哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

2022年12月の読書のこと「おゝポポイ! その日々へ還らむ」

■おゝポポイ! その日々へ還らむ(執行草舟/PHP研究所)のこと


cafe Five(千葉県千葉市

 著者の執行草舟(祐輔)は1950年東京生まれの著述家であり、実業家。中学・高校生時代より三島由紀夫と文学論を交わす。立教大学法学部卒業後、大正海上火災、三崎船舶工業に勤務。その後、菌食・酵素食品を扱う会社、バイオテックを設立。美術の収集・展示活動にも取り組み、戸嶋靖昌記念館を設立。

 本書はそのような著者の半生をライター・編集者の樋渡優子が聞き書きした『歴史通』(ワック)の連載を書籍化したものである。私は知人に薦められて本書を読み始めたが、憶えておきたい部分が多くあったので、以下に感想を記しておく。

●読んだこと

 執行草舟は幼少期以来、何度となく死にかけているという、その初めが三歳の時に栗きんとんの鍋をひっくり返したことによる大やけど。骨が見えるようなやけどだったそう。そんな大やけど、私には想像もつかないというか想像をしただけで気持ちが悪くなるのだけれど……。

 その後執行は小学校に上がる前に、肺に溜まった膿、膿胸(のうきょう)が石化するという死病を患う。これからも奇跡的に復活するのだけれど、その治療の中で大量の抗生物質放射線に触れたことにより神経系に副作用が出てしまい、三十歳前後までしばしば五感がめちゃくちゃになって、食事も睡眠もままならなくなる発作で苦しむことになる。
 副作用に苦しむ執行が出会ったのが、整体(野口整体)を生み出した野口晴哉であった。野口の根本思想は「全生(ぜんせい)」という言葉で表されるそうで「全き生、つまり生命力の全開を目指す思想」と説明される。治療は愉気という手のひらから出ている気によって手あてするのだそうで、そのやり方を操法と呼ぶのだそうだ。野口の考え方は(執行の副作用による)衰弱こそが生命力を引き出す、生命は(他人ではなく)自分でしか治せない、といった内容のものであったそう。大の読書家で幼少期に母親にルビを振ってもらって『葉隠』を読んでいたという執行であるが、この出会いから野口の『治療の書』も愛読書に加わったのだという。
 ところで私は本書を読んでいる最中に、知人から全く関係なしに野口整体の話を聞いて、少し驚いた。ひょっとして野口整体に何らかのブームが来ているのかもしれない。

hagamag.com

 ともあれ、野口整体により執行は多少健康を取り戻し、同時に野口からは「啐啄の機(そったくのき)」という禅の教えを授けられたそうである。卵の外と中から親鳥と雛が同時に殻を突く、この一発目のタイミングが合わないと卵は割れないのだそう。執行はこれについて、同時でなくてもいいと思うから同時になる、自分自身も宇宙の一環なので宇宙の呼吸に合わせればよい、といった教えと整理をしている。またこの啐啄の機について考え続けたことで、喧嘩がめっぽう強くなったとも言っている。

 晩年の三島由紀夫と出会ったのは、十六歳の中学生の頃(執行は病気の影響で一年遅れて進学している)だそう。八ヶ岳のふもとの乗馬倶楽部で出会い、その後数年にわたり八ヶ岳や東京において、発表された作品は欠かさず読むほど大好きな作家である三島に直接、文学論をぶつけたという。三島の晩年の作品である『奔馬』の飯沼勲のエピソードに執行が話した内容が投影されており、モデルかもしれないと、今思い返すと三島を紹介した山荘のおじさんから、発表直後の『奔馬』を読むことを止められたり、初対面時からまるで取材のように熱心に執行の話を三島がメモにとっていたとのこと。
 ところで二人の交友や『奔馬』の発表から十年程後の執行二十八歳の頃、立教大学の留学センターで出会って結婚の約束まで交わした女性から急に別れを告げられたことがきっかけで、執行は城ヶ島(神奈川県三浦市)に実家の日本刀を持参して割腹自殺を計る。この際突風と日の出に面食らって結局自殺は失敗に終わる。『奔馬』の飯沼勲がラストシーンで自決する様子と今思うとそっくりなのだそうで、その当時は『奔馬』のモデルが執行自身ではとは思っていなかったというから、不思議な話である。執行は三島のことをある種の霊能者であったという。

「きみはこれから大変だよ。君はものすごく苦労するだろう」「それでも生き抜かなければ駄目だ」

 これは執行が三島から何度も言われたという言葉である。三島には執行が太陽と海に向かって切腹する光景が見えていたのかもしれない、と。その上で飯沼勲と違って、きみは生き抜くんだと言ってくれたのかもしれない、と。

 高校生時代の執行は三島や、芥川龍之介の長男で演出家・舞台俳優の芥川比呂志に恋愛相談をしたり、大学生時代には実家のレコードのコレクションを使ってレコードコンサートを開いていたことで、文芸評論家の小林秀雄や哲学者・仏文学者の森有正と交友を結んだりする。近所の自由学園を散歩中には建築家の黒川紀章とも話したそうで、青年期に非常に広い交友関係を持っていたことになる。
 また大学一年生と三年生の夏休みには富浦海岸(千葉県)で網本の大きな家を借り切って、海の家(民宿)の経営をして大成功を収めたという。

