哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

冬の旅

【本記事が3/12 22:00に草稿段階で投稿されるミスがありました。申し訳ございません。3/29 22:00完成版を再投稿いたします。】

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■冬の旅

 バタバタと日常をこなすうち、執筆にかける時間が取れなそうであり、(しかし、その危機は、諸々の事情で回避されたのであるが、せっかくなので、)私は恥も外聞もなく、7年前の自分の助けを借り ることにする。文学賞に応募して落選した自作を公開していいのか否かは良く分からないが、まあ誰も気にしないであろう。

●冬の旅(2012年度 第7回千葉随筆文学賞 応募作品)

 家々の明かりを反射して、水面が白く輝いている。対照的にの部分は真っ黒で、いずれもぬらぬらと妖しく僕を誘っているかのようで、遥か高い橋の上からそれを見下ろす僕を吸い込んでしまいそうだ。 

 この川は自宅から少し行ったところにあり川沿いはサイクリングロードになっており、周囲には公園も多い。花見川という名前の通り春には両岸に桜が咲き乱れるもっとも今は冬、静かに寒い真夜中の橋上には私しかおらず、川下の彼方に遠く幕張の夜景が浮かんでいる。 

 自宅を出て、靴紐を結び直す、軽く脚のストレッチをして、ゆっくりと走り始める。大通りを越え、緩やかな坂を下り、右手に見えるブランコのある小さな公園を通り過ぎると、その橋はある。自宅を出てから僕の身体をひりひりと弄っていた寒気は、徐々にその手を弱め、代わって今度は肺の重苦しさが、僕を攻撃する。 

 はっはっすー、はっはっすー、と規則正しいリズムを刻もうとするも、なかなかそれも叶わず、すぐに呼吸は乱れてしまう。苦しい、苦しい。けれども橋を過ぎて、コンビニエンスストアを横目に、民家を抜けて隣町に入っていくに従い、僕の身体は走っているこの状態を徐々に受け入れ始め、少しずつ息をするのも楽になってくる。 

 後はもうどこへ足を向けるのも、ペースを変えてみるのも、僕の自由自在だ。 

 そんな希望に僕の心は歓喜に満たされるが、それもまた幻影であり、その内すぐに疲れてしまって引き返してくる。自分の古ぼけたジャージ姿と、コンビニエンスストアの近代的な明かりとを見比べ、結局、そばにある自動販売機でカルピスウォーターを買って、ブランコのある公園のベンチに横たわる。 

 ブランコのある公園はブランコがあるから、ブランコのある公園なのであって、そこにベンチがあるのであれば、それはブランコとベンチのある公園だ。この指摘は正しい、しかし僕のこんな些細な思索に耳を傾けてくれるのは澄んだ夜空に昇った白い月と、彼女に手を伸ばそうとする黒々とした鉄塔と、葉を落として寂しげな木の枝々と。 

 僕には、こうしていると、思い出される景色がある。 

 

 二年前の冬、古都へ行った。東京駅八重洲口から夜行バスに乗り込んだ晩は、生憎の雪でダウンジャケットを着ていても身体の芯から凍える、心細い出発であった。もっとも幸いな事に、バスの暖房と、休憩のたびにサービスエリアで買った缶入りのコーンスープとに励まされ、到着した早朝の京都駅は好天に恵まれていたが 

 二日間の奈良観光、朝靄の車道を疾走する鹿、建築作業員達のラジオ体操と駅に向かう学生達、そこかしこに潜むガゴゼ、猫をあしらった雑貨を売る甘味処、操り人形の名前がついた洋食屋。暖かい風景。 

 京都へ戻り、競馬の神様、及びお狐様との面会後、伏見稲荷駅より京阪電鉄乗車出町柳駅にて叡山鉄道へ乗り換え、都市部の北の方にある山を登り念願の鞍馬寺を目指す。鞍馬天狗にかの源義経が育てられたことで知られるこの寺。電車を降りると、巨大な天狗の顔のオブジェが僕を迎えてくれる。そこから十五分程、徒歩で登ると鞍馬寺だ。この日も天候は良好であったが、なにぶん山の上だけありかなり冷える。この寺は本尊を尊天として祀っており、何より不気味なのが地下の真っ暗な回廊に、人々の髪の毛を納めた壷が並んでいる事だ。月並みな表現だが、オーラを感じる場所、と言える。もっともこれは序の口である。 

