哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

2020年10月の徒然なること

■2020年10月の徒然なること 

 あやしうこそものぐるほしけれなので、最近のことをつらつらと書きます。

●雨の休日の朝に

 雨の休日の寒い朝に、私はお布団に入って横になったまま、目をつむって雨音に耳を澄ませながら、考え事をしていた。未来のことを。

 私は、これがやりたい、という希望を持たずに生きてきた。そう思っていた。しかし、それだけではないのかもしれない。漠然と文章を書く人になりたい、という思いは持っていたし、今もその気持ちはある。前の仕事を辞めた際、書いた文章を売って生活できないかと思ったこともあったが、そんな道へ進む自信も度胸もなくてやめた。でも、それはそれでいいのだ。今思うに、私にとって重要なのは、文章を書く人であることであって、それはあなたのような人に読んでもらえれば良いのであって、もちろんたくさんの人が読んでくれればうれしいとは思うけれど、文章を売って生活する人になりたいわけではないのだ。

 高校生の時は、趣味の乗馬に関わる仕事をしたいと思ったこともあった。しかし心身の弱い自分に、馬の命を預かり、また時には馬の命を奪う決断をしなければならない仕事はできないと、あっさりと理解した。大学を卒業する頃は、出版関係の仕事をしたいと思っていて、実際たくさんの出版社や大手の書店に就職活動をしたけれど、どこからも声はかからなかったし、多分自分でも採用されるとは、つまり出版社で働くことができるとは信じていなくて、ふわふわした中での就職活動であった。気まぐれに応募したある小売店に採用になり、そこに就職した。

 その小売店では今思うと不思議なほど、色々なことにイライラしていたし、すこぶる体調が悪かった。通勤電車、慣れない仕事、大人たちに囲まれる環境、全てがストレスになって、訳もなく腹を立てていて、人間関係も上手くいっていなかった。たびたび仕事を休みながら、悩みながら、上司にもう少し続けてみると話したときに、やってみるではなくてやると思ってやれ、みたいなマスターヨーダのようなことを言われたけれど、ついぞピンとこなかった。私にとって職業は、やるぞと意気込んでやるようなものではなくて、たまたまそこに引っかかったからやってみているくらいのものであった。

 結局、私はその小売店に馴染めず、退職してしばらく後、今の会社に転職した。今の会社でも最初に配属された経理の部署で、慣れない環境の中で仕事に追われて、体調を崩して休職し、今勤めている営業部門に異動になった。今の部署では2年半ほど、同じ仕事の担当で同じ上司の下で、ひとまず落ち着いて仕事を続けているが、私の会社は3年を目途にジョブローテーションを行っている。おそらく、そろそろ私も異動の時期である。

 はたして、大学を卒業後10年の間、5~6年の迷走を経てうつを理由とした1年ほどの休職をして、復職して2年半、一人のサラリーマンとなっているのか否かが、よくわからない。多くのサラリーマンは、日々に不満を抱えながらも、会社から解雇されない限り、一社に留まり続けるであろう。私にはそれができるだろうか。たまたま今の部署・上司に恵まれて、2年半という歳月が流れたのか、異動して違う部署・上司の下でも、同じように時が流れるのか……、わからない。落ち着いて考えれば些細なことであっても、私にとって悩みの種になり、仕事自体を拒絶したくなる。その上、仕事の中でこれをやりたいという希望を探そうにも、異動は玉つきで自分がどこの部署に行かされるのかがよくわからないので、希望を見つけにくいところではある。部署を横断した、より大きな目標を見つけようと、考えてはいるが、これがやりたいからこれを極めよう、ということができる、言える会社ではない。

 そんな中でも、振り返るに、私が希望するのは、文章を書く人であること、なのである。私はこうして文章を書く。これこそが私なのかもしれない。それ故に、職業人としての私がどんな衣装を着ようと、私の知ったことではないのかもしれない。であれば、文章を書くネタ探しくらいで、何をさせられても適当にすごしていれば良いのかもしれない。外の冷たい雨は、止む気配がない。

●令和2年10月歌舞伎 @国立劇場大劇場 のこと
 国立劇場10月歌舞伎「新皿屋舗月雨暈―魚屋宗五郎―」「太刀盗人」を拝見した。
 どちらもわかりやすく、楽しめる。特に狂言長光」を題材にしたという、狂言舞踊「太刀盗人」は明るくおかしく、誰にでも勧められる作品である。都に出た田舎者が訴訟を済ませて帰るにあたり、土産を買い求めるが、持っていた太刀をすっぱ(盗人)に奪われそうになる。ところの目代が来て、太刀がどちらのものか裁くため、その太刀の来歴や長さを両者に訊ねるが、すっぱは先に答えた田舎者の回答を覚えて繰り返す。その中で歌舞伎ならではの、答えを舞で表す、といった舞踊要素が加わる。すっぱのコミカルな出立等、元となった狂言を超えて、面白い部分があるように思う。
 「新皿屋舗月雨暈―魚屋宗五郎―」は、妾として屋敷に上がっていた妹が讒言により殺された事情を知った魚屋宗五郎が、金毘羅様への願掛けで絶っていた酒を飲んで、屋敷に行って訴える~、といった内容である。宗五郎が禁酒を破って酔っ払うシーンは、落語「親子酒」のような面白みがあり、良い。「酔って言うんじゃございませんが……」当代の菊五郎による、宗五郎の名セリフも良い。宗五郎が酒に飲まれると暴れるけれど、根は真面目で筋を通す人間であり、良いから醒めて、屋敷に乗り込んだことを聞かされると恐縮し通し、というのも、素敵。
●2020年9月の徒然なること

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上野にて

 9月は2度、上野に行って「らぁめん 鴨to葱 (@tokamonegy) | Twitter」にてラーメンを食べた。よく上野へ行ったのは、白山眼鏡店での眼鏡の発注と受領のためであった。受け取りの日は、ラジオ「渋谷で読書会|「渋谷のラジオ」|note」の読書会のコーナーで、カフカの「掟の門(道理の前で) 」の感想が読まれたのが嬉しく、飲める親子丼も飲んだ。「仇櫻堂|note」を始動させ、未来に目を向け始めることができた月であり、私にとっては意義深いSeptemberであったと思う。

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