哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

2021年8月の読書のこと「上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!」

■上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!(上野千鶴子田房永子/大和書房)のこと

20210804_上野先生フェミニズムについてゼロから教えてください

 平成31年度東京大学学部入学式祝辞で有名な上野千鶴子(1948年生)に、漫画家の田房永子(1978年生)が質問しつつ、フェミニズムの周辺について語り合う本。

 正直なところ私自身はフェミニズムに対して、苦手意識があった。それはフェミニズムを主張する女性たちが非常に強い存在に思われて、怖いとさえ思ってしまうから。それと同時にフェミニズムを主張する男性に対しては、胡散臭い、偽善、という印象を抱いていた。ただしそうした偏見は、こうして書物を紐解くことで、完全にではないけれど解消されていると思う。少なくとも読む前よりも、そうした主張の実態を知ったことで、意見をフラットに考えられるようにはなったと思う。

●母と娘

 上述の通り、対談している両氏がまず、親子くらい年の離れた女性同士なのだが、この一世代の差であっても、女性に求められる役割が異なっている。上野より上の世代はそれこそ、女性が一人で生きていくことは惨めとさえ言われていて、上野自身もそうした親に育てられた世代。進学し就職する女性が少数派(結婚して家庭に入ることが大多数)の中で、上野は学問という極道の道を歩んだそう。一方田房の時代(ロスジェネ世代)には女性が就職することも増えてきたようだが、企業には総合職と一般職の区別があり、女性は基本的に一般職で、華やかに着飾って配偶者を見つけて寿退社するという、会社がお見合い会場のようなものだった。そういう時代の風潮の中で、母が娘に対して、自分が生きたかった姿を求めたり、自分が生きざるを得なかった道を歩ませようとしたりすることで、軋轢が産まれるようである。この本が面白いと思ったのは、フェミニズム女性が男性と戦う、という構図ではなく、まずフェミニズム女性と旧世代の女性との違いを示してくれる点。

 田房の母はよく田房に対して、誰に食べさせてもらってると思っているのか、ということを聞いていたそうだけれど、それには、お父さんでしょ? と思っていたそう。それで、母自身が専業主婦であることの辛さを娘にぶつけていた、と気がついたそうだけど、こう抑圧された人が、下の世代を同じように抑圧したがるのは、常々、意味が分からない。自分だけが我慢せざるを得なかった、ということが許せないのだろうけれど……。

 そしてもう一点、本書の序盤では母息子関係にはあまり触れられていないというか、息子が自分と全然違う生き方をしても母は気にならないとさえ言われていて、それは違うなーと思いながら読み進めていくと、息子もまた、母と全然違う生き方をしている女性を嫁にすると……、という論点が出てきて、そうだよな、そういう形で問題に巻き込まれていくのだな、と納得した。

 というわけでフェミニズムと言っても、一口に男女の戦いというだけではなく、様々な人の価値観の絡んだ問題なのだ、ということがわかる。

●社会のA面とB面

 ところで、ウーマンリブ(1960年代後半からアメリカで始まった女性解放運動)の標語に、「個人的なことは政治的なこと」という標語があって、それは夫婦や家族間の問題は実は個人的な問題ではなく、男性中心の社会の中で女性に押し付けられてきたものであって、という考え方。だから、夫や親への不満を女性同士で話し合うと、結構プライベートな問題ではなく、共通した問題であることに気がつくそうである。それで私がもどかしく思うのは、”今”の男性もまたそうした、歴史的な政治や社会構造によって既に構築された、女性を傷つける制度を生き、無意識に賛同してきているということで、もちろん改めるべきところは改めるべきだけれど、それまでの社会がそれを是としてきたものに気づき、改めることは、それなりの労力を伴う、ということ。男ボーナスががあるから、男性は自発的には変わらない、ということは本書で述べられているが、男ボーナスを作り出したのは、”過去”の男性であって……、もちろん、差別を是とする気持ちはないし、私を含めて”今”の男性が改めるべき部分があることは分かったうえで、でもそれは”今”の男性たちだけが責めを負うべき事柄でもない、というのは、発見である。

 また田房の言葉で、社会にはA面とB面があって、A面は政治、経済や会社等、B面は家庭であり、病気や障害、育児等に関わる部分だそう。この言葉は田房が発見したそうだけれど、実は上野も、かつて著作で触れていた概念だそうで、そうしたフェミニズムの考えが次の世代に伝わっておらず、また一からのスタートになってしまっている、というのは、残念なことだそう。ともあれ、男性が子ども時代と老後をB面ですごし、成人以後の大半はA面に行きっぱなしになるのに対して、女性は育児や介護等で、A面とB面を行ったり来たりする。

