哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

最近考えていること

■最近考えていること

 今回は完ぺきに雑談である。というのも、バタバタしていて何を書くか考える時間がないからである。ゆえに書きながら考えるしかない。特にこの数週間である、時間がないなというのを強く実感している。やりたいことが終わらない、時間ができたらやろう、というあれやこれやが部屋の中にたまっている。それでも普段であれば、ああ、あの時無駄な時間をすごしたからな、という反省があるものだが、現在のところそうではないのである。例えば読書をしたかったのに寝ちゃった、という時。あーあ寝ちゃった、という反省や後悔すら湧かない。だって疲れ切ってて、そりゃ寝ちゃうよね、という感じ。困った。

 そんなわけで、まずメインビジュアルとする写真を探したところ、千駄ヶ谷にある東京厨房という食堂のお弁当の写真があったので、採用した。理由は特にない。私が千駄ヶ谷にやってきたのは4年半前、勤め先の事業所の一つが千駄ヶ谷にあり、そこに異動してきたのである。その事業所から歩いて5分程度のところに東京厨房はある。フライだとか、焼き魚だとか、ハンバーグだとか、いろいろとボリュームのある食事をいただくことができる。

 私と東京厨房との出会いは15年以上前のことである。高校生の頃だ。千葉県の津田沼という駅の近くの高校に通っていたのだけれど、その昔津田沼パルコにはこの東京厨房の支店が入っていて、ここのカニクリームコロッケを好んでいただいていたような気がする。今は津田沼店は撤退してしまっていてないのだけれど、千駄ヶ谷店のカニクリームコロッケを食べている。多分、店舗によって味が違うのだと思うのだけれど、かつて食べていた津田沼店の味をよく覚えていないので、それが懐かしの味なのか、違う味なのか、よくわからない。

 津田沼パルコといえば、2023年2月に撤退が決まっている。建物がなくなるわけではなく、あの建物の中に入っているパルコという商業施設が撤退する、らしい。津田沼パルコは、高校時代はもちろんなのだけれど、それより前の中学生くらいからよく伺っていた場所である。私は千葉県千葉市で生まれ育って、今も同じ土地に住んでいるのだけれど、幼少期からお出かけするとしたら千葉駅・津田沼駅船橋駅。中でも私のお気に入りは津田沼であった。駅を降りてパルコと反対側に進むと、書店の丸善がある。私は本を読むのも、買うのも、眺めるのも大好きである。建物の2階と3階が丸善で、3階の一角は文房具コーナーとなっている。中高生の頃の私にとって、こうした本屋だろうと図書館だろうと、本がいっぱいある空間というのはただただ幸福な場所であった。

 その当時はただただ多くの本に触れたい、読みたいと思っていた。今はどうだろうか。仕事の関係の本などを読まねばならず、純粋に読みたい! という本ばかりにかまけていられなくなっている、という感じはある。話は冒頭の話題にループする。時間がない。

 そもそも世間の人はこの時間のなさをどうやってやりくりしているのだろうか? 仕事でもプライベートでも、何かをやる、例えば仕事だとお客様へ商品を売り込むチラシを作るとか、そうしたときに適度に手を抜く必要があって、私だって延々とこだわれないしこだわったところでお客様により響くようになるわけでもないので、適度なところで良しとしているつもりであるが、その適度がどうも人から見るとやり過ぎと思われているフシはある(そんなこと言われたわけではないけれど、他人の作ったものを見ると、明らかにまだ手を入れられるよね、という感想を抱くことがしばしばである)。だから、もっと早い段階に手を抜く、というのは一つの案なのだろうな、というのはわかっている。作業でも、人とのコミュニケーションでも、もっと適当でよいのでは、と。とはいえ、そこで手を引けば完成のクオリティが下がることがわかっていて手放す、というのはなかなか勇気のいることである。

 そうしてバタバタしていて、一応、重要かつ急ぎのものから仕立てていくことになる。重要でも急ぎでもないものは、放置されたままになる。限りある時間の中で、自分にとって何が重要で急ぎなのか、そんなことを考えている。

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