哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

2022年12月の徒然なること

■2022年12月の徒然なること


鳩やぐら(東京都渋谷区)

 師走である。相変わらずバタバタしている。師匠も走るほど慌ただしい師走と言われるが、私はお陰様で年中慌ただしくしている。

●渋谷区立松濤美術館 館内建築ツアー のこと

 1981年に開館した渋谷区立松濤美術館は、白井晟一による設計である。時折30分程度の館内建築ツアーが開かれており、気になったので伺ってきた。

 白井晟一は1905年、京都生まれの建築家。現在の京都工芸繊維大学にて建築を学んだほか、ドイツ・ハイデルベルク大学に留学して哲学や美術を学んだそう。本館の他に、港区のノアビルや静岡市の芹沢銈介美術館(石水館)などが有名だそうだが、ご存知だろうか?

 本館には何度も伺っており、その度におしゃれだなあと思っていたのだけれど、今回説明つきで案内いただいたことで、注目するポイント、白井晟一のこだわりを知ることができて、大変面白かった。

 例えば本館の外壁は数十センチ大のピンク色の石を積み上げたものだけれど、これも当初は灰色の石を使用する予定であったのを変更して、白井自らが紅雲石と名付ける花崗岩を韓国から取り寄せて使用したそう。入り口を見て右手には水飲み場、左手には受付窓口にしようとしたとも思われる、丸窓がある。こうして案内されないと、気にも止めなかったと思う。

 本館の中央は地下に噴水があって、一階にはブリッジと呼ばれる橋が渡されていて、吹き抜けの中庭のようになっている。当初はブリッジを通って地下一階の展示室に降りられるような設計だったそうだけれど、展示スペースの関係で変更となったそう。中庭はガラス張りなのだけれど、展示物保存の観点から地下のガラスは仮設の壁で塞いで遮光しているそう……。あれ?

 普段は入ることのできない地下二階も拝見させていただき、そこには茶室もあることを説明される。茶室とはいえ実用に耐えうるような構造とはなっていない(入るといきなり水場がある)とかで、職員の休憩室になっているとのこと……。おや?

 この地下二階には本館の設計模型が展示されている。実際は縦長の長方形で作られた吹き抜けのガラスも、当初は鱗のような形で計画されていたらしい。

 地上二階にはサロンミューゼと呼ばれる展示室、ローズウッドの柱に支えられる壁がベルベットで覆われていることを、今更知った。館内建築ツアーでは、赤を貴重とした館長室も扉の外から覗き見ることができる。白井は共産主義思想にも傾倒していたそうで、サロンミューゼのソファは多くの人が平等に寛ぐことのできるゆったりしたもの、館長室も当初は会議室として設計されたそうで、その点もやはり人々が平等に語り合う場を想定したよう。現在も館長室として使われてはいるけれど、会議などで使うこともあるのだとか。

 とはいえ、当初案からの変更がかなり多いように感じた。いや、そういう所があるから、館内建築ツアーをして面白いのだけれど。それにしたって、ガラスの吹き抜けは光が入りすぎて美術館に不向きという点など、設計段階で何故気が付かないのか、とは思うのである。そうそう、実用性のない茶室については、こうした文化施設に茶室があるという思想性が大切、とかなんとか。ご興味あるかたは こちら に詳しい。

■2022年の徒然なること

 冒頭にも書いた通り、忙しい一年であったと思う。一月、一つ仕事で大きなイベントを抱えていて、それが新型コロナウイルス感染症の何度目かの拡大により中止となり、オンラインイベントに切り替わった。縮小したとはいえ、普段は携わらない、慣れない業務に大変疲れた。三月までは仕事の中で他係のサポートをする必要もあり、なかなか忙しく思っていた。

 四月、部署内での担当替えで慣れない仕事を受け持つことになり、また課内の人間がかなり入替ったことで、元々人間関係が苦手な私は大いにリズムを崩した。なかなかではない、かなり忙しく感じていた。リズムが戻らぬまま私は、新しい業務と、前の係から引っ付いてきてしまったどの係にも属さないような仕事を、黙々とこなしたけれど、残業時間は鰻登りであった。そして何故か壁として立ちはだかる職場の人々と争い続け、逃亡を続け、疲弊し消耗した。そんなわけで(どんなわけだ?)、来月からは(九ヶ月前にいた)元の係に戻る予定である。これで少しは一息つける、と思いたい。

 こう書くと悲惨な一年のように思われるが、まるで逆である。これだけバタバタともがきながらも、なんとか労働者でありつづけられるだけのサポートと元気を、私は仕事で知り合った社外の人々から得ていた。助けを得たり、知恵を借りたり、元気をいただいたりした。五年前に仕事を休職したときに通っていた施設で、復帰数年後の理想を絵に描いた。多くの人に囲まれて活躍している自分を描きながらも、職場の人を思い浮かべて自信がなかった。あの人々と、こんな風になれるわけないだろと。今、あの絵は実現している。あの絵に描かれた私を助けてくれる人々の多くは、社外の人であったのだ、それが絵の答えである。そういうわけで、ありがたく幸せな一年がまた終わろうとしている。新たにやって来る一年が、また良い年でありますように。

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