哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

2021年7月の徒然なること

■2021年7月の徒然なること

 このブログ「哲学講義」には副題がついていることを、ご存知だろうか? 今は「仇櫻堂日乗」としている。仇櫻堂というのは私が一箱古本市に出店するときの屋号である。その前は「あるいは哲学抗議」であった。ブログを開設した当時は、もう一つ前の副題である。つまり「幸せになるために」としていた。

 今、私は幸せについての言語化が不十分であったと感じている。幸せとは何であろうか。一つ言えることは、幸せには不安を伴う、ということだ。幸せという特権を享受する権利を失うことを不安に思う。逆説的に言えば、不安を抱く人は、守りたい幸せがある人なのかもしれない。

●2021年花ハス圃場一般開放 @東大旧緑地植物実験所 のこと

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東大旧緑地植物実験所(千葉県千葉市)にて

 以前に大賀蓮のことを書いた通り、私が生まれ育った町は約2000年前の古代ハスである大賀ハスのゆかりの土地である。現在、大賀ハスの実が発掘された近くでは、東京大学からハス見本園の管理を引き継ぎ、観蓮会の開催・ ハス文化の継承と普及を行うため組織されたボランティア団体である「大賀ハスのふるさとの会」が花ハス圃場の管理を行っており、例年ハスの開花時期に一般開放・観蓮会を催している。2021年は7月の土・日(午前6時~10時)に解放されるとのことで、去る7月4日(日)午前6時過ぎ、早速見学に行ってきた。

 雨が降りしきる日であった。受付で検温とアルコール消毒、記帳を済ませて中に入るのだが、ボランティアの検温担当のおじいさんにしばらく気がついて貰えず、難儀した。周りのおじいさんに後ろ後ろと言われて、やっと気がついてもらえた。

 ハスたちは細かく区切られた水場に生い茂り、大賀ハス以外にも、多種多様なハスが植えられていて、それは見事なものではあった。ただし、まだ(もう?)花をつけていない種類も多かった。それでもポチポチと咲いているハスの写真を撮ってすごした。

 帰り際、受付にてハスの写真のポストカードを売っていたので、記念に買い求めた。検温とは別のおじいさんと、おばあさんが売り子をしていて、おばあさんは写真のハスについて蘊蓄を語り、おじいさんはこれとこれとこれが綺麗だから、そうしようと、(勝手に)決めてくれた。私はおじいさんが選んでくれた、大賀ハスやそうでないハスのポストカード、それに遠方の知り合いに送るようにと薦められた、ちはなちゃんのダイカットカードを購入した。ハスとスイレンの違いについて、スイレンには葉に切れ込みが入っているそうである。大賀ハスの精であるちはなちゃんの背中の葉には、切れ込みが入っていて、それはつまり(禁則事項です)。

 帰り際、ハスの葉茶をいただいた。大きなやかんに煮出された熱々のお茶を、紙コップでいただく。スッキリして美味しい。ボランティアの中のどなたかが作っているそうで、彼らの集まりの時には大抵、その大きなやかんで振る舞われるのだという。説明してくれた可愛らしいおばちゃんは、ハスは朝に開くとどんどん花を閉じてしまうため、自分も早くハスを見に行きたいのだけれど、この役を代わってもらわないと行けない、と笑っていた。とても素敵な空間でした。

●2021年7月 第32回久習會 狂言「呂蓮」能「邯鄲」@国立能楽堂 のこと

 7月12日(月)、第32回久習會公演を拝見した。ある出家と、仏門に入ろうとする宿屋の主人、そしてその妻を描いたドタバタ劇である、狂言「呂蓮」(三宅右近)に続いて、能「邯鄲」(荒木亮)を上演。子方(子役)の根岸しんらさん(小学生高学年)は、2020年11月22日に49歳の若さで亡くなった宮内美樹さんの講座で、机を並べて勉強させていただいた、私にとっては能の先輩である。観るたびに、立派にご自身の役を勤められていて、背筋が伸びる思いである。

 さて、能「邯鄲」は邯鄲の枕、一炊の夢の故事にちなんだ、中国が舞台となる曲である。人生の教えを求めて邯鄲の宿に辿り着いた盧生青年が、宿の女主人に勧められて邯鄲の枕で眠ると、夢の中で皇帝になって50年間の栄華を極める。しかし、不意に宿の女主人に粟飯が炊けたと起こされ、目を覚ましてみると全ては食事ができるまでの一炊の夢と知る。

 初鑑賞であったが、"栄耀栄華を極めて楽を舞うシーン(太鼓や笛が入る)”と、”夢から覚めて子方やワキツレが小走りに退場した後のシーン(大鼓と小鼓に寂しげな地謡「盧生は夢覚めて、五十の春秋の、栄華も忽ちに、ただ茫然と、起き上がりて」だけとなる)”と、その落差が素晴らしくて感動した。それにシテが一畳台に飛び込んでゴロンと横になる型も、よく能面で視界がきかない中で、飛び込む勇気があるなと思う。もちろん、子方の舞もよい。

  • お台:飯(粥)の女性語。
  • 門出(かどいで):(旅への)出発。
  • 村雨:強く降ってすぐや止む雨。
  • 中宿:目的地への中間の宿。
  • いかに:おい。もしもし。
  • そなはる:その身分に就く。
  • いかで~べき:どうして~か、いやそんなことはない。
  • 有難の:めったにない。
  • 千顆万顆:数が多いこと。
  • 一丈:十尺。約3メートル。
  • 擬ぶ:真似をする。
  • 常盤:岩のように永久不変であること。
  • 有明の月:夜が明けてもある月。
  • 月人男:お月様の擬人化。
  • さやけし:清々しい。
  • ありつる:さきほどの。
不安のこと②

 前回、誰かの意思次第で自らに降りかかる不利益と不安について記した。また本稿の冒頭では、幸福が伴ってくる不安について触れた。ただし精神医学的に「不安」は「対象のない恐れの感情」と定義されていて、一方で「恐怖」は「対象がある場合」に用いられる。つまり、私が例示したものはどちらも、恐怖に分類されるのではないかと思う。

 ただし、恐怖もまた不安を連れてくるのだ、という実感は書いておきたい。何年か前、私が仕事を休職する直前の話である。多すぎる仕事量、不機嫌な上司、その他社内での人間関係、不寛容な満員電車、その全てが私にとっては、大なり小なり恐怖の対象であったと思う。そして私自身、常に気分が優れず、動悸がしていたし息苦しかった。それに何だか、とげとげしていた。

 漠然と目の前の全てを恐れていた、そうそれこそ不安を抱いていた。その不安を生んだのは、目の前に溢れすぎた、ひょっとするとごくごく小さな恐怖に過ぎないのかもしれない。でも対象が多すぎる恐怖は不安に転じ、不安はその実体がないゆえに、無限に膨張するのだ。

 比較すれば、恐怖には対処がしやすい。高圧的な相手とは、話さないようにすればよい。やりたくないことは、やらなければいい。しかし不安には、大きすぎる不安を切り分けることで、恐怖をいくつか見つけて細分化し、一つ一つに対処していくか、不安そのものに対して素知らぬ顔ができるようになるしかない。その時に、まず頼りになるのは、先月も書いた通り、他人の協力だ。

 風が吹くと桶屋が儲かるではないが、案外実効性のなさそうな人に相談をしたり、愚痴をこぼすだけでも、不安を和らげたり、恐怖を一つ一つ潰す事はできるかもしれない。そして私自身、不安や恐怖に直面する人に、きちんと手を差し伸べられる存在でありたいと、思うのだ。

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