 鞍馬寺の後ろにある山道を、ずいごずいごと進んでいく。ガイド本によると、この道が行き着く先は貴船神社。水の神様であり、境内では水に浮かべると文字が現れるという、なかなか愉快なおみくじが存在し、また同時に和泉式部夫婦円満に導いた事から、縁結びのスポットとしても人気だ。一方で、夫を他の女に取られた女が貴船に詣でた事で、鬼と成り、後に安倍晴明に退治されたとか、恐ろしい逸話も存在する。 

 この社寺の間の山道を、馬鹿にしてはならない。市街と異なり辺りにはまだ随分と雪が残り、足場は湿って凍っている。細く険しい坂道にも、手すりなどという親切なものはなく、道案内の標示は少なく、行程は右に左に、上に下に、くねくねと男らしからぬ事この上ない。おまけに足元からはぐにゃりぐにゃりと木々の根っこが露出しており、辺り一面この木の根が張り巡らされているような、奇妙な空間があったりもする。道々にはいくつもの社が点在し、遮那王尊を祀ったものもある。 

 こういう場所で古くから聖職者達が修行に励んでいたのか、という感慨に浸る暇はない。そもそも、ここは真冬ではなく夏の避暑地として、あるいは秋の紅葉狩りのため、訪れる場所なのではないか、という当然の疑念が脳裏に浮かぶ。当たり前だ、木々は枯れ果てており、徐々に日が陰ってきた周囲には人影はまばら、しばれる寒さの中、体力を奪われて不安にならないほうがどうかしている。そして何より凍った大地、恐い、恐い、恐い、場所によってはまったく踏み均されていない真っ白な雪、音のない雪山で一人ぼっちの僕、滑って転んだら怪我をするだろう、打ち所が悪ければ命に関わる、そうではなくても動けなくなったら、助けは来るのか、そもそもこの道は正しいところを進んでいるのか、怪我をしさ迷い歩いた挙句、忘れ去られてしまうのではないのか、恐い、恐い、恐い。 

 貴船への道のりはほんの一時間か一時間半か、その程度であったと思う。恐らく山に登る人、海へ漕ぎ出す人、自然と真摯に向き合う人は皆、こんなのでは済まされない恐怖を感じているのであろうが、僕にはこのホンの少しの道のりで、十分すぎた。僕はこの瞬間、確かに神を感じた。神という呼び名は不適切かもしれない、それは天照大神のような八百万の神かもしれないし、祖先の霊かも、仏かもしれず、はたまたイエスやエホバ、アッラーの可能性だってある。名前は関係ない、ただとにかく広大な自然に囲まれ、不安定な精神を抱え、ただ己の力しか頼れるものがなくなった意識は、なにか超常的な力に縋りたくなるものなのだろう。 

 その時、僕の意識の中に確かに、神のようなものが生まれていたし、それは確かに存在して僕を励ましてくれたのだ。そして自らの生命の素晴らしさを神に感謝したのだ。 

 

 貴船神社から最寄の駅までは徒歩三十分程であり、冬季は路線バスもないとあって、いよいよ訪れるシーズンを間違えたことを痛感する。もっともこの道のりは舗装された道であり、疎らながら民家や宿泊施設があり、人通りもあるので不安はない。人の手の入っているということがこんなに安心感をもたらすとは、近代以前の人々の生活の中に、頻繁に神仏や物の怪、精霊、呪い、魔法が出てくる理由がわかった気がする。 

 道中、こぢんまりとした喫茶店があり、立ち寄る。店の中央で古臭い石油ストーブが頑張っており、窓の外には通ってきた道路と、その脇を流れる川とが見える。若い青年が持ってきてくれた品書きに、黒蜜モッフルというものがある。 

