哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

映画等のこと⑲「ファンタスティック・ビースト」シリーズ

■ 映画等のこと⑲「ファンタスティック・ビースト」シリーズ

 映画「ファンタスティック・ビースト」シリーズは「ハリー・ポッター」シリーズの外伝であり、五部作の予定の内三作、「魔法使いの旅」「黒い魔法使いの誕生」「ダンブルドアの秘密」が公開されている。

 最新作の「ダンブルドアの秘密」を、アマゾンプライムビデオで観ることができるとのことで、大変楽しく拝見したあと、過去作のストーリーがだいぶ頭から抜けてしまっていたため、観返すことにした。

 「魔法使いの旅」「黒い魔法使いの誕生」と観ていく内に、やはりきちんと観返すもので、発見したことがある。

 そもそも私、「黒い魔法使いの誕生」も観ていなかった……。

以下、たぶんネタバレします。

● 「ファンタスティック・ビースト」シリーズ

 上の写真は二〇〇一年に発行された『幻の動物とその生息地』(J・K・ローリング/静山社)である。イギリスでは「ハリー・ポッター」シリーズの第四作目、「炎のゴブレット」の後に発行されたが、日本では順序が逆転して、本書のほうが先となっている。

 ハリーたち魔法使いが学校の教科書として使用している同書を、非魔法族(マグル)向けにも発売したという体で、表紙の著者表記も作中人物のニュート・スキャマンダ―となっている。中身は魔法生物の図鑑といった内容で、様々な動物の生態が説明されており、またハリー・ポッターの蔵書の復刻版という設定のため、ハリーやロン・ウィーズリーハーマイオニー・グレンジャーらによる落書きがある。

 本書を手にした時、私は十代の前半、まだ小学生であった。「賢者の石」から「アズカバンの囚人」までの三作品を繰り返し繰り返し読んで、物語の世界と現実の世界がごっちゃになっていた私にとっては、より一層ハリーたちの世界をリアルに感じさせられる、贈り物だったと思うし、一方で前述した通り本書の大半が図鑑であり、また挿絵もさほど多くないため、本書の内容それ自体にあまり熱狂した記憶はない。ただ今見返してみると、若きニュート・スキャマンダーが連れている、ボウトラックル(小枝のような姿で、鍵を開けるのが得意)やニフラー(モグラとカモノハシを掛け合わせたような姿で、キラキラ光るものに目がない)についての記述もあり、面白い。

 そう、そうなのである、映画「ファンタスティック・ビースト」シリーズの主人公ニュート・スキャマンダー(エディ・レッドメイン)こそ、ハリーたちの教科書『幻の動物とその生息地』の著者なのである。十代のハリーたちの活躍が描かれる「ハリー・ポッター」シリーズが、概ね一九九〇年代を舞台としているのに対して、「ファンタビ」は今のところ(三作目までは)一九二〇年代、アラサーのニュートが描かれる(「魔法使いの旅」と「黒い魔法使いの誕生」の間に一九二七年刊行の『幻の動物とその生息地』が出版されている)。

 これは楽しい。「魔法使いの旅」を劇場で観て、とてもワクワクしたのを憶えている。ハリーたちの世界で言わば伝説上の人物の、若い頃の活躍を観ることができるのである。じゃあ何で二作目を観ていなかったんだという話ではあるが。

 「ハリー・ポッター」には、イギリスにありハリーたちが通うホグワーツ魔法魔術学校を主な舞台とし、マグルも登場するが基本的には魔法使いたちの物語、という印象が強い。対して、「ファンタビ」はマグル(「魔法使いの旅」の舞台であるアメリカではノー・マジと呼称される)の世界のすぐ裏側で、ニュートたちが冒険し、メインキャラクターでジェイコブ・コワルスキー(ダン・フォグラー)というノー・マジも登場する。一九二〇年代のマグルたちの様子も、私にとってはレトロで、オシャレで、新鮮だった。さらにアメリカで始まった物語は「黒い魔法使いの誕生」ではフランス、「ダンブルドアの秘密」ではドイツやブータンが舞台となり、壮大なロードムービーといった感もある。

 物語では動物学者であるニュートが、「ハリー・ポッター」シリーズでは最も偉大な魔法使いとされる長老的な役回りである、アルバス・ダンブルドアジュード・ロウ)らとともに、ラスボスであるゲラート・グリンデルバルドとの抗争に巻き込まれていく。ダンブルドアは一九四五年、決闘の末にグリンデルバルド討ち果たすことになっているので、「ファンタビ」四作目、五作目で、そこまでの様子が描かれるのではないかと思う。

 「ハリー・ポッター」シリーズ後半で明かされる通り、善の象徴のようなダンブルドアが過去に犯した最大の汚点が、グリンデルバルドに関わるものであり、それは過去の事実として描かれるのみであった。グリンデルバルド自身も、「ハリー・ポッター」時点では年老いて、ヌルメンガード城に囚われており、ほとんど登場しない。ダンブルドアが若き日のグリンデルバルドとの汚点に落とし前をつけるのが、「ファンタビ」であり、ダンブルドアは言わば本作のもう一人の主人公になってくる。

 とはいえ、「ファンタビ」の主人公はニュートである。不器用であるが、動物に対して熱心で、素直で、権力に靡かない、恩師であるダンブルドアに信頼され、それ故にグリンデルバルドとの争いに巻き込まれる。ハリーは、「ハリー・ポッター」シリーズのラスボスであるヴォルデモート卿と深い因縁があった(だからこそ選ばれた少年であった)のに対して、ニュートにはグリンデルバルドともともとの因縁があった様子はない。またハリーが学生(子ども)として物語が始まるのに対して、ニュートは大人である(故に、自ら選択してグリンデルバルドに対抗していく道を選ぶ)。あとニュートのファッションがオシャレ。そんなところが、私がニュートに対して感じるところである。

 とにかく面白い。多くの人に観てほしい。じゃあ何で、二作目を観ていなかったんだという話ではあるが……。

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