 これについて、私は男性だけれど仕事を辞めたり、精神疾患で休職している期間が長かったから、なんとなくわかる。やっぱりB面に行くと、A面に戻らなきゃという焦りもあれば、A面からどう見られているのかという負い目もあるし、B面で取り戻した自分らしさをA面の人々には理解してもらえないだろうという、卑屈な気持ちもあって、少なくともその間に絶対的に壁があるのだ、という感触はあった。それがなるほど女性の方がはるかに、その壁を意識せざるを得ない状況というのもわかる。個人的には実はB面の方が生きやすい気がするのだけれど、一度A面に戻ると、(”普通”の男性が)A面とB面を行き来することを良しとしない風潮があるように感じてしまい……、この生きづらさは何なのだろうな、と思う。

●弱者に対する想像力

 ウーマンリブの世界共通の課題として中絶の自由が上げられていて、ただし、日本は”中絶天国”と言われるほど中絶が簡単にできる国であった(、だから中絶の自由を求めて戦う必要はなかった)、と述べられている。当時の優生保護法においてはむしろ、障害を持つ人に対して同意なく中絶をさせることもあったそうで、恐ろしい時代である。一方で1996年に母体保護法に改正された後は、性犯罪被害者が自分の意志で中絶できないといった問題もあるようで、いずれにしても議論が深められて行かないといけない部分である。

 ともあれ本書ではこの優生保護法に関して、1972年の改悪案に反対する当事者運動についても述べられていて、女性がこの改悪案が事実上の中絶禁止であったことについて反対したのに対して、障害者は障害を持つ胎児の中絶を合法化しようとしていることに対して抗議した。論点が違って、でも共通の敵がいて、共闘できると。そうでもないと、それこそ例えば、女性の中でも幼保無償化によって恩恵を受けられるか否かによって分断させられてしまう等、弱者同士が分断させられてしまうことが起きる。弱者は共闘すべきなのだけれど……。

 そういう社会を作って、弱者同士の分断を図ったのが、強者であるところの男性なのだそうで、上野は強者を、「弱者に対する想像力を持たずに済む特権を持っている」と述べている。想像力という点では、父親が性犯罪被害について、”自分の”娘が被害にあうことを想像すると云々、という具体例が出てきて、どうして男は性犯罪被害者を自分の身内に変換しないと想像できないのかと、「女はどこかの男の付属品」でその付属品を傷つけられる、みたいにしか考えられないのか、という論点が出てくる。この辺りも確かにと納得できて、勉強になる。

●「フェミニスト=男になりたい女」という誤解

 「フェミニスト=男になりたい女」という誤解を私もしていて、それは本書では当然否定されていて、上野はフェミニズムを「弱者が弱者のまま尊重される思想」と述べている。この思想については、私自身、目から鱗が落ち、なるほどと思った。

 私自身がフェミニズムを理解できているとは到底思わないし、また今後すべてを理解できるとも思わない……、というか本書で「一人一派」と形容されるくらい、一人一人に抱えている問題や思想は違うわけで、軽はずみにその全体を理解できた等とは到底言えない。

 私自身、本書の文脈で弱者と強者について考えたとき、男だから強者、とは思っていなくて、それは私自身は障害者ではないのだけれど、それでも精神疾患の経験から、精神障害者に対する想像力は、多少は持ち合わせていると思うし、今の社会構造を強者であるところの男が作り上げたのであるならば、その社会に生きづらさを感じてもいる。けれど一方で、私がある意味で同じ弱者なのだとしても、女性の抱える問題については、正直ほとんど理解できていなかったし、今もできていない。それは本書で取り上げられているように、弱者同士も分断されている、ということである。

 また私は、フェミニスト=強い女性、というような偏見も持っていて、それは考えてみれば当たり前で、表立って運動する以上、嫌でも強くあらねばならない部分はあるし、それをあえて誤解を抱くようにメディアが取り上げても不思議ではない。もちろん、強いフェミニストもいるのだろうけれど、そのすべてが本当に強いわけではない、無理して強がっている人もいることは認識すべきだし、そもそも彼女らをフェミニストとしてくくるのではなく、怖がらずに一人一人の意見に耳を傾けていく、ということが必要なのだろうと思う。

 以上のようなポイントを、きちんと深めて、消化していきたい。それらについて、実態を知り、語られた問題を自分事として考えていくきっかけをもらったように感じていて、よい読書体験だったと思う。

■ちょっと関連

philosophie.hatenablog.com