2021年が始まったが、気にせずに2020年12月に拝見した舞台の感想を記す。
■2020年12月22日(火)第30回久習會のこと @国立能楽堂「春栄」他
久習會はシテ方観世流の橋岡會の門下生による公演である。能「和布刈」狂言「塗附」能「春栄」とたっぷり4時間弱の公演、そこには本来出演しているべき能楽師の姿がなかった。
中央官庁の公務員から能楽師へと異例の転身を遂げた女性の、宮内美樹さんである。公演直前の11月20日に49歳の若さで亡くなられた。闘病中であった癌が悪化したとのことである。能楽の講座で多くのことを教えていただいたし、舞台を拝見する機会もあったし、私にとっても大変なショックであった。
本公演は彼女の追悼公演として行われた。彼女について書きたい思い出も多くあるが、それはまだ胸の内に秘めて、本稿では舞台の感想を述べるに留めたい。なお、本来宮内さんが出演予定であった能「和布刈」の前ツレは山中迓晶さん、能「春栄」のシテは荒木亮さんが代演なさった。
●能「和布刈」
長門(山口県)の早鞆神社(という架空の神社)で行われるという、海の底の和布を刈り取る神事を題材とした曲。和布刈の時、龍神が現れて海の水が屏風を立てたかのように別れて、濡れずに和布が取れる、ということらしい。
印象に残ったのはワキ(早鞆宮神官)の福王和幸さんのスタイルの良さ。この曲とこの後の春栄と、能の中では珍しいワキによる舞が入る曲である。曲の最終盤、ワキの神主が和布刈を行う様を松明を持って(途中でぶん投げる)舞いながら再現する。和幸さん、抜群にかっこよす。これはファンになる。
あとは前ツレ(海女)の迓晶さんは、小面に唐織?みたいな出立なのだけれど、そうかこの一般的な女性の恰好から海女を想像しないといかんのか、と思った。あと、後ツレ(天女)の山中つばめさんの舞は綺麗だった。もちろん、(後)シテの荒木さんの龍神も荒々しくかっこよかった。
- こよろぎの 磯たちならし 磯菜摘む めざし濡らすな 沖に居れ波(古今和歌集 東歌)
- めざし:目の上で切り揃えた子どもの髪形
- 渇仰:心から仏を仰ぎ慕うこと
- 弥増:ますますもっと
- 手向け草:神仏に捧げるもの
- 結縁:仏道に入ること
●狂言「塗附」
年末の内に、烏帽子を綺麗にしてくれるという塗師。二人の大名は烏帽子をかぶったまま早塗りの漆を塗ってもらい、乾かしてもらうのだが、二人の烏帽子がくっついてしまって、という流れ……。
旅風呂なる箱状の紙に二人押し込められて漆が乾くのを待つこと等、色々と突っ込みどころが多く、ラスト、松囃子に乗って烏帽子取れて、塗師も大名もぬるっと帰っていくのが、なんとも……。それでいいのか、君たち。
●能「春栄」
戦で捕虜になった幼い弟春栄の元を、兄の増尾種直がはるばる訪ねてくる。弟と一緒に自分も処刑してくれと、そんな兄弟愛を描いた作品。こうした現在物の生きている男性は能面をかけない……、自分の顔を直面とするのである。面がないせいか、詞章が聞き取りやすく感じた(もちろん、詞章を紙でちらちら見ながらだが)。
春栄を演じたのは子方で、宮内さんの直弟子であった小学5年生の根岸しんらさん。シテ(種直)の荒木亮さんやワキ(高橋権頭)の福王和幸さんと、対等に舞台で演技しているのが頼もしいと思った。セリフや動きも多い中で、立派に勤めを果たし、素晴らしい初舞台である。
まさに処刑されんとするシーンで、兄弟は並んで頭を垂れるのだけれど、いかほど、宮内さんが愛弟子と一緒に、舞台に立ちたかっただろうと思う……。荒木さんの男舞(囃子のみで舞う)も良いが、宮内さんがもう一度舞台に立っている姿が見たかった。残念。
- 別して:特に
- 間:~ので、~だから
- さん候ふ:さようでございます
- わたり候ふ:いらっしゃる
- ゆゆし:素晴らしい、立派
- 卒爾なり:無礼
- 三世の誼:主従の繋がり
- 逆様なり:子が先に死ぬこと
- 御事:あなた
- 徒らごと:役に立たない、無用
- 平に:なにとぞ、ぜひとも
- 一跡:家系
■2020年12月25日(金)第五回善之会のこと @観世能楽堂「寿来爺」
クリスマス当日は、狂言方大藏流の善竹大二郎さんによる善之会を拝見した。上演に先立って大二郎さんと、台本を書かれた長屋晃一さんが舞台に立ってお話をなさった。そのお話の中でもあったとおり、お兄様の富太郎さんをコロナで亡くされ、今年、辛い思いをなさったお家であるが、今だコロナの終息が見えない世界を、明るく灯すような素晴らしい舞台であったと思う。
この作品は、ワルター・ギーガーが元々はパントマイム用に作曲したという、クリスマスキャロルのストーリーに沿った曲を、バックでヴァイオリン、アコーディオン、コントラバスが演奏するのに、合わせながら狂言の演技をする音楽狂言「寿来爺」である。お話はほぼディケンズの原作に忠実、初演以来、今回で10回目の公演とのことであった。
音楽狂言なるものが他にあるのか存じ上げないが、通常であれば狂言師自らの間(ま)で演じられるはずの狂言を、一曲の西洋音楽(それも楽譜にして100頁、1時間程度の大作)に合わせながら演じるというのは初めての経験であったし、稽古も大変であったそうである。コントラ”ボス”とあだ名されているという、コントラ”バス”の白土文雄さんからは”音楽をよく聞け”と指摘があり、大二郎さんも反論し、という侃々諤々の中で、このような素晴らしい舞台が作られたようである。
大二郎さんは、過去・現在・未来の精霊をはじめ、一人5役の大活躍。各々にキャラクターを演じ分け、精霊ごとの雰囲気が良く出ていて、素晴らしい。お父様の十郎さんが寿来爺(スクルージ)役。狂言らしく少しユーモラスな動き、ケチな商人が物語のエンディングでは、クリスマスでプレゼントをする温かい人になるわけだが、サンタクロースというより大黒様といった風情で袋を担ぎ、中からプレゼントを出した体で見所(客席)へ向かって放るフリを、お客さんもエアキャッチ、場内が一体となるとても良い時間であった。
能楽においては非常に稀なカーテンコールは3回も。大二郎さんは手を振り投げキッス、何より良いお年をという十郎さんの笑顔が素敵で、とてもとても幸福な、降誕祭の夜であった。