哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

2021年1月の読書のこと「南方熊楠と宮沢賢治 日本的スピリチュアリティの系譜」

南方熊楠宮沢賢治 日本的スピリチュアリティの系譜(鎌田東二/平凡社)のこと

f:id:crescendo-bulk78:20210124004808j:plain
2019年1月敷島書房にて

 著者の鎌田東二のことは、国立能楽堂の公演プログラムである、『月刊国立能楽堂令和2年11月号』で知った。能について語りつつ、哲学者のニーチェを登場させたりと、視野の広い面白い人であると感じ、この度、その先生が私自身興味のある熊楠・賢治を並べて論じているということで、本書に挑戦した次第である。

●二人のM・K

 著者は南方熊楠(1867-1941)のことを、横一面男と呼ぶ。一つのトピックから関連するものを芋づる式に列挙していく、というのが彼の知識、執筆の特徴であったそうである。対して宮沢賢治(1896-1933)は、縦一筋男だそうだ。それは賢治が重視したのが「個人」から「集団社会宇宙」へと「進化」していくことであったからとのことである。この二人の同時代人を、宗教観や妖怪等をテーマに論じている本書は、私には難解すぎる面もあったが、彼らや彼らを取り巻く人々のエピソードを大変面白く読んだし、本書を総体としてあるいは二人の思想を理解できたとは到底思わないが、彼らがどんなことを考え、書いていたか、その一端を知ることは大変興味深いことであった。

●1910年のハレー彗星

 約75年の周期で地球に接近するハレー彗星、前回は1986年、その前は1910年に地球に接近しており、この1910年のハレー彗星を二人とも体験していることになる。

 当時、故郷の和歌山県に戻っていた熊楠の1910年5月22日~25日の日記には、3回もハレー彗星に関する記事が残されている。そして熊楠が西天高くにうっすらとハレー彗星を見た5月25日、明治天皇暗殺計画を理由に、幸徳秋水ら多数の社会主義者が投獄、後に処刑された大逆事件が起こっている。熊楠がしばしば寄稿していた牟婁新報社も、秋水ら社会主義者が多数寄稿していたことで家宅捜索を受けたとのことである。熊楠自身は、1906年より国が推し進め、中でも和歌山県が強力に推進したという、神社合祀(一町村に一神社を標準として、神社を合祀し数を減らす政策)に対する反対運動の真っ最中であり、同年8月には同運動中に官吏を暴行したかどで17日間留置所に入れられている。

 当時の賢治は13歳、賢治の盛岡中学校の10年程先輩にあたるのが石川啄木だそうで、啄木は没後公表されることになる「時代閉塞の現状」を書いていた。何百という大学卒業生の半数が、職に就けずに「遊民」となっている様を嘆き、「明日の考察」を行い、「明日の必要」を発見せよと、社会に訴えていた。

 そして柳田國男は同年5月に『石神問答』を、6月には『遠野物語』を聚精堂より出版。留置所にいた熊楠は8月27日に『石神問答』を差し入れられたとのこと、翌年熊楠の論文「山神オコゼ魚を好むといふこと」を読んだ國男が熊楠に対して書簡を送り、その後信じられないほどの頻繁な文通がなされたとのことである。

 後に盛岡高等農林で賢治の親友となる保坂嘉内は甲府ハレー彗星を見て、まるで夜行列車のようだと胸を躍らせ、ハレー彗星をスケッチしている。著者は、後に嘉内が賢治にそのスケッチを見せて、熱く語ったに違いないと述べている。『銀河鉄道の夜』のきっかけの一つなのかもしれない。

●『南方熊楠宮沢賢治 日本的スピリチュアリティの系譜』のこと

 先に記した通り、本書は難解である。難解な二人の思想を、きっとかなりかみ砕いてくれてはいるのだが、それでも難解である。だから本記事で本書の主題を簡潔に述べることは私にはできない。先に記した1910年に関する記述は、本書の第3章にあたるが、二人の同時代人にどんな人がいて、どんなことが問題となっていたのか、私自身が大変興味深く読んだ箇所であったので、整理をした。

 熊楠の神社合祀反対運動については、彼自身様々に理由付け、論理展開をしているのであるが、日本の神社は野外博物館である旨の主張は、特に納得できた。欧米は多額の税金を投じて、自然を残すための野外博物館を作ろうとしているが、日本はお金をかけずに、神社があることによってその自然を保護している。その自然から、熊楠の研究の中でも中心にあった粘菌等、様々なサンプルが採集できる、という論である。

 本書は全体通して、熊楠についての記述に多くの紙幅を割いている。対して哲学館(現、東洋大学)を開いた井上円了についての話から始まり、二人と妖怪学との関連を追った第4章では、賢治に関する記述、作品の引用が非常に多くなる。それも賢治が自己犠牲の精神を描いた『グスコーブドリの伝記』の前身とされる『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』からの引用が多くなる。

 『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』の登場人物がばけものであり、主人公は世界裁判長として、他のばけものの出現罪を裁いたりするわけだが、彼らはばけものとして行為の罪(人間世界に出現した)だけではなく、存在の罪(人間世界にいてはならない)すらも負っているとし、その主人公ネネムを確かに救済させるべく、ブドリへと跳躍する必要が、換骨奪胎して『グスコーブドリの伝記』を著す必要があったのだそうである。

 熊楠の思想的な背景は故郷和歌山で自身の名前の由来ともなっている熊野の真言密教思想だそうである。一方で、賢治は法華経への信仰を持っていたそうである。そういったものをベースに、二人はいずれも人間世界を越えて世界を見る大切さ、草木国土悉皆成仏を考えていた人物であるそうだ。この二人の大きさ、スケール感を、私は言葉にできていないけれど感触として知ることができた気がする。

 最近、わからんと思いながら本を読むことができるようになった。本を読んで、わかるものと思っていたのだけれど、わからんままでも読むことに意義があるように思っている。いずれ、あるとき不意にわかるのかもしれないし、読んでみれば、一端だけはわかるかもしれない。繰り返すが本書の総体はわからんままであるが、二人、特に賢治の著作に、もっときちんと触れてみたいな、と思った。うん、賢治の本を読んでみよう。こうして読書は続いていく。

■ちょっと関連

philosophie.hatenablog.com 

philosophie.hatenablog.com
philosophie.hatenablog.com