 黒蜜モッフルとは何ですか。 

 モッフルに黒蜜を掛けたものです。 

 えーと、そのモッフルとは何なのだ、と問いただしたい衝動も、大いなる悟りを開いた僕の前には些細なものであり、勢いでえいやっと注文したそれが、モチモチしていてとても美味しかった事を記すに留めよう。モッフルについてご存じない方は、ウェブ検索でもされるとよろしい。 

 

 夜の公園のベンチから身を起こす。息の乱れはすっかりなく、ただじんわりと両足に重みを感じるだけである。背中には汗でべっとりとTシャツが張り付き、その湿り気が冷えてゾクゾクする。僕が学校を卒業し、銀座にある文房具を売る会社に入社したのが、この旅の二ヵ月後であり、それから一年と数ヶ月、つい二ヶ月前までそこで働いていた。毎朝、誰よりも早く出社し、規則正しい生活をしていた。 

 今は僕を一人ぼっちで置き去りにして、ただ周りの人々だけが時間に乗って、ものすごい速さで過ぎ去っていくようだ。 

 毎日、起きて朝食を食べ、昼食を食べ、夕食を食べ、風呂に入って寝てしまう僕に、どれだけの価値があるのだろう。生み出すものといえばトイレットに流す排泄物と、腹の足しにはならないこのような文章、そして形にすらならない思索だけであるのだから。 

 会社に勤めて感じた事は、空しさと痛みとだ。ただ継続性だけを目的とした企業の生存本能を満たし、建前だけの人間関係を構築する事に何の意味があるのだろう。とはいえ、どこそこの労働者であるという帰属意識からくる安心感以上のものを与えてくれない、虚無の毎日から抜け出した僕を待っていたのは、もうひとつの虚無であり、無意義で非生産的な生活であったのだから、君は僕の事を笑ってくれていい。 

 

 この出口の見えない真っ暗闇の無限回廊において、走る事は僕を僕として存在たらしめている、大きなファクターだ。 

 走る事は苦しい、しかしそれは僕がまだ苦しみに耐えられる事を教えてくれる。 

 その苦しみが徐々に回復する、僕の意思とは無関係に、僕の身体が必死に健康を取り戻そうとしているのを感じられる。 

 そして走る事をルーティンワークのように続けることは、次第に僕のアイデンティティとなって、日一日と僕の鼓動を強くしてくれるのだ。 

 この事実は、京都における僕と神との邂逅によく似ている。人は恐怖、苦しみ、痛みの中で、自分自身の存在理由について、自分自身を生かしてくれる存在について、沈思黙考し何らかの発見をすることができる、少なくとも僕の場合はそうだった。 

 これは社会においても当てはまりうるアイデアだ。人は皆、痛みを感じながら生きている。会社でも、学校でも痛みは存在する、誰かのために痛み、また誰かを痛めつけて、人々は生きる。 

 その痛みに耐えることで、僕も、そしてきっと君も自分の価値を知る事ができる。ただ、その痛みがあまりに強いなら、痛みから逃げても良い。大丈夫、逃げた先にはまた別の自分にしかわからない痛みがあるのだから、そうやって痛みや不安、恐怖を感じている内は大丈夫なのだ、彼らは僕達を生かしてくれるために、そばに寄り添ってくれているのだから。 

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●7年後の本人による講評

 面白かった。私は自分が書いたものを読み返すことが、極度に好きである。過去の自分はこんなアイデアを持っていて凄い、と素直に感心する。ただし、この随筆に関して言えば、書いている内容がプライベートに走り過ぎている感はある。書かれていることは概ね事実で、私は新卒で入社した会社を2年持たずに辞めており、転職活動をしながら、なんとなく生活のリズムを作るために、毎晩ジョギングをしていた時期があり、そこで苦しみ迷走しながら書いたのが、この文章である。その辺の事情を滅多やたらに説明不足のまま入れ込んでいるため、他人が読んでも伝わらないだろう。何が苦しいのか、その痛みが、ジョギングと京都の冬山とどうつながるのか、その辺の整理が不十分である、と感じる。まあ、それを差し引いても、過去の私は凄い。

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