 大学卒業後、船に関わる仕事がしたいという理由から大正海上火災という保険会社に入社するも、短期間でここを辞めてしまう。希望する船舶ではなく自動車保険への配属であったことと、新人研修時代に定年まで定められて「安定」した給与表を見せられてぞっとしたためだそうだ。
 このことで実家からは勘当されて、無一文で放り出され、外国船の船員たちのドックハウスの管理人兼任という形で、三崎船舶工業に転職する。この当時、悪漢政(奥津政五郎)と交友を結んだという。執行二十四歳、相手は八十代半ばで奥津水産の社長であったという。元々は世界で一番マグロを獲る大船団の船頭をしていた人物だ。執行の話、武士道の話や家系の話、歴史の話をおもしれぇと言って聴き、自社の多くの仕事を任せたり仕事を離れてもドライブに行って、木刀やら相撲やらで遊んだりしたとのこと。ヘッセのドイツ語の詩「白き雲」を気に入って一発で暗記してしまったエピソードや、社長室の小切手の金額、利率、日付を全て諳んじていたこと、そして喧嘩に強かった執行が唯一不覚をとって悪漢政の木刀に犬歯を折られた話などが紹介されている。

 ずらずらと書いてきたが他にも、打ち捨てられた戦艦三笠に向かって、雨の日も雪の日も正座で対話した話や、目黒不動尊に一年間日参して満願の日に本堂から黒い物体が身体に入り、何故か睾丸が腫れ上がった話、そして奥様との運命の出会いと死別など、超ド級でヘンテコな執行の実話が語られている。
 それらは私とはスケールが違い過ぎてにわかに信じられないような話ばかりなのだけれど、実際に体験した執行の言葉でそうしたことが語られていて、大変密度の濃い一冊であると思う。

●考えたこと

 本書の序盤に脱線として以下のような執行の発言がある。

私の本の取柄は真の実体験だけが書かれているところです。……普通に話していると、「それは執行さんの考えでしょう」と言われることがあって驚きます。自分の考えを話すのは当然でしょう。私は自分の思想と信念しか話したこともないし、また実行したこともありません。

 私はこの点に大いに感銘を受けるものである。このブログにおいても私が意識しているのは、自分が何をやってどう感じたかである。事実を調べてきてまとめることも大切であるが、それは結局ネットや書籍、いずれにせよ既存のメディアのどこかに書かれているものである。一方で私の体験や考えは私の中にしかないものである。それ故にそうしたことは書くに値すると思うし、自分の行動原理を定めるにあたりそうした自身の中にあるものにこそ、正解があると考える。

 執行が人生の礎となった『葉隠』は佐賀藩士・山本常朝が口述し、田代陣基が筆録した武士道を論じた本。「武士道といふは、死ぬ事と見附けたり」という言葉で有名だそう。

死を前提として生きること、つまりそれを「死に狂い」と言いますが、それと「忍ぶ恋」、これが私の好きな「武士道」の二本柱です。……死ぬために生きることの追求と言っていいかもしれません。忍ぶ恋とは、打ち明けることなく「何ものか」に憧れ、それを恋すること……

 そして執行は、運命の相手であった妻・充子を二十七歳の若さでスキルス性の乳がんで亡くして以降、自らの思想の柱として「絶対負」をあげ、研究に没頭する。

一言でいえば、生命の根源と成っている計測不能の「宇宙エネルギー」であり、宇宙の活動を支えている暗黒の「存在エネルギー」の総称です。私は、考え方を自分の中でまとめるために、それらを総称して「絶対負」と名づけているのです。……絶対負は「正」に負けた「負」ではない。「負」であること、そのものに絶対的価値を有する「負」なのです。

 と説明しており、絶対負の代表的人物として、道元内村鑑三、そして西郷隆盛をあげている。このあたりは正直、私には理解できていないところである。そしてその絶対負を製品化し、事業にしようとして、無一文で幼子を抱え独立、バイオテックを設立するのである。執行は全ての生命の根源として菌を掲げ、菌食、酵素食品の会社を興したのである。
 思想としての絶対負は前述の通り理解できていないのだけれど、至る所にいて我々の世界を支えている菌を絶対負の代表例としてあげてもらうと、私にもなんとなくイメージがつきやすい。他にベルクソンヘーゲル、三木成夫、重野哲寛、G・E・ドールマン、ルイ・パストゥール、アレクサンダー・フレミングについて研究をしたとのこと。「事業をしない事業をしよう」として、創業以来お金の出し入れには関わらない(経理担当者に任せる)ようにしているのだとか。そんな不思議なことを、おそらく大真面目に発言しているところが、執行の凄いところであろう。

 ともあれこのような思想的な面よりも、私が熱心に読んだのは、執行の歩んできた人生のほうである。幼少期から何度も健康を損ね、愛する妻とは早々に死別してしまう。それでも様々な、しばしば各界を代表する知識人たちと交友を結び、安定した職業も捨て、自らの理想のために突き進んでしまう。そんな生きざまに興味を持った。
 執行に比べてしまうと、私自身は何を成し遂げているだろうか。彼は中学時分は三年間、毎日休まずに新聞配達の仕事をしたという。ハチャメチャでありながら、決めたことはきちんとやり遂げ、筋を通す人物なのだと思う。物凄い読書量とそれに裏打ちされた知識に加えて、同じくらい大きなスケールの覚悟と実直さを備えた人物、そんな印象である。こんなド級の人が同時代に生きていながら、失礼ながら私は本書を読むまで存じ上げなかった。そんな執行のことを知ることができてよかったと思う。すごい人だなあと、ただただ尊敬するばかりである。

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