哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

2020年11月の読書のこと「首里の馬」

首里の馬(高山羽根子/新潮社)のこと

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首里の馬(高山羽根子/新潮社)

 第163回芥川龍之介賞受賞作『首里の馬』を読了したので、感想を記す。

 私自身、あまり芥川賞受賞作に触れる機会が少ない。今、Wikipediaで受賞作の一覧を見返してみると、私が挑戦した記憶があるのは、安部公房『壁 S・カルマ氏の犯罪』、町田康『きれぎれ』、円城塔『道化師の蝶』、又吉直樹『火花』の4作品のみであり、『火花』については途中で諦めた覚えがあり、他の3冊については、どんな作品だかまったく思い出せず……、気になったので調べてきたが、どれも意味不明な話なのだ、ということが分かり、本当に読んでいるのか不安になってきた。多分、どれも読了はしていないと思う。

 ということは、本作が私にとって、きちんとスラスラ最後まで読み終えられて、なおかつ楽しんだし印象に残った、芥川賞処女作、ということになる。きちんとした物語があって、主人公に共感できて、私の感情を静かに揺らしてくる、理想的な純文学作品のように感じた。

首里の馬

首里の馬

 

 主人公の未名子は沖縄本島浦添市牧港(まちなと))で亡き父の遺した一軒家で一人暮らしをしている。母親は早くに亡くしている。仕事ではないけれど、「沖縄及び島嶼資料館(浦添市港川)」に通い、資料の整理をしている。その資料館は順(より)さんというおばあさんのもので、順さんは途さんという娘(歯医者さん)の車に乗せられて、資料館にやってくる。体調のすぐれない日や台風の日は来ない。未名子の仕事はスタジオと呼ばれる、オフィスのような空間で、ZOOMのようなビデオ通話のシステムを使い、世界中の通信相手に対してクイズを出題することだ。問読者(トイヨミ)というサービスらしい。作中には3名の外国の通信相手が登場し、未名子が日本語で出題するクイズに、日本語で答え、クイズが終わると未名子と少し雑談をする。みんな一様に孤独を感じさせ、また不思議な雰囲気の場所にいることが描写される。もっともこのサービス自体、得体が知れず不思議であるが。沖縄に双子の台風がやってきたある日、正確には一つ目と二つ目の合間の晴れ間に、未名子の家の庭に大型犬よりも大きな生き物が出現する。後にそれは宮古馬(ナークー)だと分かる。未名子はその馬を、琉球競馬の名馬に因みヒコーキと名付ける。資料館の順さんと途さん母娘、問読者の通信相手、ヒコーキ、彼らとのゆるい交流の中で物語は進み、未名子は行動する。とりとめがないけれど、きちんと物語があって、それはとても心地よい。

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関連:消えた琉球競馬(梅崎晴光/ボーダーインク

 主人公の未名子は、作中に登場するカセットテープに対する距離感や、『ミリオネア』に対するぼんやりとした認識を見るに、平成ゼロ年代の生まれの想定なのかなあ、と思う。平成元年生まれの私より若いのかと。以下、本文より気になった箇所を引用しつつ、私の感想を記していく。

――未名子は通販サイトのロゴが入った真新しい段ボール箱を開けた。箱の底、段ボール板にビニールシートで圧着されたマイクロSDカードのパッケージが六枚並んでいる。(P50)
――ひとつははっきりとした黄色、これは焼き菓子の品名そのものずばりが書いてある。その脇に『地名+銘菓』の表記があるので誰かからの土産でもらったものだろう。(p51)
 この小説には、意識的に物の名前(商品名)の記載を避けていると感じられる表現がある。まるでNHKのようだ。上の一つ目はあれだし、二つ目はあれ、と思ったけど、『地名+銘菓』という記載があるので違うか、等と考えると楽しい。この小説自体が読者に提示されたクイズのようである。
――未名子はヒコーキのいなくなった家の中で、ギバノに教わったことをていねいに頭の中で、何度も何度も繰り返す。まつ毛の長い馬は噛む癖がある。小さな馬は全力で走るのに向いていない。逃げた馬が選ぶ隠れ場所とは?馬を落ち着かせたまま捕まえる最適な方法。それらはすべて、未名子の読み上げたクイズの正確な答えとして受け取ったものではないけれど、ギバノの人生で得たらしき、美しい模範解答だ。(p117)
――未名子はクイズの問題と称して、世界のあらゆる場所の情報を指し示すことができる。(p153)
――『にくじゃが』『まよう』『からし』(p105)
 そしてこれも、きっと筆者が我々読者に問いかけるクイズなのかも、と思いつつも、何もわからない。

――目の前にいる生き物は、足を折りたたみ、顔を体の側にすくめているらしく、毛の生えた丸まった塊にしか見えない。どっちがお尻で頭なのかもわからなかったけれど、今まで見たことのある中で一番大型の犬よりもはるかに大きいものに見えた。(p64)
 この謎の生き物は、後に宮古馬であることが判明するのだけれど、はたして馬が、こんなにきれいに(頭とお尻がどちらかわからなくなるほど、)身体を丸めることができるものだろうか。「未名子は生き物に対しての興味がなかった(p64)」とはいえ、これは疑問である。
――なぜ競馬場がなくなったのか、その直接的な理由については想像をするまでのこともなかった。戦争でこの島はあちこちが真っ平らになってしまって、最初から組み上げなおされたのだ。戦中の競馬については記憶があいまいで人の記憶に頼った資料しかなく、今となったら近辺に競馬場はもちろんのこと、競走している馬の姿は見られない。(p79)
 かつて琉球にも競馬があった。宮古馬たちの、速さではなく、走りの美しさを競うものであった。それがなくなってしまう背景には戦争、そして、馬を養うことができなくなる程の飢饉があったそうである。

