哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

能舞台の世界 ( 小林保治・表きよし[編集] 石田裕[写真監修] /勉誠出版 ) のこと

f:id:crescendo-bulk78:20200329002913j:plain
中尊寺鎮守白山神社能楽殿

能舞台の世界 ( 小林保治・表きよし[編集] 石田裕[写真監修] /勉誠出版 ) のこと

 標題の書籍を読了した。この本は二部構成で第一部は能舞台の歴史や概略、鏡板の松についてなど、能舞台全般のことが記されている。第二部では、各地の能舞台を写真付きで紹介している。通読した感想を述べるとともに、以下に第二部で紹介されている施設の中で、私が気になったものを、ピックアップしてとりあげる。 

 第一部では特に能舞台の歴史について、関心を持って読んだ。能舞台というと大昔からそこに、日本の伝統としてあったと考えがちであるが、観阿弥世阿弥の時代においては、鏡板はなく(舞台後方からも演能を観ることができた)、地謡座もなく、橋掛かりの伸びる方向も異なっており、そもそも当初は常設の舞台もなく、組み立て式の持ち運びのできる舞台を使っていたそうである。

 また「常設の舞台ができた後も、原則的に野外に能舞台があり、劇場としての観客席等を備えた常設の能楽堂が完成するのは明治期である」ことは存じていたが、その明治期に登場した能楽堂も、江戸期の「舞台の向かい側から士族が観能していた」空間構成をそのまま活かした、対置式のものに始まり、能舞台の周りをぐるっと別の建物で覆う形の囲繞式、そして現在の主流である、能舞台全体を覆う、より大きな構造物を作る、入れ子式へと、徐々に変化していったことは本書で初めて知った。

 またこうした能舞台は、例えば明治8年に根岸の前田斉泰邸に創建された能舞台が、囲繞式の松平能楽堂として使われた後、今は入れ子式の横浜能楽堂に収まっているなど、彼らそれぞれに歴史を持っている点が面白い。そうしたわけで、各自に歴史がある能舞台能楽堂を以下に記していく。 

【参考】the能ドットコム:入門・能の世界:能舞台

●松野藝文館(千葉県四街道市

  さて、そんな能舞台であるが、江戸時代に徳川幕府によって、能は武家の式楽とされ、面・装束等とともに写しを取られて、江戸城御本丸の舞台を参照して作られたのが各地(各藩)の能舞台だそうである。松と竹の下絵・雛形を元に普請をしたそうで、しかし諸大名は松の葉の階数や橋掛かりの長さは、将軍家に遠慮をしたとのこと。そんな能舞台に描かれる鏡板の松についても造形が深く、また能画の分野で活躍したのが、松野奏風とその次男秀世であるそうだ。親子は能舞台の鏡板への老松図の揮毫を行っており、例えば中尊寺境内白山神社能楽殿は奏風の筆によるものだそうだ。そんな彼らの功績を展示するのがこちらだそうである。

松野父子の画業紹介 能の魅力伝える30点 四街道 | 千葉日報オンライン

靖国神社能楽堂(東京都千代田区

  九段能楽堂とも。前身は芝公園内紅葉山にあった芝能楽堂で、岩倉具視以下華族を主とする社員62名によって創始された能楽社が能楽の維持保存等のために発起し、明治14(1881)年に舞台披き。岩倉没後、各流派の能楽堂が増え能楽師の出勤も減ったとのことで、明治35年靖国神社に奉納・移築されたとのこと。明治39年能楽倶楽部による第1回の「夜能」以来、現在も毎年4月初旬に、夜桜能が催されている。

靖國神社

横浜能楽堂(神奈川県横浜市

 本舞台は明治8(1875)年、上根岸の旧加賀藩主前田斉泰の隠居所に建てられ、大正8(1919)年に旧高松藩松平家に譲られ、東京染井の松平頼寿邸に移築され染井能楽堂の舞台となり、戦後は東京近郊の能舞台の多くが焼失した中で、各流派が挙って使うことになった。小津安二郎の映画「晩春」の撮影にも使われたそうで、二世梅若万三郎の「杜若」を長回しで撮影しているそうである。昭和39(1964)年に解体された後、平成8(1996)年の横浜能楽堂の開館に伴い、本舞台として復活。鏡板には、前田家の家紋剣梅鉢と前田家の祖菅原道真にちなみ、老松に加え白梅(と根笹)が描かれている。

横浜能楽堂 横浜市芸術文化振興財団

●代々木能舞台(東京都渋谷区)

  観世流浅見家の能舞台。京都西本願寺にある最古の能舞台である北能舞台を模している。公演時には本舞台向かいに面した母屋の大広間が見所となり、広間はガラス戸・ふすまを取り払って、柱のみが残るように設計されているとのこと。戦災で東京の多くの能舞台が焼失した際は、各流派の能楽師が次々と代々木能舞台に上がったとのこと。現在は「代々木果迢会」の年4回の定例公演が行われている。 

代々木能舞台公式ホームページ:

