哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

清水裕貴 アーティストトーク のこと

清水裕貴 アーティストトーク のこと

 「2023年8月の読書のこと「海は地下室に眠る」」にて取り上げた『海は地下室に眠る』の著者、清水裕貴のトークイベントが2024年12月7日に千葉市生涯学習センターにて催されたため、参加してきた。
 同書は千葉市美術館の学芸員が主人公、神谷伝兵衛邸の地下室に眠っていた絵画と出会い、その秘密を解き明かしていくというミステリー仕立ての作品なのだけれど、それになぞらえ、千葉市美術館の学芸員がインタビュー形式で、作家の話を聞いた。

 作家が神谷伝兵衛邸に出会ったのは2017年のことだそうで、小説家としてのデビューはその翌年だそう。その「かつての夏休み」のような佇まいに強く惹かれたそう。その後千葉市美術館の学芸員(今回のインタビュアーとは別の方)との出会いや、千葉市美術館周辺の蓮池という地域の歴史に詳しい人の話を聞けたこと等から、だんだんと物語が出来上がっていったよう。
 作品の主要人物に、千葉日報のカメラマンがいる。コロナ禍、文化部の記者の取材先がなくなる中で、「現実の」千葉日報に、(志津?)駅前にチーバくんの像が二体できたが、チーバくんは一人ではないのか? といった内容の記事が載ったそう。そんな記事を書くほど時間があるのか、と思い、本作の主人公に据えようとしたところ、記者が過去を調べるのは当たり前すぎるとの意見があり、結局現在の形になったとか。アイデアは色々なところに転がっているものである。

 作中、現代アートの作家が美術館の所蔵作品とコラボする展示が催される。現実の2022年に千葉市美術館で催され作家も参加していた「とある美術館の夏休み」がモデルかと思っていたけれど、そもそもこのコロナから世間が立ち直りつつある時期、他の美術館でもこの手の催しはよく開かれていたそう。確かに海外との人や物の移動が制限された時に、国内美術館の所蔵作品に目を向けてもらうのには良い企画だ。
 作中では三人の作家が千葉市美術館の所蔵作品とコラボする。ジョルジュ・ビゴーの「稲毛海岸」と浜口陽三の「17のさくらんぼ」は現実の千葉市美術館の所蔵作品。ジョセフ・ボワイユのみ架空の作家だそう。しかし本作を読んで、学芸員は所蔵作品を見返したという。そんな作家いたか? と。美術館の所蔵作品は把握しきれないほど多く、存在は知っていても見たことがない作品がたくさんあるそう。

 美術館を「美術品の墓場」とする意見もあるが、現代の視点から新たな価値を与える点で、重要であるとの話があった。それは普通の歴史としては残されない花街の日常等を、小説を通して残すことができるのに似ている、と。
 各地の美術館で収蔵庫パンパン問題が起きているそうだが、今の感覚で十分な価値が見出せない作品も、後の世では変わるかもしれない、ということ。多くの作品が後世に残っていくことを期待したい。

 初め、千葉市美術館のあるあたりにはあまり魅力を感じていなかったという作家だが、調べる中でかつての陸軍施設跡やお屋敷跡があり、趣深さを感じるようになった、とのこと。
 現在、2025年3月30日まで東京都現代美術館にて開催中の「MOTアニュアル2024こうふくのしま」には写真作品を出品しているそうなのだけれど、そこには稲毛の写真もかかっているそう。今後もまた千葉市を舞台にした作品も作りたいと言ってくださり、引き続きとても楽しみである。

 

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