哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

2020年11月くらき蝋燭能のこと @久良岐能舞台「六浦」

■2020年11月くらき蝋燭能のこと @久良岐能舞台「六浦」

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久良岐能舞台横浜市磯子区) / 能「六浦」の舞台である称名寺横浜市金沢区

●蝋燭能のこと

 そもそも能とは野外で演じられていたものだそうだ。能舞台を囲むように敷き詰められた白洲(白い小石)はレフ版の役割をして、太陽光を効率的に舞台上に送るためのものだという。そんな能舞台が屋内に収納されたのは明治期以降、舞台の周りをぐるっと囲むように建物が作られ、ついには舞台をすっぽり覆う巨大な劇場、能楽堂に内包されるに至った。

 現代においては、ほとんどの能楽公演において、電気による舞台照明の灯りの下で、能が披露される。反対に、野外に設えられた能舞台の周りに篝火を焚いて、(実際には舞台上は照明でガンガン照らされるし、野外にいる数百人の聴衆に届かせる都合上、極端に拡声されるので屋内での公演よりもはるかに機械的であるが、)その灯りで演能するのが薪能であり、周囲の自然とともに能楽の風情を楽しむことのできる催しである。

 そして形としてはその中間に位置するのが、蝋燭能である。夜、暗くした見所の中に(久良岐能舞台では25本の)蝋燭を灯して、(やはり蝋燭だけでは不足なのだろう、久良岐能舞台では舞台の天井辺りから若干の照明は当てていたようであるが、)その灯りで演能する。

 公演当日、シテ方金春流の村岡聖美さんによる能「六浦」に先駆けて、彼女の師匠にあたる山井綱雄さんの解説と(能の見どころをお囃子や装束(舞台衣装)なしで舞う)仕舞「(昨今の新型コロナウイルス感染症に関連した疫病退散の神様の曲である)鐘馗」の上演があった。その解説の中で、山井さんは蝋燭能の暗闇の中では、目が使えない分、視覚以外の感覚、特に聴覚が研ぎ澄まされると仰っていた。確かに、演者の謡や楽器等の音に集中できる上演形態だと思う。

●蝋燭能「六浦」のこと

 私は蝋燭能を生で拝見するのは初めてであった。しかも今回、大変幸運なことに、舞台正面の2列目という、大変見やすいお席で拝見することができた。これはひとえに、私の日頃の行いが良いからだと思う。ありがとう、今までの私、そしてこれからもよろしくね。

 能「六浦」では、京都から関東に旅してきた僧が、称名寺を訪れる。山々の楓が紅葉しているにもかかわらず、境内の楓が青いことを訝しみ、里の女に事情を聞くと、女はその楓が昔、他の楓に先駆けて一本だけ紅葉していた時に、冷泉為相卿の目に留まり和歌で褒められたことを誇りに、功名を得た後は身を引くのが道理と紅葉しなくなったと語り、自分こそその楓の精である告げて去っていく。その夜、なお境内にいる僧のもとに楓の精が現れ、舞を披露する。

 会場である久良岐能舞台は、京急本線上大岡駅から徒歩20分程である。上大岡駅から電車で揺られること10分程の金沢文庫駅、そこから徒歩15分くらいのところに、金沢山称名寺は鎮座ましましている。せっかくだからと、私は能の舞台となるこの称名寺を事前に訪ねた。境内の中心には大きな池があり、朱塗りの太鼓橋がかかっている。池の畔には、謡曲の解説とともに、新植されたという青葉楓が一人立っている。秋の寒空の下、広く立派な境内で銀杏の古木も色付いていたし、散策する人々もちらほらといらしたが、どうにも物寂し気な印象であった。

 その後、上大岡の駅前で時間を調整し、久良岐能舞台へ向かった。久良岐能舞台を囲む久良岐公園を越えようとして、園内の山道で遭難しかけ、開演に間に合わないのではと肝を冷やしたが無事に到着、前述の通りに山井さんの解説・仕舞に続いて蝋燭能「六浦」が始まった。

 舞台はとても綺麗であった。能ではシテ(主演)である村岡さんが、あらすじに書いた通り里の女(実ハ楓の精)と楓の精の両方を演じ、その途中の中入で、シテは舞台裏に引っ込み、着替えをする。その間も舞台は、相手役であるワキ(僧)や話を盛り上げる狂言により、進行される。この演目では多分、能面は若い女性の面で変わっていないが、身につけるものを通常の女性が身に着ける着物から、天女や高貴な人等が身に着けるシルクのひらひらした感じの、要は天の羽衣みたいなやつ(長絹と呼ばれる)に、お色直しをする。

 暗くて正確ではないけれど、その後半(後場)でシテが紫色系の長絹をアウターに纏い、ボトムスは多分橙色系の袴を履き、暗闇の中に蝋燭の灯りでぼうっと浮かび上がりながら舞う姿が、何とも言えずに美しいのである。「六浦」で舞われるのは序の舞という、ゆっくりした舞である。普通に見ているとはよ動けやという気になりそうなものだが、光の演出効果で手をあげたり、袖を翻したり、舞台上を動き回る一挙手一投足が美しく見えた。

 そういうわけで、大満足の観能であった。蝋燭能、皆さまもご機会があれば、是非お出かけください。

●用語たちのこと

 事前に詞章を手に入れてわからない言葉を調べた。ただし私が入手できたのが、喜多流の詞章であったため、金春流のそれと違っていたら、ごめんなさい。

  • 洛陽:京都のこと。平安京は右京が長安、左京が洛陽をモデルとしているそうである。
  •  逢坂の、関の杉村過ぎがてに:逢坂関は近江国(大津あたり)と山城国(京都あたり)の関所。
  • 六浦の里:金沢文庫の近く。神奈川県。
  • 称名寺
  • 中納言為相:冷泉(藤原)為相。1263〜1328年。母は『十六夜日記』の阿仏尼。祖父は藤原定家冷泉家の祖。
  • いかにしてこの一本に時雨けん山に先立つ庭のもみぢ葉/朽ち残るこの一本の蔭に来て袖のしぐれは山に先立つ
  • しぐる:雨・涙。
  • もみづ
  • 数ならぬ:とるにたらない。
  • 包む:隠す。
  • 旅居:たびずまい。
  • すさまじ:凄まじ。面白くない、寒々、冷たい。
  • 籬:竹や柴の垣。
  • 妙なる:不思議なまでに優れている。
  • 値遇:仏縁があって巡り会うこと。
  • 妙文:名文。法華経
  • 青陽:春の異称、とくに初春。
  • 卯の花:ウツギの花、白い、卯月に咲く。
  • まがふ:入り乱れる、間違える。
  • あからさまなり:突然。
  • あはれ:趣深い、情け、悲しみ。
  • 仏果を得る:成仏・悟り。
  • 八声の:たくさんの鳴き声。

■参考

くらきSS(ショートストーリー)能「羽衣」(Youtube)
 撮影場所:久良岐能舞台 シテ:村岡聖美 構成/演出:山井綱雄

能楽 金春流(こんぱるりゅう)リモート素謡 鍾馗(Youtube)
 #アートにエールを! 東京プロジェクト 出演:山井綱雄 他

鶴岡・出羽三山クロストーク配信 「山伏と能楽師に学ぶ "こもる力"」(Youtube)
 出演:山井綱雄 他
 2020年11月1日(日) 13:00-14:30 ライブ配信 年末までの公開予定

canopus88 Kiyomi Muraokaシテ方金春流能楽師(Instagram)

 シテ方金春流 村岡聖美 さんの Instagram

kuraki-noh.blogspot.com

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