■仇櫻堂創業一周年記念創作まつりのこと
いつも当ブログ「哲学講義 仇櫻堂日乗」の活動にご理解をいただき、厚く御礼を申し上げます。2021年9月、当ブログは開設3年半を迎えます。キリが悪い……。
⇩ 参考:開設日
【あとがき】読んでくださって、ありがとうございます。毎週日曜日の22時に投稿します(多分)。
是非、少しでも良いと思ったら、コメントを残してもらうと励みになります。よろしくお願いします!
2018.3.24 房総半島より愛をこめて
私がもう一つ「仇櫻堂」という場を作ったのは一年前、2020年9月16日でした。「人と本にまつわる何かを」目指す仇櫻堂は、この度、創業一周年を迎えます。
当初、仇櫻堂という屋号で果たして何をやるのか、見当もつかない船出でしたが、動き出してから当ブログを仇櫻堂の日記(webメディア)として整理し、「仇櫻堂」(note)「哲学講義 仇櫻堂日乗」(はてなブログ)の二本立てでのwebでの執筆活動に加え、一箱古本市出店という書店事業、フリーペーパー「QO」を発行するという出版事業へと、活動の場を増やしてまいりました。
ひとえに、皆様のご指導、応援を受けながらの一年間でした。誠にありがとうございます。そして引き続き、変わらぬお引き立てを、よろしくお願いいたします。
つきましては仇櫻堂創業一周年を記念し、当ブログではこの2021年9月を文芸創作月間と位置づけ、「創作まつり」を行っていきます。是非、お読みいただければ嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします。
●GIFT
真っ青な空、高く高く宇宙を目指すかのように、真っ白な雲が伸びていた。額を滴る汗が、鬱陶しくも目や口に入ろうとする。ズボンのポケットから、青いハンドタオルを取り出して、顔を拭った。首から、第二ボタンまで外したワイシャツの襟元まで……。肩から斜めにかけた黒いナイロンのビジネスバッグには、何が入っているのか、自分でもよくわからないけれどずっしりと重く感じた。
到着した株式会社シーエーティーは、雑居ビルの五階にオフィスがある。この手の古い雑居ビルのエレベータは、どうして地上階から階段を半分登ったところに入口があるのだろう、ここに来るたびにそう思いながら先方のオフィスを目指し、受付で担当の猫係長を呼び出す。ああ、亀さん亀さん、彼女はそう言って、僕を出迎えた。
……、というわけで、こちらがご依頼の見積書でして、はい、是非、何卒。暑い中を歩いてきたせいで喉はからから、若い社員が持ってきてくれた麦茶をちらちら、視界にとらえつつ、こちらの伝えたいことは伝えたつもりであった。猫係長はしげしげと持参した書類を読むと、二三、決まりきったような質問をして、僕はおどおどとそれに答えた。そして彼女は、良いでしょう、あなたのところに発注します、よろしくお願いします、と言った。ありがとうございます。僕は何度も何度も礼を言って、勧められた麦茶を一気に飲み干すと、取引先を後にした。
帰り道も相変わらず暑かったが、それでも気持ちは軽やかだった。地下鉄を乗り継ぎ、自社に戻って上司の鼠課長に、商談の成立を報告した。亀、お疲れ様、鼠課長はそう言って僕のことを労ってくれて、その後さりげなく缶コーヒーをくれた。ありがとうございます、と言って、それを飲み干しながら、なんだか臭い企業ドラマみたいだな、と思っていた。
仕事を終えて、電車に乗り、郊外のベッドタウンにある自宅に帰り着いたのは午後九時頃であった。家の玄関を照らす暖色系の灯りを見ると、ようやく心からほっとできた気がした。おかえりなさい、食卓に着いた僕に、妻が缶ビールを持ってきてくれたので、ありがとうと言って、グラスに注いで、一気に飲み干す。冷たく爽やかな苦みが身体中を駆け巡り、僕の疲れを癒してくれた。
ようやくベッドに横になって、僕は改めて、今日一日のできごとを思い出していた。
うさぎ? と妻の名前を呼ぶ。
なあに? と返事が来る。
今日ね、シーエーティーの猫係長が契約を承知してくれてね、分からないんだ、理由が。
それはだって、あなた、このところ何度も何度も、足を運んでいたから認めてくれんでしょう。
うーん、それに上司の鼠課長がねえ、商談の成立を喜んでくれて、僕のことを褒めてくれたんだ。
