書生の堀内伊三郎が宗伯の下で製造し、その子伊太郎が命名・販売したのが、浅田飴だそう。
  • 河竹新七:歌舞伎作者の名跡。2代目が黙阿弥。

 正直、思ったよりも実在の人物や史実をモデルに描いており、ビビッておる。是非皆様もご一読を。

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