哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

日本舞踊「歌舞伎舞踊」×能楽「仕舞」 @青葉の森公園芸術文化ホール のこと

■日本舞踊「歌舞伎舞踊」×能楽「仕舞」 @青葉の森公園芸術文化ホール のこと

おなじテーマの日本舞踊・能楽の踊りを、演者による解説を交えて見比べます。
2020年2月23日(日)13:00開演
演目:菊慈童(枕慈童)、松風
出演・講師:藤娥勘寿娥(日本舞踊藤間流師範)山井綱雄(金春流能楽師

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 青葉の森公演芸術文化ホールにて開催された「歌舞伎舞踊」×「仕舞」公演(出演・解説:藤間勘寿娥、藤間寿娥次、藤間麻司、山井綱雄、村岡聖美)の第二部を拝見した。金春流シテ方能楽師の山井綱雄師による仕舞(能の見どころ(一部)を地謡(コーラス)に乗せて、面・装束なしで舞う)の枕慈童と松風とを、日本舞踊の同一演目とともに見比べ、表現の仕方や観者の感じ方の違いを楽しむという趣向。
 とても面白かった。軽やかでわかりやすい舞踊に比べて、能(仕舞)は抑制された動きの中に多くの情報が詰め込まれており、しかし、だからこそ想像力を刺激される。

 枕慈童(菊慈童)は古代中国の皇帝の側近である慈童が、誤って(なぜ?)皇帝の枕をまたいでしまった咎で都を追われたが、皇帝が持たせてくれた枕にありがたい言葉が書いてあり、菊の葉にその言葉を書き写して葉から水を飲んだところ(なぜなぜなぜ?)、不老不死になり700年を生き延びた、というような話である。舞踊には、でっかい菊の小道具(でっかい小道具?)が出てきて、そこに水を汲んで飲み、なんか元気になる所作等、写実的な表現がある。足を踏み鳴らす動きも明るく軽やかである。対する仕舞は、録音音源の舞踊に比べて、地謡の声がずっと響き続けるためしゃんとした印象である。一つ一つの動作が落ち着いており、いきなり座ると言った動きや、扇子で水を汲むような動きは出てくるものの、過剰な演技はない。

 その後、山井師による能(仕舞)についての説明があった。聖徳太子の時代にその源が起こった能楽は、江戸期に式楽として国の芸能になり演者は公務員となった。その間に、すっかり庶民から遠くなってしまい、明治期以降に能楽師が武士ではなくなった後も、そういった敷居の高い印象を持たれてしまっており残念である、ということであった。

 それに続いて、松風の上演があった。在原業平の兄である行平が須磨(兵庫県神戸市)に配流されていた時期に恋愛していた姉妹である、松風・村雨の物語。彼は許されて都に戻る際、待っていてくれたら必ずまた須磨に帰ると言って去るのだが、ついに須磨に戻らぬまま、都で没してしまう。

 山井師は姉妹で同じ男を好きになるというのは現代では三角関係のようだが、この当時、この曲では、姉妹の純愛、と言った形で見られており、そう演じられる、と仰っていた。

 本来の能では、松の作リ物を出して、それを行平であると見て、松風が抱きしめると言った動きがある。今回は仕舞なのでそういった舞台装置は一切なく、本当に松風が抱きしめ語り掛ける動きから、全てを想像することになる。一方で舞踊においては、松も、姉妹が生業とする汐汲のための台車もセットとして登場して、可愛らしい。すべてがリアルで、それをリアルに寄せすぎていることで気持ち悪くなっている感も抱いた。

