哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

2020年10月の読書のこと「シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々」

シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々(ジェレミー・マーサー/河出書房新社)のこと

 この間、双子のライオン堂さんに行ったときに出会った同書を読了したので、感想を述べる。

●そもそもシェイクスピア&カンパニー書店とは

 そもそもシェイクスピア&カンパニー書店とは、フランス・パリにある、英語書籍専門の書店である。

 初代シェイクスピア&カンパニー書店は1919年に、アメリカ人のシルヴィア・ビーチにより創業された。 パリにおける英米文学の中心地として、ヘミングウェイ等多くの作家が店に集った。中でも、英米で発禁処分を受けた、ジェイムス・ジョイスの『ユリシーズ』の版元となったことは、有名である。この店は1941年、枢軸国によるパリ占領に際して閉店した。

 その後1951年に、パリにもう一つの英語書籍専門書店がオープンする。やはりアメリカ人のジョージ・ホイットマンが店主で、ル・ミストラルという店名であった。コミュニストであるジョージは、マルクス主義の「与えられるものは与え、必要なものはとれ」という精神の下、当初より寝床のない友人を店に泊めていた。ウイリアム・バロウズアレン・ギンズバーグといったビートニク等、こちらも多くの作家が訪れた。

 シルヴィア・ビーチのファンで、彼女と親交のあったジョージは、1962年の彼女の死後、1964年に書店の名前を引き継いで改名し、二代目シェイクスピア&カンパニー書店が誕生する。

 この店には多くの人間が寝泊まりしていた。1960年代、ジョージが多くの共産主義者を匿ったことで、店はフランス当局より目をつけられており、宿泊者の情報を提供するように求められた。それをきっかけに始まったのが、店に来るまでの簡単な経緯を綴った自伝をジョージに提出するという伝統だ。短時間でも店の手伝いをして、店の図書室の本を毎日一冊読む等といった義務はあるし、生活環境はまったく良くないようであるが、それでも無料でベッドが提供されるということで、作家志望で金のない若者たちが、入れ代わり立ち代わり出入りしていたそうである。

 そんな書店に1990年頃滞在したカナダ人のジャーナリストである、ジェレミー・マーサーによって書かれたのが本書『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』である。描かれているのが90年前後で、実際の出版は95年頃。邦訳されたのが2010年であり、今年2020年に文庫化されたことで私はようやく本書に出会うことができたわけだが、一読してもっと早く出会いたかったと思った。素晴らしい内容であった。

シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日

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 僕(ジェレミー・マーサー)は母国カナダで犯罪記者をしていたが、犯罪者である友人とトラブルになり、身の危険を感じてフランス・パリに逃亡する。フランス語教室に通いながら、ホテルでの節約生活をしていたが、路銀が尽きてシェイクスピア&カンパニー書店で数カ月間生活することになる。

――その書店に行きついたのは、どんよりと曇った、冬の日曜日のことだった。(p9)
 すでに書き出しが素敵である。雨をしのぐために初めて店を訪れた日の描写から遡って、自身が何故パリにやって来たかが語られる。そして店でのお茶会に参加し、この店が多くの人々のシェルターであることを知った僕は、店に移り住むことになるのである。

――ジョージは自分がなしとげたことの大きさがまったくわかっていないかのように、遠慮がちなほほえみをうかべて言う。「書店を装った社会主義ユートピアを運営していると言いたいところだが、時々自分でもわからなくなる」(p64)
 僕は、店主のジョージに好かれ、やがて公私の相談に乗る友人となる。ジョージは科学書の執筆・編集や教員をしていた父と、敬虔なキリスト教徒であった母に育てられたが、青年期に社会主義者無神論者・平和主義者になったという。その後、世界中をバックパッカーとして放浪したのち、店をオープンさせた。本書に描かれるのは86歳頃のジョージである。著者も記しているが、この老書店主は元気である。書店を経営して毎日働き続け、店の住人に怒鳴り散らし、70歳近く年下の女性イヴに求婚する。こんな生命力に満ち満ちた人でありたいと思うものである。

――「短編小説売ります。一ぺージ十フラン。タイプミス無料」(p210)
 古書室に住まう詩人のサイモン、ガウチョこと旅人エステバン、映像好きのカート、文才のある女性ナディア、夜の店番をするルーク、本書には様々な魅力的な住人が登場して、僕と出会い付き合うさまが描かれる。中でも長年燻っていたサイモンが評価され、詩人の国であるアイルランドでの詩の朗読会に招かれ、僕も記者として帯同するエピソードは明るく、前に進んでいる感じがして良い話だ。また上に紹介した一節は僕がカート、ナディアと、店の古いタイプライターを使ってお客に対して即興で文章を売るビジネスをした時のもの。面白いアイデアで、わくわくさせられる話である。

――あの雨の降る一月の日曜日にシェイクスピア・アンド・カンパニーに出会ってどれほど幸運だったかという話をまたしたら、ジョージは僕をさえぎり、それ以上言わせなかった。「ずっとそういう場所にしたかったんだよ。ノートルダムを見るとね、この店はあの教会の別館なんだって気が時々するんだ。あちら側にうまく適応できない人間のための場所なんだよ」(p362)
 読んだ感想は、この店が本当に素晴らしい空間であるということで、また、私自身こういう場所を作りたい・こういう場所が身近にあってほしいと思った。

 ジョージには別れた妻との間に娘がいて、初代シェイクスピア&カンパニー書店の創業者であるシルヴィア・ビーチに因み、シルヴィアといった。イギリスに住んでいたが、ジョージは何年も会っていない。ジョージは自分が死んだあと、別れた妻が店を相続して売り飛ばすのではないかと、不安を抱えていた。僕は娘のシルヴィアを探し、ジョージと再会させ、後に彼女が店を継ぐことになる。

 本書に描かれていることは概ね事実であり、ドキュメンタリーであるようだが、小説のようにわくわくさせられる素晴らしい本であった。それは登場人物が皆、活き活きと魅力的に描写されていて、自分も彼らの熱気の中にいるかのように感じることができたためだし、この店が本当に温かみのある素敵な場所に感じたからだ。

 いつの日か、パリのシェイクスピア&カンパニー書店を訪れてみたい。そしてまたいつの日か、そんな素敵な場所を、自分でも作ってみたい、そう思わせてくれる作品であった。

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