哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

敷設のこと⑤「本八幡屋上古本市」

■敷設のこと⑤

 桜が咲いた、あっという間に。もう少しゆっくりゆっくり咲くものだと思っていたら、冬の陽気から急に暖かくなったある日、桜が開花しましたとニュースが言っていた。困った。新型コロナウイルスが蔓延する中で、何も飲食を伴うお花見をする気はないが、とはいえ、時間を見つけてなんとか河原や公園へ桜を眺めに行かないといけない。

 三年前、このブログ「哲学講義」を開設した。私はその頃、うつ状態で休職してリワークに半年間通ってそろそろ卒業、という時期だった。親しくしてくれた仲間が、文章を書くことが好きな私に勧めてくれたのが、ブログを趣味にすることだ。以来毎週欠かさず、続けている。

 大学生のころ、学部の哲学講義では、哲学専攻でない社会学サブカルが本職の先生も登壇し、自由にお話なさっていた。そうか、哲学ってソクラテスやら、デカルトニーチェとかだけじゃないんだ、と。もっと身近な所に、どんな学問にも哲学はあるのだと思い、(考えればそもそも古来は哲学しかなく、そこから自然科学や社会科学が枝分かれしたのだから、当然といえば当然だが、)そこから、哲学講義という名前であれば、何をやってもいいのかもしれないと思い、ブログの名前を決めた。

 そういえばそのリワークからの卒業の頃である、やはり同じリワークの別の仲間は、歌を送ってくれた。「桜花 今そ盛りと 人は云へど われはさぶしも 君としあらねば」(大伴池主・万葉集)、今を盛りの桜を前に、相手の不在を寂しがる内容である。

 仇櫻堂(きゅうおうどう)を作ったのは、その二年半後、今から半年前のことである。「明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」(親鸞親鸞上人絵詞伝)の歌に因んだ屋号だ。

 9歳の親鸞が、仏門に入るべく慈円を訪ねた際、得度を翌日に延ばされそうになり詠んだそうで、明日もあると思っていた桜は嵐で散ってしまうかもしれない、だから今を大切に生きる、という意味だそうだ。

 パッと咲いた今年の桜が、どれだけの期間、その美しさで我々を楽しませてくれるかわからないけれど、それでも咲いている今こそ、楽しむべき時なのだ。いま咲いている花々を全力で、速やかに楽しまねばなるまい。

●これまでの敷設工事記録

敷設のこと① - 哲学講義
敷設のこと②「双子のライオン堂へ」 - 哲学講義
敷設のこと③「贅沢な読書会 第四十六回」村山由佳×瀧井朝世 - 哲学講義
敷設のこと④「西千葉一箱古本市へ」 - 哲学講義

●第2回本八幡屋上古本市のこと

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2021年3月20日(土・祝)第2回本八幡屋上古本市 

 そんな私が何故仇櫻堂という場所を作ったのかは以前にも少し書いたが、「双子のライオン堂」店主の竹田信弥さんが、趣味で本屋をやっていて、勤め先で嫌なことがあっても自分は本屋なんだと思うと耐えられた、みたいなことを著書『めんどくさい本屋』(本の種出版)に書かれていて、参考にしたのである。

 私の勤め先はおよそ三年おきにジョブローテーションするため、これという目標が決めにくく(何かのスペシャリストを目指しても、希望と無関係にシャッフルがあるため、適当にゼネラリストであらざるを得ない)、それはそれで出会った仕事・人それぞれに真摯に取り組むだけではあるのだが、とはいえやりがいが見出しにくく感じていた。

 生活の糧を得る仕事は一つの道として、もう一つ道を引いておきたい。進むべきもう一つのレールを敷設したい。そしてそのもう一つは、本に関するものがいい。それが仇櫻堂の生まれたキッカケである。しばらくは本に関する情報発信をしていたが、その中で一箱古本市なるものの存在を知った。本のフリーマーケットである。

 現在、厳密に言えばwebで古本屋をやるためには、特定商取引に関する法律に従い住所を晒す必要がある。また、業として古本を仕入れるためには、古物商許可が必要になる。さらにweb経由だとお客様と対話をする機会は少なく、またその他大勢のwebストアと戦う必要がある。私にとってはそれらはいずれも本屋を始める障壁であった。一箱古本市はそれらのデメリットと無縁である。重い在庫を背負って会場に向かう苦労はするが、自身が何者かは明かす必要はないし、自分の蔵書を売り払う限りは古物商許可もいらない。何より本の売り買いではなく、私にとってより大事な、本についてお客様と語らう、ということができる。私は去る2021年3月20日(土・祝)、初めてそんな一箱古本市に参加してきた。

【告知】2021年3月20日(土・祝)第2回本八幡屋上古本市のこと|仇櫻堂|note

【報告】2021年3月20日(土・祝)第2回本八幡屋上古本市のこと|仇櫻堂|note

 と言いつつ、当日のことやそこに至る準備のことは、仇櫻堂(note)に詳しく書いたので、やたらと繰り返しはすまい。あえて繰り返すなら、やってよかった、ということである。散りやすい桜のように、チャンスは待ってはくれない。私は申込み開始の1時間前に募集を知って、挑戦を決めた。即日で募集枠は一杯になった。チャンスを掴んだのだ。その後は思い悩む日々であった。少しずつ準備を進めながらも、楽しさの裏側には大きな不安を感じていた。それでも淡々と支度をして迎えた当日、とにかく優しい人々(主催者も出店者もお客様も)に恵まれ、本の話をして、とてもとても楽しい時間をすごした。

 私の店、仇櫻堂は確かに開花した。まだ二分咲き、満開を楽しみに待っている。

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