哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

ぎふてっど

■仇櫻堂創業一周年記念創作まつりのこと

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 いつも当ブログ「哲学講義 仇櫻堂日乗」の活動にご理解をいただき、厚く御礼を申し上げます。2021年9月24日、当ブログは開設3年半を迎えます。私がもう一つ「仇櫻堂」という場を作ったのは一年前、2020年9月16日でした。「人と本にまつわる何かを」目指す仇櫻堂は、この度、創業一周年を迎えました。つきましては仇櫻堂創業一周年を記念し、当ブログではこの2021年9月を文芸創作月間と位置づけ、9月5日・12日と自作の物語を掲出してきました。今回9月19日の記事も「創作まつり」の第三弾として、自作の物語を掲出し、9月26日以降はまた通常通りの記事内容に戻していこうかと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

●ぎふてっど

 鵜飼で有名な長良川は○○県を水源としているが、○○にあてはまるのは果たしてどこか? これが僕に課せられた問題であった。答えはもちろん……、音は浮かんでいる。二音である。千葉ではない。滋賀でもなく、断じて佐賀でもない。そうじゃなくて、あれだ。あれなのだけれど、書けない。

 Graphics Interchange Formatのことを、gifと表記する。これを時折読み間違える人がいるようであるが、正しくは「ジフ」と読むらしい。それは今、心底どうでもいい。「ぐらふぃくすいんたぁちぇんじふぉうまと」だから略すと、「ぐいふ」になる気がするのだが、なぜ「じふ」と読まねばならないのかよくわからないし、わかる必要もない。今の僕には時間がない。重要なのは長良川の鵜飼をやっている県の話である。

 漢字の形声文字で、音を表す部分を音符や声符という。反対に意味を表す部分を意味符……、ではなく意符や義符と言うそうである。はっきり言って、イミフである。だからとうしたと思う。例えば僕の大好きな「千葉」の「葉」はおそらく音符が「枼」で意符が「艹」なのではないかと思うのだけれど、わからないし本当に今それを追求している時間はない……。追求? 追……、なんとなく、僕の求めているもののような気がして、弄ってみたくなる。

 追……、「辶」? いや、こちらは道が違う気がする。逆に進むべきであったと思うがもう遅い、辻斬りに遭って、僕は逝ってしまう。とはいえ、そんな概念的なことで生身の人間はそうそう死んでもいられないため、起き上がって僕は僕の死を通り過ぎる。

 追求の「追」の字のつくり「𠂤」の方を追求する。師、とか? いや、違う。レイアウトは左右ではなかったはずである。であるならば、上下? そうそれに、この県には飛騨高山のように山に囲まれた地域もあるわけで、県名を表す漢字にも山が入って然るべきである。つまり「峊」? うん、これはかなりそれらしくなって来た気がする。これはなんと読むのだろう? 二音で漢字二字であったはずなので、前か後ろかどちらかだ。とりあえず保留しようか。

 もう少し記号っぽいというか、僕の曖昧な記憶の中に、山のように意味を訴えてくる部品ではなく、図形のような部品も含まれていたようなイメージがある。あくまで、イメージだ。△? いや、こんな漢字は見たことがない。ならば☆? これも違う。□とか、ありがちで枠にはまった漢字ではなかった気がする。むしろもう少し尖った、✕のような……。こう、必ずクロスする箇所はあるはずだ、いかにそれが交わっていたのか、又は……、又? 使えるかもしれないと思い、僕はこのピースを拾い上げる。

 又が含まれていた気がする。しかし、まだ足りない。これに何かを足す。足し算である。出てきた要素を並べて再検討してみよう。「𠂤」「山」「又」これらを足し上げていく。𠂤+山+又……? やはり要素が少なすぎる感じがする。鵜飼の鵜は首に紐を巻かれた状態で、川の鮎を飲み込もうとする。ある大きさ、つまり巻き付いた紐が作る輪の大きさ以上の鮎は飲み込めないから、人間はこれを吐き出させて漁をする。小さな鮎は飲み込むことができる。非人道的な漁法と言える。

 僕もやはり喉に𠂤+山+又が詰まっている感じがして、これらをおえっと吐き出したときに何か答えが導き出される気はするのだけれど、出てくる気配がない。鵜が鮎を吐き出す様を想像してみるけれど徒に時間は過ぎていって、目の前の紙は無慈悲な微笑みを浮かべている。そう、他の問題に何かヒントがあるかもしれない。「ユネスコ世界文化遺産である白川郷・五箇山の合掌造り集落が所在するのは〇〇県である」とか「滋賀県三重県、愛知県、長野県、富山県、石川県、福井県すべてに隣接するのは何県?」とか「映画“君の名は”に登場したJR高山本線“飛騨古川駅”はどこの県にある?」とか……。

 そうなのだ。全てがアイツなのだ。そう、僕の喉に詰まったアイツ。吐き出したいのだけれど、もう出かかっているのだけれど、出てこない。𠂤+山+又。そうか、わかったぞ。僕は僕の同胞たちが黙々とペンを走らせる音だけがこだまする講堂で、小躍りをしたくなる。+は足し上げのプラスではない。十のようにこうした形の部分が、確かに漢字の一部にあったのだ。

 そこで不意に「崚」という字を想起する。この漢字には山という部分、(土の中に)十という部分、(夂の中に)又という部分がある。また同時に「歸」という字を思い出す。これは「帰」という漢字の旧字体であるという。この漢字にはやはり、𠂤という部分と、(巾の中に)十という部分があり、すべて僕の上げた条件に合致する。もう時間がない、しかし僕は答えを知っているんだ。悩み多き灼熱の夏が終わり、豊かに作物が実る秋が来た。僕は問題の解答欄へ以下の通りに記して、問題を終えることとする。


A.岐阜

●あとがき

 今回、三週連続で物語を作ろうと思い立って、最初に着想したのが9月5日に公開した「Gift」(もっとも、最初の着想と公開したものは全く違う内容)ですが、同時に「Gifted」というタイトルが浮かんでいました。タイトルありきで筆を進めて、楽しかったです、自分の中からこういうものが出てくるということが。本作は多分、朗読・音読できない物語で、それも面白い。お付き合いいただき、ありがとうございました。

■ちょっと関連

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