■『はつ恋』(村山由佳/ポプラ社)読書会のこと
先日、コトゴトブックス主催によるオンライン(zoom)の読書会に参加した。課題本は『はつ恋』(村山由佳/ポプラ社)で作者も参加。読者同士で意見を交わすというよりは、感想や気になったことを作者に伝えてお話しいただく、といった流れ。
主催者からは事前に作品の感想や、トークテーマの募集等の事前アンケートがあり、その回答に従って、テーマごとに顔出し・発言する人を募る、顔出しせずに聞いているだけでもOKというスタイルで、間口の広いイベントに感じた。私が見ていた限り、リアルタイムでの参加者は80名弱だったようで、それだけの参加者を2時間(予定・実際は20分程度オーバー)という時間でさばく、主催者の仕切りの上手さには、感心した。
●参考までに設問の一つである「『はつ恋』を読んだ感想を自由にお書きください。」に対する私の回答を以下に記す。※一部、ネタバレを含みます。
ハナとトキヲの関係が幸せで、幸せ過ぎて、ああ、絶対これが壊れてバッドエンドになったり、壊れそうになってでも修復されてハッピーエンドになったりするのだろうなと思って、半ばびくびくしながら読んでいました。その予測は良い意味で裏切られて、ハナとトキヲは、もちろん多少の喧嘩はあれども、大きな危機には至らずに、優しく幸せな世界が続いていくことが示唆されて物語は無事に閉幕します。心の底から、ホッとしました。私は物語の起承で描かれ、大好きになった世界観が、転結で時として壊されてしまったり、進化してしまったりするのを、苦手に感じることがあるので。
本作では一つの章で、ひと月、一つのエピソードが描かれる、という構成となっており、そこから外れるのが終盤の“後悔”、“爆発”、“初恋”の三章です。房総の四季とともに少しずつ描かれるハナの身辺はどれも美しく、現実の一年の移ろいとともに読み返してみたいとも思いました。中でも私の心に残っているのは“葉月”のエピソード、一年前にはトキヲと行った花火大会の日、今年はトキヲの仕事のためハナは一人、出かけるのは気乗りせず家で焼きそばを食べる等していますが、トキヲとの電話をきっかけに花火の見える海岸へ向かうことに。電話越しのトキヲの「あほう。二人で見とんねん」(p66)というセリフがかっこよく、離れていても一緒にいるんだなと感じられ、夏の夜空の花火の美しさとともに鮮やかに、私の心に残りました。
また、本作をリアルに感じさせるのはトキヲやご近所の亀吉のお国言葉です。ナメクジのことを“はだかめぁめぁ(p57)”と呼ぶこと、私はハナや亀吉と同じ千葉県民ですが初めて知りました。私が大阪や南房総の方言を知っているわけではないので、本作での彼らの方言がどれほど現実に近いのかは、なんとも言えないのですが、そういう言葉を喋らせることによって、彼らをよりリアルに浮かび上がらせていると感じました。
本作では房総の美しい自然とともに、ハナとトキヲとの幸せな関係や、亀吉ら優しいご近所さんとの関係が描かれます。ハナの両親、トキヲの家族のことなど、その設定の多くが、過去に『命とられるわけじゃない』や村山さんのSNS等に登場してきた、ご自身の周囲の人物をモデルにされているのだろうな、と感じました。本作は私小説なのだろうな、と(このことは、お話できる範囲で、村山さんに伺ってみたいことでもあります)。
であればこそ、ハナとトキヲの幸せな関係は継続していかなければならなかったのだし、(同じように村山さんご自身と背の君さんとの関係も)継続させていくのだ、という村山さんからの意志表明のように読みました。きっと本作は村山さんから背の君さんへの、恋文なのだろうな、と。その人のことを思いながら一遍の小説を練り上げてしまう(村山さんと)、公に発刊された小説をもって思いを伝えられてしまう(背の君さんと)、それぞれに幸せであるなと、勝手に妄想しつつ、羨ましく思っている次第であります。
また事前アンケートの"取り上げたいテーマについて"では、"はつ恋"というと"初めての恋=初恋"という表記もある中、あえて本作のタイトルは『はつ恋』とされており(本文中では"初恋"という表記もあり、明確な使い分けを感じた)、それはなんでだろうという案と自分の意見を提出した。この点は他にも多数の方がアンケートの時点で言及していて、それについての考察も私の考えと同じような内容だった。作者自身も"皆様が考えた通り"との旨を仰っていて、きちんとその思いを汲み取れていたことを嬉しく思った(どう使い分けられているかは、是非、本作をお読みになってみてほしい)。
こうしたことは読書会のために読んでいなければ、私は読み飛ばしてしまっていたかもしれない。読書会があるが故、どういうことを話そうかと、より注意深く読んだからこそ、気がついた箇所かと思う。もちろん、それについて他の人がどのように読んだのか、作者の意図はといったことは、なおさら読書会がないと知ることのできない部分である。
またこの部分では、皆さん同じように考察していたけれど、もちろん意見が分かれる部分もあり、例えば印象に残るシーンはバラバラである。作者の過去の作品にどれだけ触れてきたか、それぞれにどんな経験をなさってきたかによって、着目する視点は異なってくる。
そうした点で今回、読書会を企画いただき、また参加して良かった、と思っている。本作は色濃く、作者ご自身と現在のパートナーとの関係やお二人の性格が、登場人物に投影されている。それは作者本人も認めているところ。パートナーをモデルとしたキャラクターは関西弁を話すのだが、パートナーご自身も関西の方で関西弁を話される。作品の関西弁の監修は彼がなさった、とのこと。
ご夫婦で一つの作品(連載)を紡いでいった、それもご自身たちの幸せなさまが映し出された小説を……、大層微笑ましく、また羨ましくも思う。願わくば、そうした幸せな人生を目指したいと思うのである。
■敷設のこと⑦
私はパラレルキャリアとして、人と本に関わる何かを続けていきたいと思っている。今回の読書会は大変贅沢なことに作者本人が参加ということで、読者の感想や質問を作者本人にぶつける、ということがメインであった。ただ、その中で他の方の感想や疑問を伺い、本当に人によって感じ方は様々だなと再認識した。私は読者同士だけで話合ういわゆる読書会はほとんど経験がない。そうした形式で、読者同士でも本作について深く語り合いたいなと、いずれ自分自身で読書会を開いてみたいな、と思い始めている。今回の読書会参加も、そうした私の人生の複線敷設工事の一環だ。引き続き、安全第一で敷設を進めたい。