哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

2020年5月の読書のこと「エリック・ホッファー自伝 構想された真実」

エリック・ホッファー自伝 構想された真実(エリック・ホッファー/作品社)のこと

 

 以下は平成32年5月、R大学11号館地下講堂において行われた講演の音声を 書き起こしたものである。なお、その際に講演者が用意したスライドは、上の動画の通りである。

 

 エリック・ホッファーは、1902年に生まれ、83年まで活動した、アメリカの独学の社会学者です。彼が港湾労働者として働きながら、本の執筆をつづけたことから、沖仲士の哲学者、とも呼ばれています。

 沖仲仕(士)(おきなかせ、おきなかし、ステベドア/ステベ、英語: Stevedore)とは、狭義には船から陸への荷揚げ荷下ろしを、広義には陸から船への積み込みを含む荷役を行う港湾労働者の旧称( 沖仲仕 - Wikipedia)で、現在は差別用語であるとして、使われない言葉です。今回はそんなホッファーの自伝についてお話をしていきます。

 

 さて、1902年にニューヨークに生まれたホッファーですが、彼が5歳の時、母親が彼を抱いたまま階段から落ち、そのことがもとで身体を壊した母親は、ホッファーが7歳の時に亡くなってしまいます。同じ年、ホッファーは失明し、15歳の時に突然視力が回復するまでの期間を、盲目ですごします。またこのころ、マーサという女性が家にいて、ホッファーは彼女のことを親戚なのか家政婦なのかわからない、と説明しているのですが、彼女が冗談めかして、ホッファーの家系は代々短命で50歳以上生きた者はいない、ホッファーも40歳までの寿命だから、将来のことは心配するな、と、そう言われたことを自伝で記していて、この言葉が、彼のその後の人生に大きく影響を与えることになるのです。

 というのも、彼は40歳頃から65歳頃まで、港湾労働者をしながら思索を続ける生活をしており、実際に初めての著作を刊行するのもこの時期なのですが、それ以前の20歳頃から40歳頃の間、原則的には定職に就かず、臨時雇いの季節労働者等として生活費を稼ぎながら、残りの時間は読書や勉強に充てる、という生活を送っています。この自伝には彼の72歳のころのインタビューが収録されているのですが、その中でも、一日6時間、週5日以上働くべきではないと語っていて、本当の生活はその後始まると、つまり、生きていくための仕事はその週30時間以内に収めて、それ以外の時間で自分のやりたいことをきちんとするのが大切なのだ、ということなのだと思います。そして彼のそうしたポリシーを、形成する後押しをしたのがこの、自分は40歳までしか生きられない、という前提だったのではないかと思います。

 彼の生活は、このインタビューの72歳、つまり晩年までとても簡素であったそうです。とりあえず40歳まで生きられるよう、日々の生活費をその場で稼いでいけばいいや、という考えで、結果としてその後、彼は81歳まで生きるわけですが、そこに至るまで、別に怠け者なわけではなく、仕事以外の活動を大切にするために、必要以上に働いて貯めこむことはしない、そんな彼のスタイルのきっかけとなったのが、このマーサという女性の言葉だったようです。

 本の中に、ある農場主との思い出が記されています。その農場主は、猛烈なインフレを経験して、お金の力を信用できなくなり、自ら食べ物を生産できるようになれば安定すると考えて、農場主になったそうで、彼の農場で働く労働者のために図書室を設けたりと啓蒙的な雇用主だったようです。それで、その農場主はある日ホッファーに対して、どうしてあなたの様な知性的な人間が、そんな季節労働者みたいな不安定な生活をしているのか、と問うたそうです。これに対してホッファーは、農場主は農場で革命が起きたらそれで終わりだと、季節労働者の行う種まきや刈り取りのような仕事は、必ずどこかしらで働き口があるのだから食うに困らない、というようなことを答えたそうです。われわれも今、必要以上に働いて、必要以上に貯めこんで、本当にそれが信用できるのか考えないまま、お金や土地の所有であったり、地位の確保に固執しているのかもしれません。

 

 話を少し戻します。ホッファーは18歳の時に、父親を亡くし、また当時、同居していたマーサはドイツに移住していたそうです。目が見えるようになってから、彼はまたいつ見えなくなるともわからずに、とりあえず本を読み続ける等、読書は好きだったようで、この18歳で天涯孤独となった後も、父の同業者である家具職人たちが葬式をあげてくれて、その時に彼らからもらった300ドルを持ってロサンゼルスに行き、図書館の近くの安アパートで、有り金が尽きた後は持ち物を売りながら、読書に励む日々を送ったそうです。