●宮越記念久良岐能舞台(神奈川県横浜市

  横浜市磯子区久良岐公園の一角、三方を山に囲まれた場所にあり、元は野毛山の林光寺の住職であった塚越至純禅師の隠居所(禅堂)。旧東京音楽大学能舞台を譲りうけ、昭和40(1965)年に地謡座・橋掛かり等を付設して復元したものだという。

宮越記念 久良岐能舞台

●京都観世会館(京都府京都市

  大正7(1918)年、観世元義(七世片山九郎右衛門)が観世流の関西での基盤とすべく、川端丸太町西詰に建てた観世能楽堂終戦の年の4月15日、強制疎開のため取り壊しとなり、舞台建立27年でその幕を閉じる。その後昭和25(1950)年ころから片山博通(九世九郎右衛門幽雪)を中心に舞台再建の気運が出始め、資金集めでは博通夫人(四世井上八千代)の努力もあり、岡崎の地に昭和33年に、京都観世会館と称して舞台披きを迎えた。鏡板の老松は画家、堂本印象によるものだそう。

京都観世会館 オフィシャルWebサイト

●大江能楽堂京都府京都市

  明治41(1908)年に五世大江又三郎(竹雪)により創建。前述の京都観世会館の前身となる能楽堂とは反対に、終戦の年の8月15日強制疎開による取り壊しが予定されていながら、その日に玉音放送があったことで、難を免れたという能楽堂。京都の中心で110年前の趣を今に残す能楽堂だそうである。

大江能楽堂ホームページ

りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館新潟県新潟市

 平成10(1998)年にオープンし、指定管理者として公益財団法人新潟市芸術文化振興財団が運営を行う施設である。能楽堂は387名の収容人数を誇り、能楽に限定されず、演劇や民族音楽のコンサートなど多ジャンルで活用されているそう。今回、こちらに着目した最大の特徴は、鏡板を外すことで、背面の日本庭園の竹林をバックとした演能が可能になる点。面白い仕組みだと思う。 

りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館

●伊豆・修善寺旅館あさば能舞台静岡県伊豆市

 能舞台・楽屋・橋掛かりともに池に面しており、観客席は池の対岸の客席と濡れ縁で、対置式能楽堂の様な作りとなっている。池の中には能舞台と同じ、三間四方の石舞台があるそう。元は旧大聖寺藩主前田利鬯より、東京深川の富岡八幡宮に寄進された能舞台を、明治後期に七代目浅羽保右衛門が、この地に移築したと伝えられているそうだ。

伊豆・修善寺 あさば旅館|舞台

身曾岐神社能舞台山梨県北杜市

 こちらも池に面した能舞台である。創健者の坂田安儀宮司が、友人の武智鉄二より、能は日本芸能の根源であるから能舞台を神社に作るよう、勧められて作ったとのこと。設計は榛澤敏郎、鏡板の松は守屋多々志によるもの。

身曾岐神社

中尊寺鎮守白山神社能楽殿(岩手県西磐井郡

 嘉永6(1853)年、社殿とともに焼失していた能舞台を、第十三代藩主伊達慶邦が再建、寄進したものとのこと。経済危機下での奉納であったため、当初は舞台に鏡板の松が描かれておらず、現在の松は、昭和22(1947)年の松野奏風によるもの。仙台伊達藩では能を乱舞と呼び、金春・喜多の二流より三家の太夫家があったそうで、現在は喜多流による演能が行われている。

白山神社能舞台 文化遺産オンライン

●黒川春日神能舞台山形県鶴岡市

 黒川能が行われる能舞台。中央の能舞台、左右の部屋が一段低く作られており、上座と下座の人々の見所となり、それぞれ脇に橋掛かりがあるそう。文章で読んだだけで、不思議な空間が妄想され、気になる。

黒川能保存会

厳島神社能舞台広島県廿日市市

 厳島(通称、安芸の宮島)の海上にある能舞台。永禄11(1568)年に八世観世大夫が下向し、初めて江の中に舞台を張らせて九番の演能を行った(『房顕記』)そうであり、これが今の舞台の前身(仮設舞台)であり、毛利元就陶晴賢との戦勝記念に寄進した、とも。

