哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

もっと馬のこと

■もっと馬のこと

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 少し前に静岡県御殿場市にある御殿場カルチャーファームを訪れたので、その時に出会った馬たちのことを書こうと思う。抜けるような青空、澄んだ空気と雲を纏う富士山、どれも素晴らしかったが何より、朝4時起きの私には身体に堪える猛暑であった。

●ゴールドヴェインのこと ~ゴールド号の憂鬱~

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 ゴールド(競走馬名:ゴールドヴェイン)は18歳のセン馬。調べてみると、2005年6月には他界した後藤浩輝騎手を背に、初出走の2歳新馬戦で勝ち上がって、中央で通算26戦3勝し、2009年4月、6歳まで走り続けたわけで、競走馬としても一定の実績を残したと言えるのだと思う。そもそも中央競馬で一つも勝てずに一生を終える競走馬の方が大半なのだから。

 競走馬引退後多くのサラブレッドたちが処分される中で、ゴールドのように本当に乗馬(競走馬の大半は乗馬に転用されるが、実態は処分されている)に転用された馬が、次の生き場を見つけて幸せだとは思わない。馬自身が競馬や乗馬等、望んでいるとも思えないながら、なんとなく理屈をつけて私のエゴで乗せてもらっている、そんな印象。だから三年前の初夏、彼が馬場の一番外側、道路沿いの一角で、前に進むことを拒否し、立ち止まり、後退したことを今になって思うと責められないのだけど、あの時は焦ったな……。押しても、蹴っても、前に出ない。ムーンウォークのように後退り、何なら振り落とさんばかりで、私はそんなゴールドに対して、恐れをなしてなすすべがなかった。

 先日の往訪時に、しばらく動かしてないから調馬索(馬をリードに繋いでクルクル回して運動させること)かけて、様子を見ながら乗って欲しい、と言われた時は、少し緊張した。例の一件の後、彼には二回騎乗していて、(もちろん、私の技術の未熟さ故であるが)ものすごく従順な馬ではないながらも、普通に練習に付き合ってくれていた。とはいえ、そうした注意を受けながら乗るのは初めてであったので、随分念入りにゴールドを引き馬で歩かせ、調馬索で歩かせ、走らせた。彼は熱心にクルクル回った。調馬索をかけること自体が久々すぎた私は、手綱をどう処理するのかもわからず、周囲の助けを借りながら、クルクルクルクルとゴールドを走らせた。クルクルクルクルクルクル、彼はなんの問題もなく回ってくれて、普段のゴールドと変わらないことが確認できた。

 それで、回りすぎて、私の目が回って、気持ち悪くなった。考えても見てほしい、三十度を越しているであろう炎天下の砂場(馬場)の真ん中で、馬が走るのに合わせてクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルおっさんが回り続けていたらどうなるか……。おのれ、ゴールドめ、やりやがったな……(お陰様で、跨ったあとも彼らしく、すきあらばサボろうとしながら、真面目に練習に付き合ってくれました)。

●フミノツイスターのこと ~マリンツイスターの献身~

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 マリンツイスター(競走馬名:フミノツイスター)は元は別の乗馬クラブにいたのを、引き取られて来たとのこと。24歳セン馬。通算76戦19勝(うち中央競馬では30戦3勝)。1999年11月の3歳(現2歳)新馬戦でデビュー。地方競馬の荒尾に移籍して、2007年4月、10歳(現年齢表記)まで7年半走り続けた頑張り屋さんである。なお、年齢表記が妙なのは、2000年→2001年において、日本の競馬界の年齢表記が数え年から満年齢に変更となったため。そのせいで? マリンツイスターの一歳下の世代となるテイエムオーシャンは、二年連続で最優秀3歳牝馬を獲得している。

 閑話休題、乗馬クラブのスタッフに聞いたところによると、どうも彼は左目が見えていないらしい。馬の目は草食動物らしく左右側面についている(人間や肉食動物は前方についている)ので、視野が広い分、片目が失明するとごっそり身体の半分が見えなくなる……はずである。当然、何らかの不都合があるのではないか、と思うのだけれど、元いた乗馬クラブでは、失明の事実をなかなか気づかれずに、普通にお勤めしていたそう。それでも、なにかのきっかけでおかしいなと気づいてもらえたようで、どういう経緯かは不明だが、御殿場カルチャーファームに引き取られた。

 移動してきた当初は馬房(馬小屋)に入るのも嫌がるほどナーバスで、元の乗馬クラブのスタッフに来てもらってなんとか入らせたそうだが、日々の暮らしの中で、なんとか乗馬クラブそれ自体には馴染んできたところ、まだ誰も乗っていないから、ちょっと乗ってみてほしい、とのことで私が映えある移籍後初騎乗の大命を仰せつかった、ということである。

 さてゴールドと同じように調馬索をかけて、私が十分に目を回したところで、騎乗した。先に跨ったゴールドよりも馬格がしっかりしていて、私の足の間に確かな存在感を感じる。調馬索でもそうだったけれど、跨ってみてからも、左目が見えない感じは殆どなかった。怖がったり暴れだしたりという素振りもなく、落ち着いてこちらの指示をこなしてくれる。どんな乗馬クラブにもいるような、大人しく誰が跨っても練習になる人気者、といった印象。

 でもホントは怖いはずである。だって、多分身体の左半分がまるで見えていないのだから、右回りのときは馬場の外が(それこそ車のエンジン音がしても、姿は)見えないはずであり、左回りの場合は自分が回っている中心がどうなっているのか、誰かがいるのかとか、わからないはずである。一度だけ、右回りのときの外埒に私の左足が打つかったことがあり、それはでも、彼にとっては見えていない世界のことで、それ以来、ああ左に物があるときに左により過ぎないようにしないと、と、私の注意不足を実感したのである。

 そういうわけで人馬大きな事故もなく、練習を終えた。頭から尻尾までホースで水をかけながら、汗を流し、蹄を洗ってやる間も、私が左側の見えていないところに立っても、まるで気にせず。もちろん、普段以上に声をかけながら作業はしたけれど、そんな配慮もまるで要らないくらい、落ち着いて見えた。

 また一緒に練習させてもらいたい、と思う。彼もそう、思ってくれていたらいいな、とも(ありえないことは、わかっている)。

 

 そういえばこんな本を思い出したので、ご参考までに……、『私、コスモの目になる!―盲目の馬と少女のこころの交流

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