哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

東京2020 オリンピック・パラリンピック能楽祭 ~喜びを明日へ~「翁 十二月往来・父尉延命冠者」他 @国立能楽堂 のこと

東京2020 オリンピック・パラリンピック能楽祭 ~喜びを明日へ~「翁 十二月往来・父尉延命冠者」@国立能楽堂 のこと

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 東京・千駄ヶ谷国立能楽堂にて、東京2020 オリンピック・パラリンピック能楽祭 ~喜びを明日へ~ 第一日目 を拝見した。こちらは1945年に設立された、能楽師による職能集団である公益社団法人能楽協会により、オリンピック・パラリンピック期間に延べ7日間、様々な流派や、パラリンピック期間については、日本ろう者劇団による手話狂言も上演する、というもの(パラリンピック期間中のステージは、チケット販売中)。
 ちなみに、先の1964年の東京オリンピックの際にも、オリンピック能楽祭が催されていたそうで、1983年に国立能楽堂ができるより、はるか昔の話。これについてはどんなものであったか、探ってみたところ、なんと昨年、やはり国立能楽堂にて、能楽協会により催された、能楽公演2020 ~新型コロナウイルス終息祈願~ のプログラムに記載があるとの情報を得て、紐解いてみたところ、一枚刷りのペラで、オリンピック能楽祭の番組と当時のプログラムに掲載された戸井田道三(能楽評論家)による「能と狂言について―その演劇史上の位置―」の文章が掲載されていた。東京オリンピックの掲げた「世界は一つ」の標語から、世界の演劇と能楽を比較し、世界の演劇史上に能楽を当てはめようとする、明快な文章であった。

 番組を見てみると、1964(昭和39)年10月5日曜(月)に水道橋能楽堂(現、宝生能楽堂)にて宝生九郎の「翁」により幕を開けた同公演は、第六日目からは東京観世会館(新宿区大曲、1972年に渋谷区松濤へ移動)に場所を移して、10月16日(金)金春信高による「道成寺」で幕を閉じた。全て平日の夜、18時半の開演であった。正直、お名前を存じ上げない方も多く、不勉強で恐縮であるが、いずれ劣らぬ当時の名手たちが共演したのだろうと思うと、ワクワクするものである。

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●「翁 十二月往来・父尉延命冠者」のこと

三番三(黒色尉)
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 さて、拝見したのは金春流の「翁 十二月往来・父尉延命冠者」、シテ方金春流八十一世宗家の金春憲和を筆頭に、同流の名手髙橋忍、奈良金春の若き金春飛翔が、三人で翁を勤め、また各月について掛け合う詞章が追加されるという、特殊演出での上演。通常は翁は一人である。ただし、この演目で小鼓が三人いて、迫力がありまたその音が揃っていて驚いたのだけれど、小鼓三挺というのは常の演出のようで、勉強となった。

 そもそも「翁」は初めての鑑賞で、恭しく運び込まれた面箱から翁の面を取り出し、舞台上で後見の助けを借りてかける様も初めて拝見(と言っても、千歳の動きに気を取られていたら、気がついたら面をかける最中であった)した。”世阿弥が『風姿花伝』に猿楽の祖とされる秦河勝の子孫、秦氏安が、村上天皇の時代(10世紀ごろ)に、河勝伝来の申楽を六十六番舞って寿福を祈願したが、そこから三番を選んで式三番(「翁」の別称)とした、という内容を記してい”るそうで、その”式三番(父尉、翁、三番猿楽)の内、父尉は演じられなくなり、現在は千歳・翁・三番三(三番叟)の順に舞うかたちとなっ”た、そう(参考:the 能 .com 演目事典:翁)。ところで、本日の金春流秦河勝を初代として数える、最も歴史のある流派であるため、最も翁にゆかりの深い家と言える。また現在は演じられていない父尉をシテの金春憲和が扮し、また千歳の茂山忠三郎が延命冠者に扮し、やはり舞台で面をかけて、詞章を発するシーンがある。ゆったりした動きの中に、かなり見どころのある内容であり、油断してぼやぼやしている間に、大分見逃しており、色々悔やまれるところだ。
 個人的には荘厳な翁舞より、パワフルな揉ノ段、鈴ノ段という、三番三のが好きだった。茂山千五郎の声は、張りがあって素晴らしい。また大鼓の安福光雄の、それこそエネルギッシュな好演が素晴らしかった。

●一調「高砂」のこと

 続いて一調「高砂」は、太鼓方金春流宗家の金春惣右衛門の太鼓が、シテ方金春流の前宗家である金春安明の謡とバチバチにぶつかり、かっこよかった。謡のお声が、当代も似たお声だが……、やはり、違う。先代のお声は、古い楽器を聞くような深い響きがあって、それでいて大声を張り上げているという感じではなくて、とても良い。

狂言「二人袴」のこと

 最後に人間国宝である野村萬がシテを勤める狂言「二人袴」。野村万之丞野村萬の孫)と、聟入に挑む聟とその父を演じるわけで、その掛け合い、息の合い方がすごい。「二人袴」は以前に甲府の武田神社の薪能で、野村萬斎、裕基親子による上演を拝見した。

 狂言は家ごとでの上演が主で、必然的にこうして、親子役を、実の親子や祖父と孫が演じるようになり、それは、とても良い。そしてそれを言うと、上述の「翁」を同じ十二月往来・父尉延命冠者の演出で、翁・父尉:金春安明(憲和の父、今回は後見)、翁:髙橋忍、金春穂高(飛翔の父、今回は後見)が演じたのが、21世紀の到来を告げた、2001(平成13)年1月4日の国立能楽堂、第8回特別企画公演「新世紀記念日賀寿能」だそう。今から20年前、若き憲和は地謡に入っていたよう。こうして父から子へ、芸が、伝統が伝わっているのだな、というのは、大層面白いのである。

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