哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

読書会のこと①「能の物語りを読んでみよう!-加茂-」

■能の物語りを読んでみよう!-加茂- のこと

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 シテ方金春流能楽師の柏崎真由子さんが主催する、オンライン(zoom)での、謡本(能の台本)の読書会である「能の物語りを読んでみよう!-加茂-」に参加したため、感想を記す。なお柏崎さんは、2021年6月26日(土)に神楽坂の矢来能楽堂にて催される円満井会定例能第一部(12時30分開演)にて、同曲のシテ(主役)を勤める予定ですので、ご興味を持ってくださいましたら、そちらもチェック願います。

 ●能「加茂」とは

 能「加茂」の簡単なあらすじを説明する。能のよくあるストーリーとして、ワキ方(相手役)である諸国一見の僧が遠方に出かけ、ある場所で曰く有りげな人物に出会い、その所に縁の人物についての話を聞き、話の最後に目の前で話しているその人物こそ、件の人物の霊や化身であることが暴露され、後半は件の人物本来の姿で登場し、舞を披露したり過去の事件の様子を再現したりする、というのが定番である。

 この「加茂」では、賀茂別雷神を祀る兵庫県たつの市賀茂神社(室明神社)の神職ワキ方である。物語は彼が京都の賀茂神社を訪れるところから始まる。神社の前に白羽の矢が祀られているのを訝しみ、所の女性二人に聞いてみると、昔、秦氏女と言う女性が毎日水を汲んで神前に供えていて、ある時白羽の矢を見つけて家に持ち帰ったところ、妊娠して出産した。その子供に自分の父親を訊ねたところ、その子は白羽の矢を父親だと指差し、矢は天上に飛んでいったという。その矢こそ賀茂別雷神上賀茂神社の祭神)であり、母である秦氏女こそ賀茂御祖神(下鴨神社の祭神)なのでした、という内容で、曲の後半はこの二柱の神が舞い降りて、舞を見せるのだ。

●能の物語りを読んでみよう!-加茂- のこと
※資料中の写真はWikipediaおよびいらすとやに拠りました。また本文のデータ等はWikipediaを参照しました。
PowerPoint→mp4にするにあたりやたらハイテンポになってしまいましたが、適度に動画を停止してご覧ください。
※この動画には音声はありません。

  本イベントは二週連続で行われた。事前に本曲の詞章(謡の文章)と現代語訳や注釈をまとめた資料がデータ配布される。一週目は講師以外に六名が参加し、講師による簡単な曲の解説に加え、詞章の音読と一節の謡体験。詞章を音読することで初めて会う参加者に対して、少し気分がほぐれたし、謡の体験は息継ぎのタイミングが掴めなかったが、良い経験であった。一週間開けた二週目がなんとなく本番で、こちらは一名欠席で講師以外に五名の参加であった。各自が詞章を読み込み、その感想や関連して調べたことを十分程度でシェアする。

 私は上に動画ファイルとして共有した内容を、実際にはPowerPointのプレゼンテーション機能で、資料として見せつつ発表した。テーマは室明神社の神職室津から京都への旅路を現代に置き換えてみたら、というもの。他の参加者も、楽しんでご覧くださったようであるが、オンラインのプレゼンというのはどうも、相手の反応(ちょっとした相槌や笑い声)が確認しにくいため、壁に向かって語りかけるのに近い。たいそう不安な気持ちでボソボソしゃべってしまったが、もっと自信を持って楽しめばよかった……。

 発表内容は自由、皆さん加茂という曲にとらわれずに、お能全般であったり、「かも」氏に着目したりと、自由に発表されていた。発表後に積極的に質問や感想が交わされて、楽しかった。

 カナダ在住の日本人の方は、カナダの自然・文化から、日本のお能の話へと入っていき、とてもダイナミックな印象を受けた。「かも」氏について、ユダヤ人の末裔ではというテーマで歴史的な説明をくださった方からは、一つのテーマをそもそものところから深く掘り下げていく楽しさを感じた(参考: 日ユ同祖論 - Wikipedia )。もちろん、お能との関わり方や能舞台についてお話される方もいて、それぞれに着眼点が違うからこそ、お能に対して新たな視点をもらったようで、あっという間の2時間弱であった。

 先述の通り、能「加茂」は来月、実際の舞台で拝見する予定である。演能を見ながら、こうした議論を思い出すことで、より関心を持って曲の世界に入ることができると思うし、今、詞章を文章として読んだだけの状態と、ビジュアルとして能の舞を見て、音として謡を耳にした観能後は、物語に対する感じ方も変わってくると思うので、いつも以上に舞台が楽しみである。

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