 その後、職業紹介所に行き、日雇いの仕事をして食いつなぎ、当時は定職を探していたようで、あるユダヤ人に雇われて定職につき、その雇い主と良い友情関係を築いたようですが、その雇い主も2年後、ホッファーが28歳の時に死んでしまい、残りの人生を考えるため、ホッファーはその後の1年を、またまた仕事をせずに蓄えを使って読書に勤しむことに費やすのです。

 この期間、ドストエフスキー旧約聖書を読んですごし、やがてお金が尽きます。また仕事に戻って、それが死ぬまで毎日続くかと思うと幻滅したそうで、また40歳までしか生きられない自分が、約10年後に死ぬのも今死ぬのも変わらないだろうという思いもあったようで、ともかく、1930年の暮れに準備をして、人気のない泥道でシュウ酸という毒を口に含む、まではしたようですが、自殺は未遂に終わり、彼は毒を全部吐き出してしまいます。その後カフェテリアで食事をして、都市労働者ではなく、一本の道をどこへ行くでもなく進み、色々な街を渡り歩いていく放浪者になる決心をするのです。

 

 その後のホッファーは季節労働者として各地を転々としたようです。深い友情や愛情の関係で結ばれた相手もいたようですが、その場限りで別れることがほとんどであったようで、例えばヘレンという女性とは、彼女と友人が街にやってきた日に、カフェテリアでアルバイトをしていたホッファーがナンパしたような形で出会い、住む場所を世話してやった大学院生で、毎晩のように彼女らと食事を共にしていたようですが、ホッファーの頭脳の明晰さに感心した彼女たちが本気で。彼に大学で高等物理や高等数学を学ばせようと計画し始めたことに恐れをなしてすぐさま、その当時住んでいたバークレーを去ってしまいます。

 それ以外にも、綿花畑での仕事で出会ったアンスレーや、やはり仕事仲間でモンテーニュの『エセー』等について語り合い、毎晩食事を共にしていたイタリア人のマリオ等、魅力的な人物がたくさん描かれています。

 

  そしてホッファーは、1941年、真珠湾攻撃の後に、国のために何かをしたいとサンフランシスコに行き、運よく職業紹介所に派遣されて、港湾労働者となりました。港湾労働者組合は基本的には閉鎖的な組織であったそうで、この戦時中のみ、新参者に門戸を開いていたそうで、この時に彼が思い立っていなかったら、沖仲士の哲学者は生まれていなかっただろうと思います。

 当時の港湾労働者組合は普通の人により運営されていて、ほとんど読み書きのできない沖仲士が組合長として、てきぱきと活動していたそうです。一方で普通の人は貴族になりたいものであるから、故にこの組織が排他的であったと、ホッファー自身は分析しています。また18世紀まで普通の人々は支配者の人形であり、19世紀にアメリカ合衆国建国とフランス革命で普通の人が歴史の主体者となったが、続く20世紀には知識人たちが支配者となり体制を作った、この時代の普通の人は管理職になれないものだ、と関連付けて述べています。

 

 ともかく、エリック・ホッファーは、その人生の多くの時間を肉体労働をしながら、思索を深め、最終的にはその考えを著作という形にした人物でした。沖仲士にとって面倒さえ厭わなければできないことはない、だから自分の書籍の出版も大したことではない、と言うのが彼の謙虚な意見ですが、とはいえ、なかなか彼の様な生き方を実践できる人はいません。

 彼が活躍した時代から比べれば、移動の手段は広がり、またインターネットの普及で情報へのアクセスは格段に容易に、かつ速くなりました。一方で、季節労働者や港湾労働者のような生き方は、少なくとも当時のアメリカと現代日本を比べると、人手に機械が取って代わったことにより、困難になっているのではないか、ということが推測できます。

 とはいえ、彼の人生を形だけなぞっても意味はありません。しかし彼の精神を、参考にすることはできます。彼の語った一日6時間、週5日間の労働、この数字が実現可能かあるいは妥当かも、それは各人の状況に依るでしょう。しかし少なくとも、本当の生活はその後、という意見は覚えておくべきことでしょう。我々は生活の糧を得るためだけに生きているわけではありません、かと言って、その本当の生活であるところのものを、生活の糧を得る手段にすることが大切なわけでもありません。つまり、プロの物書きになるのでもなく、かと言って仕事である港湾労働で大儲けしたのではない、ホッファーの生き方はそういうものでした。そして、そのことはもう一度、我々一人一人が考え直す価値のあることなのだと思います。 

エリック・ホッファー自伝―構想された真実
 

  ■ちょっと関連

philosophie.hatenablog.com