国宝・世界遺産 嚴島神社 【公式サイト】

■ちょっと関連

philosophie.hatenablog.com

カラー百科 見る・知る・読む 能舞台の世界

カラー百科 見る・知る・読む 能舞台の世界

  • 発売日: 2018/02/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

【目次】

第一部 能舞台の誕生と歴史
能舞台の概要 表きよし(国士舘大学教授)
能楽堂の空間構成とデザイン 奥冨利幸(近畿大学教授)
図面で見る能楽堂 大江新(法政大学名誉教授)
鏡板をめぐる周辺
 その一・能舞台の鏡板 松野秀世
 その二・鏡板の松 松野奏風
 その三・鏡板洛中洛外 松野秀世
 その四・松野藝文館について 松野藝文館
能楽堂細見 小林保治(早稲田大学名誉教授)
第二部 全国能楽堂能舞台案内
◆関東
二十五世観世左近記念観世能楽堂 観世清和(二十六世観世宗家)
能楽堂追想…観世能楽堂(松濤) 野村四郎(シテ方観世流能楽師人間国宝
能楽堂追想…観昭会館能舞台 松田存(二松學舍大学名誉教授)
国立能楽堂 表きよし(国士舘大学教授)
靖国神社能楽堂 小林保治(早稲田大学名誉教授)
横浜能楽堂 中村雅之(横浜能楽堂館長)
横浜能楽堂誕生秘話 松田存(二松學舍大学名誉教授)
宝生能楽堂 宝生和英(宝生流二十世宗家)
十四世喜多六平太記念能楽堂 塩津哲生(喜多流能楽師
コラム…仮設能舞台【前編】
梅若能楽学院会館 表きよし(国士舘大学教授)
銕仙会能楽研修所舞台 表きよし(国士舘大学教授)(監修・九世観世銕之丞
矢来能楽堂 観世喜正(シテ方観世流能楽師
梅若万三郎家能舞台 三上紀史(大東文化大学名誉教授)(監修・三世梅若万三郎
代々木能舞台 浅見真高(シテ方観世流能楽師
日本文化伝承の館こしがや能楽堂 小林保治(早稲田大学名誉教授)
杉並能楽堂 表きよし(国士舘大学教授)
セルリアンタワー能楽堂
能楽堂追想…銀座能楽堂 大江新(法政大学名誉教授)
川崎能楽堂 北條秀衛(川崎市文化財団・顧問)
鎌倉能舞台 中森貫太(シテ方観世流能楽師
コラム…仮設能舞台【後編】
宮越記念久良岐能舞台 黒岩忠臣(久良岐能舞台館長)
◆関西
西本願寺能舞台 石黒吉次郎(専修大学名誉教授)
東本願寺能舞台 石黒吉次郎(専修大学名誉教授)
京都観世会館 青木道喜(シテ方観世流能楽師
金剛能楽堂 金剛永謹(金剛流二十六世宗家)
大江能楽堂 大江広祐(シテ方観世流能楽師
河村能楽堂 味方健(シテ方観世流能楽師
河村能舞台の思い出 河村晴道(観世流シテ方能楽師
能楽堂追想…関西セミナーハウス能楽堂 天野文雄(大阪大学名誉教授)
コラム…橋掛り
奈良春日野国際フォーラム甍能楽ホール 金春安明(シテ方金春流八十世宗家)
コラム…虫干し
大阪能楽会館 小林保治(早稲田大学名誉教授)(監修・大西智久)
コラム…脇鏡板
大槻能楽堂 大槻文藏(シテ方観世流能楽師人間国宝
山本能楽堂 山本章弘(シテ方観世流能楽師
住吉神社能舞台 澤木政輝(能楽評論家)
コラム…後座
湊川神社神能殿 大山範子(神戸女子大学古典芸能研究センター非常勤講師)
篠山春日神能楽殿 中西薫(篠山能楽資料館館長)
大津市伝統芸能会館 澤木政輝(能楽評論家)
◆中部
石川県立能楽堂 児玉信(芸能研究家)
能楽堂追想…金沢能楽堂 佐野由於(宝生流シテ方能楽師
佐渡能舞台 池田哲夫(新潟大学名誉教授)
りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館 池田哲夫(新潟大学名誉教授)
コラム…伊豆・修善寺旅館あさば能舞台
MOA美術館能楽堂 高見輝宏(MOA美術館)
名古屋能楽堂 林和利(名古屋女子大学教授)
豊田市能楽堂 柳沢新治(能楽ジャーナリスト)
岡崎城二の丸能楽堂 小林保治(早稲田大学名誉教授)
甲陽舞能殿 佐々木高仁(武田神社宮司
身曾岐神社能舞台 増田正造(武蔵野大学名誉教授)
コラム…能舞台の模型【早稲田大学演劇博物館所蔵万延元年再建江戸城本丸能舞台模型】
◆東北・中国・四国・九州
中尊寺鎮守白山神社能楽殿 小林保治(早稲田大学名誉教授)
まほろば唐松中世の館唐松城能楽殿 石田裕(能楽写真家)
古典芸能伝承の館碧水園能楽堂 佐々木多門(喜多流能楽師
黒川春日神能舞台 奥山けい子(東京成徳大学教授)
登米町伝統芸能伝承館森舞台 小林保治(早稲田大学名誉教授)
喜多流大島能楽堂 大島衣恵(喜多流能楽師
厳島神社能舞台 出雲康雅(喜多流能楽師
アステールプラザ能舞台 粟谷明生(喜多流能楽師
野田神社能楽堂 小林責武蔵野大学名誉教授)
コラム…能舞台の模型【金沢能楽美術館の旧金沢能楽堂の模型】
高知県立美術館能舞台 福島尚(高知大学教授)
大濠公園能楽堂 表きよし(国士舘大学教授)