■ 第八十四回皐月賞(GI / 中山競馬場)のこと
家を出て、予想以上に強い日差しに驚いた。暑くなるとは聞いていたけれど、これほどとは。まだ午前十時前だったが、シャツの上に上着を羽織った私は、ずいぶんと蒸し暑く感じた。
家の近所の桜は、柔らかなピンク色の花びらを、まだそれなりに蓄えていた。ところどころ鮮やかな緑が覗く箇所もあるが、まだ十分に花見を楽しめる。
私の家は千葉県だが、都内にある勤め先の周りよりも、花が開くのが二、三日遅かったように感じる。その分遅くまで花を楽しめるのではないかと、期待している。
歩いて最寄り駅に向かった私は、自動改札機を抜けてプラットフォームに降り、特茶をごくごくと飲んだ。三十路を過ぎてから、私の腹は狸の腹鼓のように、張り通しであった。
特茶は「体脂肪を減らすのを助ける」ことを謳った特定保健用食品で、平成の終わりから令和の初めにかけて、かつての鳥井商店が販売していたお茶である。
電車(中央総武緩行線)には現代人、つまり令和六年の人々という意味だが、でいっぱいであった。メトロポリスで用事を済ませた私は、すぐに下総国に引き返した。
そして下総国最大のターミナル駅で、現代人に揉まれながら九と四分の三番線から武蔵野線に乗り換えると、多くの紳士淑女が集う社交場へと向かったのであった。
令和六年四月十四日、中山競馬場では、第八十四回皐月賞が催される。日本中央競馬会が主催するレースの中で三歳牡馬の三冠競走の一冠目とされるレースだ。
私の本命はメイショウタバル。
父馬ゴールドシップは皐月賞をはじめGlを六勝した名馬だ。
オーナーの松本好雄は、出身地の明石から、明石の松本=明松(メイショウ)の意で、持ち馬にメイショウという冠号をつけている。
管理調教師の石橋守は騎手時代、松本の持ち馬メイショウサムソンで皐月賞をはじめ、東京優駿、天皇賞を制している。
騎手の浜中俊はデビュー十八年目を迎えた中堅、二〇一九年にはロジャーバローズに騎乗して、ダービージョッキーとなった。
出走各馬の馬場入り後、ダノンデサイルが馬体検査の上、故障とのことでやや発送が遅れた。
レースはスムーズなスタートから先頭に立ったメイショウタバルが、十六頭のサラブレッドを率いて、青々とした芝生の上をひた走った。
千メートルの通過タイムが五十七・五秒、観客からは浜中早いよというやじが飛んだ。
残り四百メートルを知らせるハロン棒の脇を、メイショウタバルは先頭で駆け抜けた。しかし、そのまま失速し、後続にあれよあれよと抜かされていった。
戸崎圭太騎手騎乗のジャスティンミラノが一着入線、コスモキュランダ、ジャンタルマンタルがそれに続き、その後十三頭の馬が次々と走り抜けた。
結局メイショウタバルは、ゴール板前を、最後に通過した。
メイショウタバルの、皐月賞が、終わった。
私の握りしめていた勝馬投票券が、紙くずに、変わった。