それこそ、あなたが頑張ってたのを、課長さんはご存知だからでしょう。
それに、帰ってきたら君がいて食事やお酒を用意して、待っていてくれているんだ。
だって、帰ってきてくれたら嬉しいもの。
そうかなあ、うーん、でもそういうことをしてもらうようなことを僕ができているのか、わからないんだ。どうやったらそんな恩に、報いることができるのか……、まあ、いいや、おやすみ。
おやすみなさい。
翌朝、目を覚ますと妻のうさぎはもういなかった。いつものことだ、勤め先のパン屋さんは朝が早い、その分夕方には仕事を終え、早く帰宅して、僕の夕飯を支度していてくれる。そして朝も……、ダイニングテーブルには、前日に店で売れ残ったパンを用意してくれているので、僕はグラスに牛乳を注いで、パンを食べる。パンの入った籠の下に、一枚の紙がはさんであった。妻の文字で……。
あるところにかめさんがいました。
かめさんがあるいていると、ねこさんにあいました。
やあ、こんにちは、ねこさん。
こんにちは、かめさん。かめさん、さかながたくさんとれすぎてしまって、このさかなをあげましょう。
ありがとうございます。かめさんはさかなをうけとりました。
かめさんはなおもあるいていました。あるいていると、ねずみさんにあいました。
おや、ねずみさん、こんにちは。
こんにちは、かめさん。このチーズなのだけれどねえ、おいしいのでおひとつあげましょう。
それはありがとう……。かめさんはチーズをうけとりました。
かめさんはさらにあるいていました。あるいていると、うさぎさんにあいました。
こんにちは、うさぎさん。
あら、かめさん、こんにちは。かめさん、ちょうどよかった、このにんじんをあなたにあげましょう。
え、う、うん、どうもありがとう。かめさんはにんじんをうけとりました。
かめさんはおうちにかえって、かんがえました。
なにか、おかえしをしないといけないかしら?
かめさんは、ともだちのさめさんにそうだんすることにしました。
じじょうをきいてさめさんは、たずねました。
ありがとうって、いったんだよね?
うん、いったよ、かめさんはこたえました。
それなら、もうおかえしはしたんだよ、さめさんはいいました。ねこさんがくれたさかなにたいして、きみはかんしゃのことばをかえした。ねずみさんのチーズにも、うさぎさんのにんじんにたいしても。
そうなの?
そうだよ。
そっか、はなしをきいてくれてありがとう。
どういたしまして。ほらね、これでぼくときみとのあいだも、おあいこだ。ぼくはきみのはなしをきいてあげた。そのぶんありがとうってことばをもらって、ぼくはいいきぶんになった。さあ、あんしんしておやすみ。
うん、さめさん、おやすみなさい。
●あとがき
順番は逆でした。後半の童話のようなものが書きたくて、パソコンに向かって、暗い部屋の中でぼーっとしていました。自宅の近くに、百歳の祖母が住んでいて、(二十五年以上前の私が育児放棄したため)彼女は二十五歳以上の亀を飼っているのですが、祖母の様子を見に行ったときにその亀の水槽を洗うのは私の仕事なのです。今日も水槽を掃除して帰ってきたところで、すっかり亀臭くなった手が、何とかひねり出した言葉が描き出すのは、真夏の営業マンの姿でした。私の書きたかった童話はどこへ行ってしまったのだろう……、そう思いながら、亀臭い手が紡ぎだす物語を眺めていると、一応、それらしきものも書いてくれました。
日本には贈答品の文化があります。それこそ、その祖母は人からもらった缶入りの海苔を、開けずに綺麗にとっておいて、何かの時に別の人にあげていました。本で読んだのか、大学の講義で聞いたのか定かではありませんが、ある島で特に物自体には価値のない石か何かを、危険を冒して船で隣の島に運んで、もらった島はその石をまた他の島へ、という贈り物を数珠つなぎにしていく風習があると、聞いたことがあります。そう考えると祖母の贈答品たちも中身はいらなかったのでは、とも思います。各家庭で綺麗にラッピングされた空き缶や空き箱を一つ用意しておいて、どこからかいただいたら、どこかしらにまた差し上げて。この際、贈り物の中身ではなく、贈るという行為そのものに、価値がある、というのが面白い点です。