哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

令和4年度「北條五代 歴史と文化の祝典」のこと

■令和4年度「北條五代 歴史と文化の祝典」のこと


菜の花ヴィレッジ ムーンカフェ(神奈川県小田原市

 新型コロナウイルス感染症の影響で2年間、開催が中止となった小田原北條五代祭り。今年2022年は「北條五代 歴史と文化の祝典」と名称を変更して規模を縮小しつつも、北條五代の歴史と文化を伝え残すという目的で、3年ぶりに開催された。

 中止前の2年間、私はこのイベントに、足軽に扮して馬方として参陣していた。その後の2回の中止は残念ではあったが、感染症の状況を踏まえると当然の判断であった。そして満を持して再開した本イベントに、改めて馬方として参加してきた。招集くださった方にはとても感謝をしている。

●北條五代とは誰か

 2017年10月、私はただの旅行として小田原・箱根に赴いている。後にある乗馬クラブとの御縁から、2018・2019・2022年の三度に渡って小田原のイベントで馬方をつとめること、このときは露ほども思わなかった。

 旅行に先立つ9月、『黎明に起つ』(伊東潤/NHK出版)を読了している。旅先の歴史を予習しようとしたのだ。このときの私は、精神不安定につき仕事を休んでおり、時間はたくさんあった。読後のメモとして"武士の世ではなく、民の世を作ろうとした伊勢新九郎盛時(早雲庵宗瑞)の物語"と書き残している。そう、小田原を治めた北條五代の初代御屋形様、北条早雲を描く歴史小説である。

 さて北条早雲とはいかなる人物であったのだろうか、というと、そもそも彼自身は"北条"の姓を名乗っていないそうである。伊勢から北条への改姓は2代氏綱の時代であったそう。一介の浪人から相模国を盗ったことから、斎藤道三と並べて下剋上の代名詞ともいわれるが、出自についても岡山県の備中伊勢氏の出身という説が有力で、幕府の要職を勤める家柄だそうで、ゼロから成上ったというわけではない模様。時の将軍足利義政の甥で堀越公方伊豆国堀越を本拠とした鎌倉幕府出先機関)の足利茶々丸を、1493年に追放して伊豆を奪取、さらに1501年には小田原に進出して後に相模一国を平定したそう。他に先駆けて検地や四公六民の減税政策を行う等、優れた領地経営を行ったともいわれている。

 その後2代氏綱の時代にさらに領土を広げて関東の盟主としての地位を確立、鎌倉時代の執権北条氏に模した改姓、直接民衆に下命する際の「虎之御印判」を制定、本拠も早雲の韮山城より小田原城に移した。3代氏康、4代氏政と順調に勢力を広げる北条氏、1580年に氏政存命中に家督を継いだ5代氏直の時代に最大の支配領域に達するものの、1590年の豊臣秀吉による小田原攻めに敗れ、氏政は切腹、氏直は高野山へ追放され、北条五代による約100年間の関東支配は幕を下ろすことになる。

 改めて北条氏の支配領域を見てみると、現在の神奈川県を中心に、西は静岡県東部、東南には千葉県の北半分、茨城県の一部、北は東京都、埼玉県はもちろん、群馬県や栃木県にも及んでおり、関東一円と言ってよい。小田原を本拠とした神奈川県の大名という印象が強いため、私のような千葉県民には遠い存在であったが、改めて自分が現在住んでいる土地をはるか昔に治めていた北条氏、そうした人々の功績に思いを馳せるイベントに参加していることは、面白く感じる。

参考:北条氏五代100年の歴史

●令和4年度「北條五代 歴史と文化の祝典」のこと

 先述した通り、「北條五代 歴史と文化の祝典(2019年までは小田原北條五代祭りとして実施)」に参加するのは、3回目である。馬は毎回、静岡県御殿場市の乗馬クラブからやって来ていて、2018年・2019年は7頭、2022年は5頭であった。

 2018年はチャーリーという小柄なおじいさん馬(中間種)を引いた。千葉県市原市の乗馬クラブから前年に移籍してこういうイベントへの参加は初めて、緊張していたようで異様な力強さで引き手を引っ張り、抑えるのに苦労した。全身が筋肉痛になり、私自身初めてのイベントであったこともあり、くたくたになったことを覚えている。その年の秋のことである、チャーリーはあっという間に亡くなってしまった。

 2019年は北條氏政公を乗せて、カンタという大型馬(重種)を引いた。やんちゃ盛りの若駒であったが、この日は大層落ち着いて働いてくれた。

 そして2022年は、クロクモという名前のサラブレッドを引いた。いずれも二人引きで2019年と2022年は馬の右側だったのだけれど、チャーリーの時はどっちだったかな……。行列の先頭を務めて北条早雲公を乗せたクロクモは概ね落ち着いていて、暴れるようなところはなかった(時折、後方の馬と存在を確かめ合うように嘶きあっていた)けれど、それでもどんどん前に行きたいという雰囲気で目の前の槍持ちの歩兵隊を抜かそうとするのを、抑えるのに難儀した。引き手を渾身の力で抑え、時には自分の身体を馬の前に入れて制止をした。とはいえ、チャーリーのような初めてで何が起こるかわからない、といった様子ではなく、クロクモ自身こうしたイベントは慣れている馬であるし、私自身も3度目であったので、落ち着いてこなすことはできた。

 今回、新型コロナウイルス感染症での中止を経ての再開、とはいえ感染症対策のために沿道でのパレード中心で、人が一つの会場に集まって密になる様なイベントは中止であった。それでも多くのお客様がご覧くださり、応援くださったのはありがたいことである。感染状況がこのままよくなっていってくれると嬉しい、こうしたイベントで人々が笑いあえる日が、より日常に戻ってくれば良いなと思うのみである。

■ちょっと関連

philosophie.hatenablog.com