 そういえば山井師は枕慈童→松風で、袴が山吹色の無地→グレー系色ストライプへ、扇も菊花の絵入り→金春雲と、微妙にお姿を変えていた。仕舞においても、多少は演目によって身に着けるもののルールがあるのだろうか。
 山井師は演技の後、オリンピックを迎えるにあたり、日本人には忘れかけている文化があり、それは戦後の焼け野原になった日本から復活した中で、色々な西洋の文化が入ってきた影響もあるのだろうけれど、そういった日本の文化は忘れ去ってはいけないものだし、日本と世界の文化を尊重していくことが世界平和につながるといった主旨のことを仰っしゃり、また勘寿娥師も大きく同意なさっていた。
 こういった面白い試みが続いてほしい。能楽、舞踊に限らず、文楽、落語にも同じ主題を扱った作品というのはあるはずで、こうした多ジャンルの協力の中で、各ジャンルの個性も見えてくるし、各芸能のファンを増やすことにつながるはずなので。

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 青葉の森公園芸術文化ホールは、珍しい組み立て式の能舞台完備の劇場である。今回は仕舞と舞踊とのコラボと、舞踊の発表会ということで、切戸口(舞台上手(右手)の能で地謡・後見が出てくる扉)の前に衝立を立てている。また勘寿娥師は、舞踊が通常横に長い舞台で行われるのに対して、こういった正方形で奥行きがある舞台では、お弟子様方に戸惑いがあった、との発言もなさっていた。

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 この日は、同じ施設内で、能楽ギャラリーの展示も行われていた。写真では確認できないが、古い謡本の展示もあり、色々と書き込みもあって、興味深い。

■海と千葉 @千葉市立郷土博物館 のこと

  青葉の森公園芸術文化ホールから、千葉駅方面に歩いたちょうど中間あたりに、千葉市立郷土博物館がある。こちらは千葉氏の居城であった猪鼻城址にレプリカとしてのお城と博物館を作り、無料で資料展示を行っている施設である。

 恥ずかしながら、私は千葉市民でありながら、今まで来館したことがなく、この公演観劇の機会にと言ってみたのだが、常設展では千葉の歴史がわかりやすくまとめられており、源頼朝や戦国武将、徳川家康等、中央のダイナミズムの中の千葉、といった視点で、千葉が何をしていたのかがわかるので、面白い。

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 またこの日は「海と千葉」と題した企画を行っていた。個人的には、東京湾沿岸を通って、東京と千葉を結ぶ京葉線の、西船橋~千葉みなと間の開業当時の記念切符と言うのが、面白い。

 もちろん、古い時代から港町である千葉、戦中には清国最後の皇帝の弟、愛新覚羅溥傑と浩夫妻が暮らした土地であること等、海と千葉の関連では、興味深い話が多い。千葉市美浜区稲毛)は1912年に日本初の民間飛行場が作られた土地でもあるのである。また、これは終戦後の昭和の時代に顕著であるが、潮干狩り客でにぎわっていた千葉市東京湾沿いは、そのほとんどが埋め立てられて人工の浜となってしまった。

 こういった色々なかかわりが、海と千葉の間にある中で、私が京葉線に関心を持ったのは、当時の京葉線の延伸や1989年千葉県日本コンベンションセンター国際展示場(幕張メッセ国際展示場)の開場が、今となっては色褪せた、希望に満ちたものであったろうという、感慨によるものである。

 今だと、何であろう。千葉市でいえばもう一度、千葉みなと方面を中心に海沿いの地域の発展を狙っているわけで、これは当然に進めるべき事であるが、横浜と言ったモデル(先輩)がある中での後追い、と言った印象が否めない。その点、きっと幕張メッセを作る、幕張新都心ができる、京葉線が延伸する、と言うのは、新たな時代の風を感じさせるものであったのだろう。

 例えば、千葉にはまるで関係のない話であるが、リニアはそういう印象だろうか。ある種、それが誕生したら、我々の生活は変わるかもしれない。そういう期待を抱かせてくれる。しかしそれも、開業前から直後が絶頂なのだろうな、きっと最先端はすぐに我々にとっての普通になって、色褪せていってしまうのだろうな、と思うのだ。

www.city.chiba.jp https://www.city.chiba.jp/kyoiku/shogaigakushu/bunkazai/kyodo/event/documents/2019_flyer_bothsides.pdf

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