哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

敷設のこと②「双子のライオン堂へ」

■敷設のこと②

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 これは私が、自身のパラレルキャリアへの線路を敷設するべく、うねうねする連載である。

●『めんどくさい本屋』(竹田信弥/本の種出版)のこと

 先日の記事で紹介した、 双子のライオン堂 (@lionbookstore) | Twitter 店主の竹田信弥さんの著作『めんどくさい本屋』を読了したので、改めてその感想を記す。本書の中で私の印象に残った文章を引用しつつ、感じたことを説明していこう。

――双子のライオン堂の原型となったネット古書店も、「やろうかなあ、やるかぁ」と一人でモニョモニョ悩んだりしているときに、彼女の一言でやることを決めました。「悩んでないで、やりなよ」と(本人は、忘れているみたいですが)。(p42)
 すごいのはまずこれが、高校生の頃のエピソードである、ということである。後に奥様となる方の一言、自分で何か発想したり行動したりということはもちろん大事であるが、背中を押してくれる存在も大事なのだな、と思う。

――でも、それは言い訳に過ぎないと、自分でも分かっていました。このときも彼女(今の妻)に「言い訳はいいから、できることからやってみれば」と諭されました。お前が拘っているのは、形なのか、中身なのか、と。(p49)
 筆者は、まだ高校生ということで古物商許可がもらえず、自身の読んだ古本を売る分には問題ないが、古本を仕入れて売ることはできない、という状況であった。形に拘ってしまうのは、とてもわかる。

――ただ、ぼくの場合は、だから一生懸命毎日生きようという、教訓じみたことは考えなかった。どちらかといえば、すぐ死ぬかもしれないからやりたいことはやろう、と。それで、「思いついたことはなるべきやってみる」というモットーを持つようになった。(p57)
 旅先での出来事で狂犬病発症の可能性のあった筆者にとって、すぐ死ぬかもしれないは、比喩ではなく実際の問題であった。そんな具体的な危険性があるわけではないが、人間誰しも、明日どうなるかなど、わからぬものである。今できることを頑張ろう。

――そんなとき、「自分は本屋なのだ」と言い聞かせることで、仕事の厳しさから逃げることができました。(p70)
 会社員でいると、会社が自分の生活の大部分を占めることになる。高校生にとっては高校がそれである。大学のときは学部・サークル・アルバイトと、今思うと世界がたくさんあった。仕事以外の世界を、たくさん持ちたいものである。

――自分が思っている理想のお店のイメージを伝えて、それを一枚の絵にしてもらう。(p83)
 私がメンタル関連で休職し、復職するためにある支援施設に通っていたとき、未来の自分の姿を絵に描く、というプログラムがあった。確か、人とコミュニケーションを取りながら何かしている絵を描いた。また描いてみたいと思う。

――100年続けるなら、無理をしてはいけない。負けない戦略を取ろう。本屋の売上に頼らない。なるべく期待しない。マイナスが出なければいい。(p93)
 この発想がすごい。これだ、と思った。本屋に限らずやりたいことを○○屋さんとしてやるには、それで生計を立てねば、でも無理やん、となりがちであるが、決してそれだけで生活する必要はないのだ、というのが新鮮な驚きであった。

――そのとき、ふと、家賃を100年払い続けた場合の換算をしてみようと思い立ちました。仮に、1か月10万円とすると、1年で120万円。100年で……、1億2000万円! これは衝撃でした。(p110)
 この発想ができることが、衝撃である。

――本屋が好きなので、本屋を残したいという思いから、本屋をやっているけど、もしかするとそういう空間をめざしているのかもしれないと思えてきた。いつかぼくは、大人の児童館(矛盾しているけど)をつくるかもしれない。(p213)
 これも結構興奮した。人が集まってすごせる空間に興味があったので、それを本屋という形で目指している人なんだ、というので、とても参考になった。

――紙の本で読むと、それを読んでいたときの周辺記憶も一緒に残る気がする。本の実質的な重さがスイッチになって、ああこの本を読んだとき、だいたいこんなことしてたなぁ、みたいな。手触りも同じで、このザラザラした表紙を暑い夏に触っていたなぁ、とか。(p225)
 とてもわかる感覚である。本が良いのであって、中の物語や情報だけほしいわけではないのである。だから電子書籍が便利な世の中だけれど、紙の本にも頑張ってもらわねばなるまい。

●双子のライオン堂へ行ったこと

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 以上のような思いをいだきつつ、やや逆上気味に、私は念願の双子のライオンとに向かった。9月10日(木)の15時すぎのことである。千代田線の赤坂駅で下車して、地上に上がる。まるで反対方面に出てしまったようで、結局駅一つ分ほど、無駄に歩くことになった。

 路地に一本入ると、TBS等のメディア関係者の臭いがして賑やかであった赤坂の町は消えて、古き良き東京の路地裏が現れる。そんな人通りの少ない道に静かに、ただし、きちんとした存在感を持って、双子のライオン堂は存在した。

 聴いていた通り、本の形をした扉がある。中の様子がうかがい知れず、不安になる。割と重めの扉(本)を引くと、玄関があってスリッパがちょこんと置かれている。こんにちは、と声をかけながら、上がり込むと店主が顔を出す。

 双子のライオン堂は作家等のおすすめ本を、選者ごとに配架した選書専門書店である。ジャンルで固めている棚もあるが、選書本のコーナーは選者の詳しい説明もなく、木札で選者の名前があり、ゆるく似たような本が並んでいる。だからどこに何があるのか、よくわからない。この日は百書店や、一つの版元(本の雑誌社|WEB本の雑誌)の本を全部集めるフェア等もあり、くるくる眺めながら2周、3周、あ、こんな本もあると巡ると、あっという間に2時間程度がすぎてしまった。

 店主の竹田さん(『めんどくさい本屋』著者)は物腰の柔らかな方であった。取材等の対応をお忙しくなさっていて、ちょいちょい、せっかく来ていただいたのにお話しできなくてすみませんとか椅子に荷物を置いてくださいとか、お声がけくださり、また一通りお店を見終えた後、お忙しい中少しお話を聞いてくださり、良い時間をすごすことができた。

 こうした、お店の人と話すことや、まっすぐに目当ての本が見つかるような本の並びではなく、たくさんの人のおすすめの本たちをぼんやりと眺めながら何か自分と波長の合う本があるのではないかと、出会いを待つ時間等を思い返すに、双子のライオン堂は本の売買の場ではなく、本を通して時間をすごす場なのだと、改めて思う。

●敷設のこと②

 私自身何かやりたい気持ちはある。『めんどくさい本屋』で語られたように、それは生活の糧になるものでなくてもいい。私の本業は本業で、それはそれとして、でも自分は○○である、と思えるのは素敵なことだ。

 とりあえず、自分のやろうとしている何かに、親鸞が詠んだという「明日ありと思う心の仇桜夜半に嵐の吹かぬものかは」に因んで、屋号を付けた。何をするかは、知らない。

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ロゴ変えまーす。
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