――幼いころからあまり人間が好きじゃないと考えていた未名子は、でも、いくつかの、身の回りにいる少数の人間は思えばすべて、かすかに、でもたしかに大切な人だと思えた。順さん、カンベ主任、そうして数人の通信相手。彼らが悲しむことは自分にとっても辛いことだ、大きな感情のつながりのない人でも、ただ大切なのだと未名子はこのときあらためて思った。(p71)
――家族と会いたいと思うことはない。でも何度もいうけれど、もちろん家族のことは嫌いでもなんでもなくて、幸せを心から祈っている。むしろ離れて暮らして、彼らのことは大事だ、といっそう思うようになった。ただ、何度もいうと嘘っぽいかも知れないね。(p111)
――未名子がこんなに、他人に対して自分の考えていることを一気にまくし立てたのははじめてのことだった。いつ遮られるのか、また、拒絶されて無視されるか、怖かった。(p148)
 未名子の、そして真ん中のは通信相手の一人であるポーラの、心情である。私はこのどれも共感できた。ただ近くにいればいい、長くいればいい、そういうものではないのだと思う。接点は少ないけれど大切な人や物は沢山ある。大切だからといって近づきすぎて良いものではないのだと思うし、何でも話して良いものでもないと、その考えの良し悪しは棚上げして、私の感情はそう言っている。

 ――未名子や順さんのような人間が、世の中のどこかになにかの知識をためたり、それらを整理しているということを、多くの人はどういうわけかひどく気味悪く思うらしいということに気がついたのは、あるときいきなりじゃなく、徐々にだった。(p92)
――どんなに近所の人とうまくやっていても、自分たちの中に特別な暴力性がないと主張しても、人は、知らないことで人が集まって、何か隠れるような生活をしている人のことを、あのとき以来とても怖がるようになってしまった。(p141)
 なぜ人は自分が理解できないもの、自分から隠匿されているものに恐怖を感じ、攻撃するのだろう。そういう警戒心から無縁でいたい。自分自身がわからないものを、未名子のように自然に受けられるようになることはもちろん、他人もそうであればいいのにな、と思う。

――順さんの持っていた人骨は、資料館の近くで採集されたものだった。このあたりは沖縄でも古代の人間が集落を作っていて、英祖の時代のずっと前から重要な場所として栄えていたらしい。だた、まだ子どもだった未名子が見る限り、この骨がものすごく古い化石のようなものなのか、それとも戦争によって死んだ最近の人のものなのかは判別がつかなかった。(p13)
――あの建物に詰まっていた資料が正確なのかどうかなんて、未名子だけでなく世の中にいるだれにもわからない。ただ、あの建物にいた未名子は、それぞれ瞬間の事実に誠実だった。真実はその瞬間から過去のものになる。ただそれであっても、ある時点でだけ真実だとされている事柄が、情報として必要になる日が来ないとだれがいい切れるんだろう。そんなものが詰まった資料館だった。(p150)
――たとえば資料館から未名子が持ち出した、港川に住んでいたかつての人類の骨。(p151)
 友人に浦添市港川と八重瀬町港川の意図的なミスリードがこの作品の肝だと教えてくれて、一気に作品理解が深まった。作者の狙いと、未名子の行動や感情、この知識(情報)はそれらに近づく大切な手がかりで、私が本書を読み終えたことを発信したことに対して、教えてくれたことであるので、改めて人と話すこと、自らの状況を発信することの大切さを知る。この点、読書会は良いのだろうな、と思うし、また作品に出てきた情報に対して深堀する意識も大事なのだな、と思う。

 ――ただ未名子は、そんなことはない方がいい、今まで自分の人生のうち結構な時間をかけて記録した情報、つまり自分の宝物が、ずっと役立つことなく、世界の果てのいくつかの場所でじっとしたまま、古びて劣化して、穴だらけに消え去ってしまうことのほうが、きっとずっとすばらしいことに決まっている、とあたたかいヒコーキの上で揺られながらかすかに笑った。(p158)

■覚えておきたい言葉たち

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関連:ベゾアール シャルロット・デュマ

  • テラブガマ:沖縄県浦添市牧港に所在するガマ(自然洞窟)。
  • 宮古馬(ナークー):宮古島沖縄県宮古島市)で飼育されてきたウマの一品種。1991年(平成3年)1月16日に沖縄県の天然記念物に指定されている。(宮古馬 - Wikipedia
  • 琉球競馬(ンマハラセー):沖縄ではかつて競馬が行われておりました。速さよりも琉球舞踊のような美しさを競う世界に類を見ない独自のレーススタイルで、古琉球の時代から戦前まで約500年続きました。(美ら島物語 美ら競馬
  • 馬場(ンマウィー)
  • 駆足(カキバイ)禁止
  • 並足(イシバイ)
  • 跳び足(トントンバイ)
  • 馬勝負(ンマスーブ)

■ちょっと関連

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