■立春能 @宝生能楽堂 のこと
2020年(令和2年)2月2日、我が職場の来館者用記念スタンプの「2」が枯渇した日、私は宝生能楽堂の女性能楽師による会を拝見していた。
女性がシテ(主役)を勤める能と、その合間に狂言を6時間ぶっ続けで鑑賞できて、自由席5,000円という、拷問のような、もとい、夢のような公演なのであるが、私は最初と最後の能「巴」「鵜飼」の二曲と、狂言「口真似」「梟」を拝見してきた。
狂言はどちらも、心から笑って楽しめる演目でおすすめである。ここでは、能二曲について、感じたことと調べたことを書こう。
●そもそも女性の能楽師とは
そもそも、男性だけが舞台に立つことのできる、歌舞伎・文楽と異なり、女性でもプロの役者になれるのが能楽の世界である。1948年にはプロの能楽師の団体である能楽協会に女性の入会が認められ、2004年には22人の女性能楽師が重要無形文化財総合指定保持者に指定されている。これは能楽という重要無形文化財を団体として演じるにあたり、一定の技量を有するメンバーとして認められている、的なイメージである。
そういうわけで、今は多くの女性が、プロの能楽師として舞台に立ち、活躍している。
●巴のこと
この曲のシテ(主役)は巴御前という女性であり、巴の夫が頼朝・義経の従兄弟で朝日将軍と言われた、木曽義仲である。義仲は以仁王の平家追討の令旨に呼応して挙兵し、倶利伽羅峠の戦い等に勝利すると、頼朝や義経に先駆けて入京。しかし京での政治、治安維持に失敗したことで京を追われ、宇治川の戦いで、範頼・義経に敗れると、続く粟津の戦いでも敗戦、討ち死にするのである。そんな義仲の最期、巴との別れを描くのが本曲である。
この曲の後半、君の名残りをいかにせん、という詞章がある。浅倉卓弥『君の名残りを』は平安末期にタイムスリップしてしまった現代の若者が、巴、武蔵坊弁慶、北条義時として生きる小説であるが、それを思い出す、一節であった。
さて閑話休題、公演であるが、途中巴が女だてらに薙刀を使う動きのあるシーンがある等、見栄えがして、楽しむことができた。以下、気になるワード等である。
- あさもよい:あさもよしは麻が紀伊の名産であったことから、紀、紀人等にかかる、枕詞。あさもよい(朝催い)は朝飯の仕度をすること。はて。
- 木曽の御坂:神坂峠(みさかとうげ)。伊那郡と恵那郡の境。東山道が通る交通の要所であり、難所。
- 鳰の海:琵琶湖のこと。「鳰の湖」は丘みどりの楽曲。
- 江州粟津が原:近江国。現在の滋賀県大津市。
- 行教和尚:平安時代、大安寺の僧。宇佐八幡宮にて、石清水八幡宮創建の神宣を受ける。
- 宇佐八幡:豊前国一宮。大分県宇佐市。
- かたじけなし:恐れ多い、面目ない、ありがたい
- 袂:和服の袖の下の袋の部分。
- やさしさ:(恥し・優し)身も細るほどだ。つらい。気恥ずかしい。遠慮がちだ。
- 一樹の陰、他生の縁:一樹の陰一河の流れも他生の縁。同じ木陰に宿ったり、同じ川の水のを汲んだりするのも、前世からの深い因縁あってのことである、ということ。
- 入相の鐘:日暮れ時につく鐘(の音)。晩鐘。
- 浦曲:浦回(うらわ・うらみ)。海岸の湾曲して入り組んだところ。湾の岸辺に沿っていくこと。
- 凄し:気味が悪い。物寂しい。殺風景だ。
- 草のはつか:ほんのちょっと。
- 直道:仏道の悟りに最も近い道。他に頼らずに仏道を知ることのできる者(人間)のこと。
- 頼もし:心強い、楽しみだ、裕福だ。
- 白真弓:ニシキギ科の落葉低木、檀(マユミ)の木で作った弓(檀弓)。はる、い、いる、ひ、ひく、かへるにかかる枕詞。
- 深田:常に湛水している湿田の内、特に排水不良で、常時足、腰まで没してしまう水田のこと。
- 浅まし:意外だ。情けない。みっともない。
- 三世の契り:三世の縁。長く続く主従の縁。仏教では、親子は一世、夫婦は二世、主従は三世、続くという。
この曲では後半、義仲の最期を見届けた巴は大立ち回りの後、女性の旅装束に着替えると、義仲の形見の小袖(守り小袖)を木曽に届けるべく去っていく。女性武士としての巴、女性で義仲の妾としての巴、その変化にはもしかしたら、男女の垣根が低くなった現代こそ、訴えるものがあるかもしれない。最後、ピィーーーーーーーーッ!!!!みたいな笛の音で終わった瞬間、グーーーースピィッッッ!!みたいな音を隣のおっさんが発して、えらく間のよいおっさんやな、と思いました。
●鵜飼のこと
殺生禁断の地で、鵜飼により魚をとって(殺生をして)暮らしていた、漁師がシテ(主役)となる曲。漁師はその禁止に触れたことで、捕まって殺されてきまい、成仏出来ずにいる。ワキ(相手役)の僧に成仏させてもらうのだけれど、僧が、ちょっと鵜飼やってみてよ、と言うのが謎。その鵜飼シーンが見どころとなるわけだが、殺生のせいで成仏できないけど、殺生楽しくて止められんのですわー。ほな、いっぺん殺生やってみて!おい坊主、それでいいのか、と思うのだが、そういう話なので仕方がない。
能の「善知鳥」も、鳥を捕まえる猟師が地獄で鳥に責められる様を再現する曲であるが、どうもこうした生活のための殺生を行っていた人々が、地獄に落ちる・成仏できない、という価値観は、簡単には了解できないところがある。鵜飼の漁師も趣味で殺しまくっていたわけではなく、食べるために獲物をとっていいたわけで、なんだかなあ、と。
- 安房の清澄:千葉県鴨川市の清澄寺。日蓮が御題目を唱えて、立教開宗した土地。
- 六浦:神奈川県横浜市金沢区。
- 都留・石和:山梨県の地名。
- 遊子伯陽:七夕の彦星と織姫。
- 先非:過去の過ち。
- もったいなし:不届き。恐れ多い。
- あはれ:ああ(感動詞)。しみじみとした趣(名詞)。
- 身命を継ぐ:生き延びる。
- 一殺多生:一人を殺すことで多くを生かすという意味の仏教用語。
- 業力:果報を生じる業因の力。善業には善果、悪業には悪果を生ずる力。
- 鉄札:閻魔の庁にて浄玻璃の鏡に写して善人と悪人を見分けて、悪人はその名を記して地獄に送る鉄製の札。(←→金札、金紙)
- 真如の月:真如によって煩悩の迷いが晴れることを、明月が闇夜を照らすのに例える
- 一乗の徳:法華経の、誰もが皆菩薩であり、仏になることができる、という教え。
- 悪人:我々は末法の世を生きる凡夫で悪人であり、自らの力では成仏できないことを自覚するべきなのだそうである。
- 結縁:仏道に入る、帰依すること。
- 仏果菩提:善因により得る悟り。
- 往来の利益:All right!